しあわせなおばけ
せなけいこさんの記事を見かけて、読ませていただいた。
"なぜ子どもはこんなにも「おばけ」が好きなのか
せなけいこさんが語る、子どもとおばけ"と言う記事だ。
おばけと幽霊と。
せなさんのおばけはちびっこ目線から捉えていらっしゃる、と感じる。
エルマー の前園さんも以前仰られていた事の中に、こどもにとっての絵本とはハッピーエンドであるべきだと言う信念を垣間見た事を思い出した。
まさに、私もそう思う。
昔話などには厳しい終わり方や教育的内容で終わるものもあり、実際グリムにしても日本の昔話にしても、最近は円満なラストに改変されていたりして、その事には必要性があるのかと感じる事もある。
何故なら、それには厳しく語られる事で伝わる事を伝える役割があるとも考えているからなのだけれども。
ただ、新たに語る物語は、幸せであり希望を最後にそっと置いて終わる物であって良いのではとも思う。
"読んだ後に子どもがうなされるようではダメなんです。だから私は家族が死んでおばけになる、というお話は書きません。"(記事内抜粋。せなけいこさんの言葉。)
新たに語られる物語が幸せであれと願うのは、まさに子どもに対して一番身近な存在を失わせ、おばけにしてしまうと言う物語に対する恐怖を私が覚えたからでもある。
これは、暴力的ではないか、と。
自分の安全地帯をしっかりと確認する事が大事な年代に、敢えて絵本の上であっても、自分の安全地帯が失われる恐怖を突きつける事は、果たして必要なのか。
何かにつけて考えてしまう。
現実を知るのは大切。
ただ、それはしっかりと自分の土台を組み上げ、安全地帯を複数成り立たせてからでも遅くはないのではと今のところ考えていて。
絵本によく題材となるおばけが、子どもさんの心の土台をぐらつかせてしまう必要はない筈。
おばけは、ユーモラスで愛嬌があって、なんだか子どもさん達と似た失敗もしてしまう、お友達になれる気がする。
でも、たまにやっぱり怖いかも?
そんな、子どもさんに寄り添う幸せな、せなさんのおばけが大好きだなぁと思い、今日も『おばけいしゃ』に手を伸ばすのです。