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わたしのことを書こうと思う
わたしを知ってもらおうと思ったら、どうしたってわたしのことを話さなきゃならない。あんまり気が進まないけれども、頑張って書こうと思うから、少々のおかしなところや、読み辛さには目を瞑ってもらいたい。
わたしは名古屋市港区で生まれ、三重県で育った。下にひとり、一つ違いの妹がいる。妹は先天性の口蓋裂という病気で生まれてすぐ入院していたから、2歳〜4歳くらいの間はほとんど祖母の家で暮らしていた。そんなだからか、多少の名古屋弁・三重弁はあるもののほとんど標準語で話せるのは俳優を学ぶ上では楽をしたように思う。お察しの通り、幼い頃の両親との思い出はあまりない。とはいえ、とてもグレるとかそう言ったことはなくごく普通につまらなく成長した。
5歳の頃、名古屋市から三重県に引越しをした。母が狭い名古屋のマンションより戸建を欲しがったのか、父が家を買いたかったのか、理由は未だに分からない。
わたしは、とてもとても嫌だった。なぜ引っ越すのかわからなかったし、必要性も感じられないし、保育園の友達とも離れなければならなかったから。自分の部屋を持つことやそこにつけるオレンジのカーテンを両親はとてもいいでしょう、と言ったけれど、わたしは結局、家出をする21歳まで好きにはなれなかったし、未だに自分の地元は好きじゃない。
思えば、この引っ越しはわたしに大きな影響を与えているのかもしれない。
妹は相変わらず病気がちで、わがままで、のちに軽度の『知的障害者』であることがわかった。わたしは妹の入院のたび、祖母の家にいた。時たま来る父から「おばあちゃんの手伝いをしろ」などと父親面をされ、命令されることが苦痛で苦痛で仕方がなかった。
わたしはいつもほったらかしなのに。
わたしはいつもいらない子なのだ。
わたしは都合よく使われている。
いつも泣いていた。日毎、『自立』というものを覚えた。勿論、間違ったものだったけれど。
両親の仲はお世辞にも良いとは言えず、家庭は苦痛だった。
そして、詳しくはまた後述するが、高卒で働き貯金をして、
すべて自分の稼いだお金で、東京に来た。
東京は思った以上につまらない場所だと思う。わたしはここにきてこれまで以上に『孤立』と『自立』を持って生活している。
東京に来て、両親とも縁を切れば泣かずに済むかと思っていたけれど、全くそんなことはなかった。
生まれてからずっと、雨が降っている。
いつか、晴れる日は来るんだろうか。
そんなことを思って、これを書いている。