「NGOの文章術」第9回
第四権とアート
一般社団法人アクト・ビヨンド・トラスト代表理事 星川 淳
10回程度と考えていた本連載、今回が最後の奇数回になりそうで、「NGOの文章術」ならではの心得や心構えの核心に踏み込みます。本来はこの話を第1回にしてもおかしくなかったのですが、第8回までのウォーミングアップがあってはじめて通じやすくなる内容かもしれません。
第四権
まず、なぜ「NPO」でも「市民社会」でもなく「NGO」なのか――。どの回でも一読いただくとおわかりのとおり、この連載は小説などの創作系を除き、ノンフィクション的な文章表現を手がける人ならだれにでも役立ちそうなのに、あえて「NGOの」と絞ったのには理由があります。ただし、以下はいわゆる「NGO論」ではなく、あくまでも「NGOにとって書くこと」の意味を整理しようとするものです。
NGOはNon-Governmental Organization(非政府組織)の略。この「Non(非)」には政府(中央・地方を問わず)を相対化する意図が込められています。つまり、多種多様な社会課題について、政府とは一線を画したアプローチで解決をめざし、必ずしも「反政府」ではないけれど、そう映ることも少なくありません。その点、たんに「非営利」を表わすNPO(Non-Profit Organization)とは意味が異なります。また日本の場合、1998年に成立した特定非営利活動促進法に基づく「特定非営利活動法人」や、その公益版である「認定非営利活動法人」だけを「NPO」と呼ぶことにしないと、混乱を招くでしょう。
もし「政府」が抽象的すぎてわかりにくいなら、政府三権(行政+立法+司法)のうち、とくに行政府を相対化するのがNGOの「非政府」と考えてみてください。議院内閣制のため立法府議員の一部が内閣として行政機構の司令塔を担う日本では、「政府・与党」という通称が示すとおり行政府と立法府の境目がぼやけがちなところから、NGOは立法府のうち野党と関わりを深める傾向があります。しかし、「行政府を相対化する」姿勢においてNGOと野党とが接近しやすいだけで、NGOがもともと野党びいきなわけではありません。
もう一つ、NGOと仕事ぶりが似ているのはジャーナリストです。伝統的に、政府三権を監視する「第四権」とされ(近年、日本ではその大役を放棄した忖度メディアが目について残念…)、実際、社会問題の現場にNGOとジャーナリストが居合わせることは日常茶飯事ですが、NGOは問題解決のために直接介入し、ジャーナリストは介入を控えて報道に徹するという基本的な役割分担があります。ただし、最近はあえて課題解決に踏み込んだり、NGO/NPOとの連携を積極的に探ったりする新種のジャーナリズム(※)も見かけるようになりましたし、逆にNGO/NPOからの発信がジャーナリズムの色彩を帯びることも珍しくありません。その賛否はさておき、筆者はNGOもジャーナリストとともに「第四権」を構成する場合があると考えています。
筆者が代表理事を務める環境分野の助成基金アクト・ビヨンド・トラスト(abt)が、数年がかりの準備作業を経て2019年に「ジャーナリズム支援市民基金」の設立を後押しし、同基金の最初の事業である「ジャーナリズムX(エックス)アワード」を応援中なのは、NGOセクターからジャーナリズムへの熱いエールです。
NGOの救護術?!
