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推しがいる私がSNSでの無断転載などを考えた話。
私はTwitterのプロフィールで、「無断転載」について記載している。
たまに文面は変えるけど、意味は変わらない。「無断転載はだめ」。これは呼びかけよりも自衛の意味の方が強い。
私がTwitterを始めたのは1年と少し前。推しのファンの方と繋がりたいという理由で専用のアカウントを作った。
実はTwitterの前に少しだけInstagramをやったことがある。
そもそもインスタ初心者だったので、何もわかっていないままただ推しの写真をアイコンにしている方、ファンだと名乗っている方と繋がった。印象としては自分(30代)と比べて若い子(10~20代)が多く、推しの新しい情報を画像と共に次々と載せていて、それをながめていた。たまに「よかったら画像加工してプレゼントします」といったDMをもらって、加工した画像をもらったこともある。
だけど、そんな中でずっとモヤモヤしていた。
私はインスタ内で推しの作品の感想をあげていたのだが、そのときにその作品の画像を使っていた。でもいつも投稿するときに違和感があった。投稿するこの画像は、私のものではないから。
画像を全部使っていなくても、顔が映っていなくても、たとえその画像のほんの一部でも、私のものではないから。
そこで初めて、そのことについて調べた。
「無断転載」と呼ばれるそれは、問題として根深く、なかなか収集もつかないらしい。
だけど、私の推しの事務所は「無断転載」と呼ばれるものを禁止していた。否と言っていた。私の中で、無断転載をやめる理由としてじゅうぶんだった。
テレビ画面(静止画・動画)を撮影して載せる。雑誌などのページを撮影して載せる。プロが撮影した推しの画像(全部、一部、顔が載っているいないに限らず)をヘッダーやアイコンに使う。これらを拡散する。
全て無断転載に当たり、禁止している事務所が多い。
無知のままやってしまっていた自分が恥ずかしく、インスタのアカウントはすぐに消した。そして無断転載はしないと誓って、Twitterを始めた。
私は頭が固い。自覚がある。真面目すぎる、柔軟性を持てと言われたこともある。それについては自分の中で咀嚼して、柔らかく出来る部分はしながら生きてきたつもりだ。それでも、譲れないものはある。今回の場合は、「推しの事務所(会社)がダメだって言っている」以上の譲れない理由はない。私たちファンが推しを推す以上、推しの生活を支えている事務所の意に反することをする意味がわからない(と私は思っている)。
だけど一向に無断転載は減らない。これは本当に難しい問題なのだと、推しが出来てすごく感じている。
私は今の推しができるまで、芸能人にあんまり興味が無かった。
ずっとオタクではあったものの夢中になる対象はアニメや漫画で、こんなに芸能人を好きになったのは初めてだ。だから今まで、無断転載というものについて考えたこともなかった。(無断転載はアニメや漫画でもあるだろうけど、あくまで考えるきっかけになった話だ。)
鍵付きの仲間内だけでの本アカウントは少し前から持っていたけど、ドラマなどが話題になり無断転載画像や映像がRTされてまわっていることに疑問を抱いたことも無かった。もしかしたらいいねを押したこともあったかもしれない。
きっと私のように、わからないまま反応したり拡散している人は多い。それは仕方ないと思う。無断転載は画像や映像を主に使用するから、わかりやすいし拡散には向いている。その画像や映像に映っている人に強い思い入れが無ければ、特に気にせずいいねや拡散が出来てしまうのはすごくわかる。
以前フォロワーさんに教えてもらった、ゴールデンボンバーの鬼龍院さんがあげていた動画が、強く心に残っている。
鬼龍院翔のぷっつんテレビ 場外乱闘編
— 鬼龍院翔(ゴールデンボンバー) (@kiryuintw) September 8, 2020
9/9 19:00〜
YouTube LIVEにて
2020年9月現在のSNSでの顔画像の使用についてお話ししますhttps://t.co/CjKxAAleMl
質問をメールで受け付けていますが動画の説明文を読んで頂き、前回のLINE LIVE動画を見れば殆どの事は判ると思います🙏https://t.co/ngveEMetwi pic.twitter.com/nqUZC5usHT
この動画は、無断転載について少しでも考えてみようと思っている方には是非フルで観ていただきたい。法律とかの堅苦しい話よりも、私たちがSNSを使っている中で起こりえる実態に沿った例などをあげて話してくれていて、とてもわかりやすかった。
