The Lost World : 空き家に残された物語と向き合う
Takeshi Okahashi
日本全国で空き家、空き土地(ばかりか未登記の家や土地)が増えている問題は、ACTANT FORESTにとっても気になる問題だ。僕たちは、都市における空き家、空き地を小さな森にしていくことで、その地域の生活の質(QOL)を高め、新たな都市と森との関係を築くことができるのではないかと考えているからだ。
そんな話を同じオランダ在住の日本人建築家の知人にもしていたらしく、その知人の紹介で、日本の空き家をテーマにした写真集をつくったばかりのオランダ人フォトグラファーと知り合うことになった。
オランダ、ユトレヒト在住の写真家でありアーティストであるMaan Linburgは、初めての日本への旅で「空き家」に出会った。素晴らしい景色、心優しい人々との出会いが強く印象に残ったそうなのだが、それ以上に、彼女は、空き家の持つ不思議な魅力に惹き込まれたという。そして、2018年、2019年の2度に渡って日本各地を巡りながら、うち捨てられた家や建造物の写真を撮った。それは興味本位からの行動であり、元々は写真集にするつもりもなかったそうだ。それが、コロナの影響もあり、ぽっかりと時間が空き、趣味で撮りためていた空き家の写真で写真集をつくろうと思い立ち、クラウドファンディングに挑戦したという流れだ。
そうして出来上がった写真集が、『The Lost World』だ。彼女にとって初めての写真集だ。
彼女の写真を見ていると、空き家に対して感じた彼女の衝動が伝わってくるようだ。どうして、こうなってしまったのだろう。どうして、こんなに家や建物がそのままにされて残っているのだろう。ここにいた人はどんなことを思い、どんな暮らしをしていたのか。立ち去る時は、どんな気持ちだったのだろう。今は何をしているのだろうか。そんなことを考えながら、打ち捨てられた家や場所と向き合い、シャッターを押したのだろうということが写真から伝わってくる。
かつてそこにあった暮らし
あたりまえだが、空き家は、かつて誰かが住んでいたり、暮らしていたところだ。しかし、空き家になってしまった後には、そのあたりまえの事実に思いを馳せる人は少ない。僕もそうであった。日本には、空き家がたくさんあり、その数がどんどん増えていることも知っていたし、実際に目にしたこともある。しかし、その空き家をじっくり見てみようとか、そこにあった暮らしに想いを馳せたことはなかった。2013年の調査では、日本全国に約820万戸の空き家があると言われ(賃貸用の住宅やアパートの部屋も含めた数字だ)、自身で相続した家でさえそのまま放置して、崩れ落ちるままにしている人も多い。空き家は、そのくらい関心が持たれていない存在だ。
Maanが撮った写真からは、それぞれの場所が持つ固有性が立ち上がってくる。持ち主への配慮もあり、明確に場所は示されていない。それでも、どんな営みがあったのかを想像することはできる。彼女は、持ち主やかつての持ち主に対する礼儀として、写真集の中でそれぞれ写真が撮られた場所や地域を明記していない。場所や写真についての情報量が少ないことが、逆に想像力をかき立てられる。
そして、先日、同じタイトルの写真展のオープニングと写真集のお披露目会を兼ねたイベントに参加し、彼女を紹介してくれた知人とともにショートスピーチをしてきた。知人は建築家なので、建築家の視点から話をし、僕は自分の親や祖父母の歴史と絡めながら、戦後日本社会の大変化について話をした。
日本で空き家が増え、管理もされず、大変なことになっているというのは、ニュースでもたびたび目にしていた。自分の祖父母の実家(祖父が育った家だ)がある中山間地域には、幼い頃から夏休みの度に通っていたので、その衰退も目の当たりにしていた。
しかし、空き家そのものについてじっくり眺めたり、ましてや中に入ってみようと思ったことはなかった。だが、この写真集では、さまざまな空き家の様子を見ることができる。当然だが、写真の中に出てくる空き家に人はいない。全くいない。なのに、そのままになっている家具やキッチン道具、何とはなく置かれている文房具から、そこで暮らした人たちの物語を想像させられてしまう。儚さや懐かしさ、困惑や不思議さ……などさまざまな感情が訪れてきて、混ざり合う。明確な場所は明記されていないが、なじみのあるイスや食器、電化製品などから、何となくの地域性や時代が推測できる。日本で育った自分だからこそのノスタルジーだ。
どうしてこうなってしまったのか。人口減少や災害、仕事、家庭の事情など、理由はさまざまだ。明らかに災害だなとわかる写真もあった。しかし、住む人がいなくなる。経済が回らなくなるというのは、いったいどういうことなのか。自分でももう少し、調べたくなってしまった。