そんなNGOの関係者が文章を書くとき、大なり小なり意識していることが3つあるはずです。
社会が抱える問題や課題の原因をつきとめ、その病根に働きかけることで解決を図る
そのため、社会的弱者・困窮者・少数者、物言わぬ生きもの、あるいは自然生態系などの側に立つことが多く、ふつうならめげそうになるところ、粘り強く希望の灯(ともしび)を掲げる。
一方、これまで問題・課題を放置し、社会的弱者や自然をないがしろにしてきたばかりか、さらに問題行動を続けようとする不正義(たいてい自分自身も含む)に対し、怒りの感情(古い言葉だと「義憤」)が湧き起こるが、それを生(なま)のままどこかへぶつけるより、活動のエネルギー源に変える。
どれも「言うは易(やす)し、行なうは難(かた)し」で、NGO関係者、とりわけ現場スタッフのストレスは半端ではありません。まして、日本では社会をより良く変えようとする努力が報われることはめったになく、ほとんど負け戦(いくさ)の連続です。ストレスが内に向かい、職場が荒れる例もあって、「NGOの救護術」が必要だと痛感します(適任者はぜひ手がけられたし!)。
いずれにせよ、NGOの文章は、なんらかの「持続する志(こころざし)」に裏打ちされていないと、伝えたい相手に届かないでしょう。その「志」を、頑(かたく)なではなく、できるだけやさしく、軽やかに、そして朗(ほが)らかに表現する“術”が問われるのです。
筆者の経験によると、鍵は“内省”です。問題を分析したうえで、その元凶と思われる人や組織を単純に責めるかわりに(うわべは責めつつ、水面下では友好的に変化を促す戦略も含め)、原因の一端は自分(たち)にもあることを常に認識しながら、解決のために協力できる場や方法を探ります。一から十まで整った解答を示せなくても気後れ無用(NGOはNon-God Organization=神様ではない!)。ともに解決をめざすプロセスや糸口が表現できているだけで、ちょっとした文章でも読み手の心を動かすかもしれません。
アートで勝負
活動の中で、NGOはときとして政府や企業と渡り合う必要があり、その気概も求められます。資金力(政府の場合は税金)も人的キャパシティも比較にならないほど大きな相手に、どうしたら太刀打ちできるでしょうか。手がかりの一つが、ビジュアル表現や文章を含むクリエイティブの領域、つまりアートです(もちろん、NGOの主幹事業をおろそかにして、アート表現でごまかそうという意味ではない!)。
なんらかのアートに携わる人ならご存知のとおり、お金が潤沢でも人手が豊富でも、すぐれたアートが生まれるわけではありません。アートの源泉は、お金でもマンパワーでもないのです。動機にしろ境遇にしろ、NGO活動の原点はアーティストに近いところがあります。だとしたら、ビジュアル表現や文章で、政府や企業に引けを取らないことは可能なはずです。
たとえば、筆者の前職であるグリーンピースは、写真・イラスト・音楽などの芸術表現だけでなく、独創的な調査・研究にも、工夫を凝らした非暴力直接行動にも、内製か外注かを問わず相当なお金と手間暇をかけます。NGOの中では寄付に恵まれた特例かもしれませんが、他のNGO/NPOでも持てる資金的・人的リソースの向け方しだいで、政府や企業の上を行くアート表現に手が届くでしょう。
国内NGOから、近年の実例を2つご紹介します。
認定NPO難民支援協会が手がけるウェブマガジン『ニッポン複雑紀行』は、気鋭の若手ライター・編集者である望月優大(ひろき)さんを外部から編集長に起用し、地味になりがちな難民支援の分野でおそらくはじめて、一般の人でも次回を待望するような読みごたえのある文章、見ごたえのある写真をシリーズで届けることに成功しました。直接のおつきあいがないので内部事情は知りませんが、思いきってお金と人材を投じることで、同協会の認知度・信頼度を上げ、寄せられる寄付の増加による財源強化にもつながったのではないかと推測します。このウェブ連載から、初の書籍『密航のち洗濯』(柏書房)も生まれました。
日本においてグリーンピースと並んでエッジの立った国際環境NGOである認定NPO FoE Japan(Friends of the Earthの日本支部)は、イラストレーターの鈴木邦弘さんが2011年3月の東京電力福島第一原発事故後に福島県をのべ250km歩いて描いた絵本『いぬとふるさと』(旬報社)から、同団体のウェブサイトなどに作品を転載し、NGO/NPOとしてのイメージアップに活かしています(一例)。
これらはほんの一例で、組織の内外から才能を掘り起こしたり、アートに限らず他分野とのコラボレーションを試みたりすることは、NGOらしい強みとなり、政府や企業をしのぐ社会訴求を可能にしてくれるかもしれません。そして、文章表現はその重要な要素なのです。
もっと文章の“術(アート)”を磨こうではありませんか!
次の記事> 第10回「残りのエトセトラ」はこちらから
前の記事< 第8回「ネコは日向ぼっこしたり」はこちらから