「NGOの文章術」第6回
音楽としての言葉
一般社団法人アクト・ビヨンド・トラスト代表理事 星川 淳
“心得”と“技法”を交互に取り上げる順番から、今回は再び技術的な話です。とはいえ、連載を書き進めるうちに、“心得”と“技法”はすんなり分けられるものでもないことがわかってきました。
読点で息を継ぐ
言語の発生が音楽(歌)の発生と近かったかどうか、学術的に裏づけるのは意外と難しいようですが、筆者にとって文章はまぎれもなく音楽です。書き言葉を音楽と捉えることは、良い文章を書く必須条件ではないかもしれません。しかし、これからご説明するとおり、文章を音楽と捉えるメリットはいくつかあるはずで、いままでそう考えたことのない人も、ぜひ参考にしてください。
まず「息」です。この連載のテーマは文章を書くことですが、やはり言葉である以上、書かれた文章を読み上げるイメージは持っていたほうが良いと思います。書きながら読み上げたり、書いたものを読み上げたりする必要はありません。書きながら、あるいは書いたあと、読み上げるイメージで黙読するのです。おそらく、多くの人は教わらなくても自然にそうしています。
そのときのキモが「息」です。黙読の中に息継ぎが感じ取れたら、そこに読点(とうてん=「、」)を打ちます。文章が息をつく――筆者はそれが読点の第一機能だと考えています。したがって、どこにどれだけ読点を打つかは人によって異なります。息が長い人も短い人もいますし、どこで息をつきたくなるかも人それぞれです。同じ人でも気分が違えば、息継ぎの場所が変わることはありえます。筆者の場合、同じ長さの一節でも、それだけで独立・完結している(文末が句点「。」で終わる)と読点をはさみたくなるのに、もっと長いセンテンスの一部だと読点は不要と感じるのが好例です。ようするに気のせいなのです。「息」と「気」の深い関係……
とはいえ、標準的な息継ぎの場所がないわけではなく、そこに読点が打たれることが多いです。一方、あまり頻繁に読点が入ると、脳内黙読がブツブツ切られてしまい、筆者は息苦しくなります。また逆に、読点が一つも入らないまま延々と続くセンテンスを読むと、どこかに休みがほしくなります。ある意味では「目が息をしている」のかもしれません。
読点で誤読を防ぐ
読点にはもう一つ、意味を明確化し、誤読を防ぐ機能があります。余談ですが、この話題を取り上げるにあたり、連載に監修協力いただいているベテラン編集者に勧められたのは、戦後屈指のジャーナリストにしてルポライターの一人、本多勝一さんによる『日本語の作文技術』(朝日文庫)でした。筆者の書棚を探すと、古びた初版(1976年)の第14刷があって驚きました。題名は知っていたものの、読んだ記憶がなかったのです。同書は、この連載よりはるかに広く深い視野と経験のもとに書かれており、関心があればぜひ参照してください。筆者は今回、影響を受けすぎないよう、改めて読むことは避けました。
ただし、本多さんが同書で読点の説明に挙げる文例はとてもわかりやすいので、下記に引用します(元々は金田一春彦著『日本語』に永野賢氏の挙げた例とのこと)。
読点で目を休める
さらに、読点には三つめの機能として、漢字やひらがな・カタカナが続きすぎるとき、文意を明確化しつつ“目休め”に打つことがあります(→で示す2行目が改善例)。このような場合は、上述の息継ぎとしては短すぎても読点を打つ価値があります。「正解」のない文章術の世界では、打ったほうが親切、打たずに読み手の読解力に任せるのもまた良し、というところでしょうか。
読点の話からは脱線しますが、「息」を取り上げたついでに、センテンスの長さもその人の呼吸と関連していると思います。たとえば、筆者の書く文章は数行にわたる長いセンテンスが多く、一般にはもっと句点を入れてセンテンスを分けろと教えられます。しかし読点と同様、あまり短く句点でブツブツ区切られた文章も、筆者には息詰まるように感じられて、つい長くなります。若いころから呼吸法に親しんだり、素潜りで海中散歩したりしたせいか、個性なのでしかたありません。しかし、スマホ世代からは「長いセンテンスは文意が追えない」とダメ出しされてしまい、要反省です。
リズムを感じて
文章について音楽や息に触れたら、リズムを取り上げないわけにいきません。読点や句点も、ある意味ではリズムを刻んでいるのですが、ここではリズムが悪い例をいくつか挙げ、前回ご紹介した自己点検の参考にしていただきます。
筆者がよく指摘するのは、「~の~の~の~」の連発です。2回までは許しても(自分ではそれもなるべく避ける)、3回以上の重複は容認しないので、スタッフからは呆れられているでしょう。百歩譲って、自覚したうえでの連発ならまだしも、無自覚の連発だとしたら、ちょっと気をつければいくらでも言い換えができるものです(→で示す2行目が改善例)。
そして、リズムといえば文末の結び方も重要です。極端な例では、学術論文などでほとんどの文末が「である。」で終わっているものを見かけます。これは論文なら問題視されないのかもしれませんが、一般にはいくつか異なる文末の結び方を適度に使い分けると単調さを避けられ、リズムが良くなります。“である体”なら「~ない。」や「~だろう。」、“ですます体”なら「~ません。」や「~でしょう。」をたまにはさむのも一考です(さらに奥の手もいろいろ)。以下、“である体”と“ですます体”の文例をどうぞ(2段目が改善例)。
このくだりを書く際にネット検索して、前者を「常体」、後者を「敬体」とも呼ぶのをはじめて知りました。 一生、勉強です(汗)!
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