地方から都市へ:戦後日本の人口大移動
そこで、日本の戦後史に関する書籍(まずは手元にあった小熊英二の『日本社会のしくみ:雇用・教育・福祉の歴史社会学』、そして人口減少についてもっと知りたくなって田中輝美の『関係人口の社会学:人口減少時代の地域再生』を手にとった。どちらも良書だ。)をパラパラとめくった。
実は、写真集の中にも、ライデン大学日本語学科卒(ヨーロッパ最古の日本語学科だそう)で日本にも留学経験があるJosephine Smitによる「空き家問題」についてまとめられた素晴らしいエッセイが添えられている。丹念に調べられたエッセイに、日本の空き家問題に関連する情報はだいたい網羅されている。それでも、写真を眺めるうちに自分でも調べたくなってしまったのだ。
僕が最も驚いたのは、『日本社会のしくみ』と『関係人口の社会学』のどちらの書籍にも引用されていた、1955年あたりから15年ほど続いた激烈な都市への人口移動を示すグラフだ。
1950年代後半からの高度経済成長期の日本では、とてつもなく多くの人たちが移動した。日本史上最大だったはずで、もしかしたら人類史の中でも特異なほどに過激な人口の移動だったかもしれない。例えば、1962年には120万人の人々が大都市に流入したそうだ。3大都市に限っても65万人を超えている。その年、東京は約40万人を受け入れている。そして、自分の両親も、祖父母とともに1960年代に東京に移り住んでいたことも思い出す。
東京都民の多くは、かつていた場所を離れてきた人たちだ。そして、そうした人たちがいた街の少なくない数が、過疎と言われる状況になった。ここまで人口が移動してしているのだから、こうなることは当然の結果とも言える。これまで、政府もこの過疎問題(と都市の過密問題)を認識していなかったわけではない。何度もどうにかしようとしてきた形跡が「全国総合開発計画」や「特別措置法」などの歴史に垣間見える。しかし、そうした対策はことごとく効果をもたらすことができなかったというのが正確な要約のようだ。
写真集『The Lost World』のお披露目イベントで、僕は高度経済成長期の激烈な人口の移動についての数字を紹介しつつ、東京移住3世として自身の家族史も絡めながら、話題を提供した。日本に育ち「空き家」の問題をそれなりに身近に感じていた自分にとっても、Maanの写真から気づかされることは多く、特に「空き家」が単なる「空いた家」ではなく、かつて誰かが暮らしていた場所だったということを強く考えるようになった、と話した。老若男女50名ほどのオーディエンスが、真剣に聞いてくれている眼差しが嬉しかった。後で聞いたところによると、半数ほどがクラウドファンディングのサポーターだったそうだ。
空き家とACTANT FOREST
トークの最後には、ACTANT FORESTの活動も紹介させていただいた。なぜなら、空き家や使われなくなった土地を緑に、森にしていきたいというのが、僕たちが思い描いている未来の1つだからだ。
実際、Maanの写真集『The Lost World』から受け取った気づきを、ACTANT FORESTの活動にも活かしていきたい。それは、その土地が持っている記憶や物語に、もっと耳を傾けていきたいということだ。
例えば、僕たちが、都市郊外の使われなくなってしまった土地を森にしていこうとしたとする。その時に、その土地の特徴を調べ、植生を選び、多くの手間をかけずとも最適に育っていく森をデザインしていくことが、もちろんベースとなる。そして、それだけにとどまらず、その土地にかつてどんな人たちが暮らしていて、今どんな人たちが暮らしているのかといった、その土地に関わる人たち(と生物)の営みや物語に、もっと耳をすまし、もっと深く想像の幅を広げていくべきなのだと思うようになった。
空き家や使われなくなった土地は、人間活動や経済活動という側面で見れば、価値を失い、人も住まなくなった『The Lost World(失われた世界)』なのかもしれない。しかし、Maanの写真がその失われた世界にほのかに残る記憶や物語をすくいあげているように、僕たちなりの視点でその土地の歴史や記憶、そして自然(生命)との関わり合いに目を凝らし、耳を傾けることで、単に「緑を増やす」のではない、文脈を持った場所をつくっていくことができるのだと思う。その文脈とは、人にとってだけでなく、人以外の植物や動物、昆虫、微生物にとっての文脈でもある。そこに人がいようといまいとも、そこに何らかの生命はあり続けるからだ。
たとえ空き家や空き地であったとしても、その土地に目を凝らし、耳をすませていけば、「失われた世界」は、ふたたび命が躍動する場となって甦る。そのイメージをもっともっと膨らませていこうと思う。
追記:Maanから写真集が、CNNのニュースにも取り上げられたと教えてもらった。