その中のひとつの言葉を要約して引用させていただく。
「無断転載を法律で考えるとだいたいダメだけど、全てを否としてしまうと文化が死んでしまう」
鬼龍院さんのこの言葉を聞いて、私が感じていた違和感を知った。こういうことなのだと。
表現の自由が謳われ、ユーチューバーなど一般人でも世に出る機会が多い昨今、そういう芸術を縛るのは私もナンセンスに感じる。鬼龍院さんの言う通り、法律のままガチガチに縛ってしまったら、きっと産まれるべき才能も沈んでしまう。
与えられている法律や決まり事、それに従うことはとても大事で、決まりだからと縛ることも大事だ。でも、そればかりでは何も変わらない。変化しない。
改革は変化で、未来も変化だと思う。
だからこそ法律の抜け道や、暗黙の了解が存在している。
無断転載に関しても、法律によってガチガチに固められたものに従うと、きっと大勢の人が捕まるし大変なことになる。それでも現在そうではないのは、エンターテイメント性を担った投稿も多いからじゃないかと個人的には思っている。多くの人がいいねを押し、RTをすることにより、その作品の視聴率や経済効果に貢献しているものもあるのかもしれない。
それでも大前提として、ダメなものはダメなのだ。
私には推しがいる。
推しが出来て、推しを応援するためにどうしたらいいかをいろいろ調べるうちに、無断転載のことを知った。さらに調べた。推しの事務所は禁止していた。だから私は、無断転載はしないと誓った。
こういう投稿をすると、Twitterでのフォロワーさんが増えたり減ったりとだいたい動きがある。それは自然なことだ。いろんな考え方がある。私の考え方に納得いかない方はフォローを外して当然で、それに対しては何も思わない。自分が生きやすい環境を自由に作れるのが、SNSであるべきだと思う。
先にも述べたが、私は頭が固いので無断転載をしている方を見るとモヤっとしてしまう。気分が落ちてしまう。だからそういう方はなるべくフォローしていないし、ミュートにしている。
それでいいかな、と思っている。
Twitterをちゃんと始めて思ったのは、いろんな場所にいる方がそれぞれ私と同じ推しが好きで、その好きの形もそれぞれだということ。好きの大きさは図れないと思っているから敢えて形と表現したけど、それぞれが本当に様々な形で推しへの愛を叫んでいた。素敵だと思った。
無断転載をしている方も、もしかしたらそれが推しへの愛なのかもしれない。ある番組を観られない地方の方のための映像や画像を載せていてくれているのかもしれない。観られなかった方のために、載せていてくれるのかもしれない。
わかる。すごくわかる。その気持ち、すごくわかる。
それでもやっぱり、私は繋がれない。
無断転載は、どうしても「推しの消費」に思えてしまう。推しを利用してのいいねやRT稼ぎに思えてしまう。こんなこと書いたら反感買うだろうけど、そう思えてしまうんだ。
私は、推しを推したい。RTとかいいねとか、そんなのは関係なく推しを応援したい。現実的な話をするなら、推しにお金を落としたい。
だからフリマサイトでの転売にも絶対手を出したくないし、推しの事務所にお金が行くような形で買い物がしたい。逆に言うと、推しにお金がいかない買い物はどんなに欲しいものでもなるべくしたくない。無断転載も同じだ。推しの事務所が禁止している無断転載ではなくて、推しに利益が行くかもしれない公式のものを拡散して反応したい。
推しの利益不利益については、無断転載に限らない。
推しへのツイートをタグ付きですること。
推しの名前を出してツイートすること。
そもそも、オープンアカウントでツイートすること。
これらすべて、ものすごく責任が伴う行為なんだと勝手に感じている。Twitterでは芸能人の現在のつぶやきが見られる。推しが出ているドラマや番組の関係者のつぶやきが見られて、さらに反応できて、もしかしたら返信が来るかもしれない。それはすごく魅力的だし、SNSはファンと公式の距離が縮まる画期的なツールなのだと思う。
でも、逆に考えるととても恐ろしいことに気が付く。オープンアカウントでつぶやくすべてが、推しの関係者や友人、家族、もしかしたら推し本人の目に留まる可能性もゼロではないことに。
これは自意識過剰とかそういう問題でなく、そういうこともあり得てしまうという話だ。だからこそ、推しのファンだと名乗る以上常に推しのプラスになる発信しかしたくないと思う。自分の言葉で、推しの仕事関係者、推しに興味のない一般の方への推しへの印象をマイナスにさせるようなことはあってはならないと、勝手に大きな責任感を背負っている。私は頭も良くないし迂闊なので、気にしすぎるくらいがちょうどいいと自らに言い聞かせて自制している。
推しがもし自分の夫や子供だったら、周りから言われて嫌なこと。されて嫌なこと。また、自らを客観的に見て果たして問題がないかどうか。そういうことをすごく考えるようになった。
Twitterを始めたばかりの頃、ただ同じファンの人と盛り上がるためにしてしまったツイートや返信。果たして大丈夫だっただろうか。私たちのつぶやきは鍵をかけていない以上仲間内の交換日記などではなくて、全世界の人が見ようと思えば見られるものだ。推しに対して、不快なものやセクハラのようなつぶやきをしていなかっただろうか。またそういったつぶやきにわざわざタグをつけていなかっただろうか。心配事はキリが無くて、今は過去のツイートを見直しては削除したりもしている。そして簡単につぶやきもできなくなった。
でも、それに対してやりづらさは感じていない。先にも述べたように、私はあんまり頭も良くないし迂闊なので、慎重すぎるくらいがちょうどいいのだ。自分のリアルの生活と推し活を、バランスよくやりながら推しの迷惑にならないような発信を心掛けたい。
話を戻すが、無断転載について呟いたときにたまにDMなどで聞かれる。「駅に貼ってある広告を撮影して載せるのはどうですか?」「無料のペーパーの撮影は?」「某楽器店のあれはどうですか?」など。全てに返信している内容は「わかりません」だ。無断転載について、推しの営業や売り上げの妨げになるのが一番ダメだ。でも聞かれたもの全て、そうなるとは限らないし、もしかしたら売上アップに繋がるものもあるかもしれない。だからこその「わからない」なのだ。
結局のところ、自分の中の正義に従うしか無い。明確なガイドラインがあるなら話は別だが、きっとそれはとても難しい。例え作られたとしても次々と問題は出てくるだろうから、自らの判断で行動するしかない。もちろん事務所が否と明言し、言葉で書いているものについて違反しているのは問題外だ。でも、曖昧な部分は多くグレーゾーンも存在するのは確かだ。そこに疑問を持ち、これはどうだろうと考えることが大事だと思っている。
私は、グレーゾーンは黒だと認識して手は出さない。でも、グレーゾーンを白と認識している人に対しても何も思わない。考え方が違うだけだ。ただ、考え方が違うということは生き方も違っていて、生き方が違うということは生きている世界も違うということだと思う。
たかがネットだと言う人がいる。
ネットの世界で知り合って、Twitterというツールでフォローして、してもらって。相互だから仲良しというわけではないけれど、仲良くなれるかもしれないなと思ってフォローしている。少なくとも私は、そうしている。
たかがネットだけど、思うのだ。その向こうには人がいる。
私は結婚していて、子どももいる。毎週の休みも決まっている。Twitterでフォローしているだけの関係でも、何回かやり取りした方は私のこの生活実態を知っている。そんな中、会える方と会ったこともある。とても楽しかったし、充実した時間だった。そこで改めて感じたのだ。私が今フォローしてもらって、フォローしているアイコンの向こう側には、生きている人がいるのだと。何を今更という話だが、だからこそ私はその繋がりを大事にしたいと思ったのだ。そういう機会があって、実際に会って話したときに気兼ねなく接して、出来ればこれからもよろしくと、そう伝えたいと思ったのだ。
そんなときに無断転載を良しとする方とは、きっとどこかで齟齬が生まれる。このくらいいいじゃん? という感覚が違うから、一緒に過ごしていく中で噛み合わない。モヤモヤしてしまう。
だからこその、こういうつぶやきだ。
友達は選ぶものという言い方だとずいぶん偉そうだけど、いろんな生き方、いろんな人がいる中で、合う人合わない人がいるのは当然だから。SNSをやっていく上で、そのひとつの判断としての「無断転載」かなと私は思っている。
そして何より、私の推しも人間だ。二次元ではない、ひとりの人間だ。確かに存在していて、今を生きている一人の人間だ。私たちのように家族もいれば友人や仕事仲間もいる、生きている人だ。芸能人だからって全てをネタにしていいわけではない。私たちファンがファンだからこそ守れるものもあるはずなのだ。しっかり相手を尊重して、軽率なつぶやきになっていないか、消費するネタとして使ってはいないかを、ちゃんと考えて発信していきたい。そんなことを、最近強く強く思う。
こういう気持ちを忘れずに、これからも推しを応援していきたいな。
最後に。
このnoteでは決して法律違反を推奨してはいないし、根本的には「ダメなものはダメなんだよ」を言いたかったnoteなので、悪しからず。