時間差読書会。ハンナ・アーレントの3回目、『革命について』

本の感想を投稿して、興味のある方からコメントをいただいて、というのをnote上でやりたいです。
この本について、また私の投稿についてnoteに(他のブログ等でも、もちろん可)書かれたらお知らせください。読ませていただきます。
そして、構わなければコメントさせていただくかも知れませんし、それを含めてまた投稿するかも知れません。
そうやって、やりとりが続くと楽しいなぁと思います。
すぐでなくていいんです。気が向いたときにコメント、1年後でも、2年後でも、それ以上でも。

はじめに

アーレントについての投稿は、自分で本を読んでの感想ではなく、読書会に出て、お喋りを交わしてた上で思った事なので、毎回そういう説明というか言い訳を書かず、表題にわざわざ脱線と入れずに、そういう内容として書く。今回も読書会に出て、面白かったので、記憶が薄れないうちに、他にやる事あるけどいいのかなー学校の課題が昨日から第5週に入ってるのに、まだ第4週を読んでるのにと思いつつ、書く。

読書会での箇所、第6章をふまえて?

そもそも私の出ている読書会は、指導者が字面を解説していくのでなく、内容を理解する助けになるように、参考になるようなお話を交えて‥指導者を中心に参加者も時折口を挟んで‥ゆっくりゆっくり進んでいく。
だからって、私としては疑問や疑念が解消される訳ではない。引っかかるトコロがいっぱいある。そして記憶に残るのは、読書会に出ていて引っかかった点だ。なので、これから書くのも、本に書いてある主要な論点ではなく、あくまで自分の印象に残った事になる。

「公的領域」と「私的領域」

どちらかというと、読書会第一部の、本を片手にでなく、第二部の食事しながら、第三部の飲みながら交わした会話の内容だ。もちろん読んだ人が個人特定されることはないと思うので、酒飲みながら‥失礼ながら、真っ赤になっていらした‥の話だし、半分ディスりも入っていて申し訳ないが、書いてしまおう。

・第一部の、本の解説中心で話されたこと
食べていくのと関係のない、「公的領域」について、第一部で、指導者からはそれが大事なんだ!みたいな事を話された(と思う)。
に対して、今回は私の待ち望んでいた反論する人がともかく現れて、現実に資本主義の世の中で生きてるんだから、資本主義の下で搾取されるのが嫌なら起業すれば良いんだよ、と。
→つまり、社会について話し合ったり、決めたりするのに、自分が食べていくことを絡ませてはいけない(「公的領域」)んでなく、各々が食べていくための利益のぶつかり合いとして行えば(「私的領域」)いいってこと?

・第一部を聞いていて
聞いていて、自分としては釈然としなかった。
いやいや、自分の職場について書くと、どんな風に仕事するか話し合ったり、決めたりする‥全く1人で仕事してるのでもない限り、どこの職場だってあるように。そして議論の内容は切実だ、だって自分たちが食べていくことと、良い仕事をすることの、どっち寄りで行くかだから。
これは、私の理解では完全な「私的領域」にも、完全な「公的領域」にも当てはまらない。でも指導者の説明では、その二つしかないみたいじゃないか?

・第二、三部の、飲んだんり食べたりしながらのお喋りで言われたこと
なので第二・三部で、自分の思いを言った。それに対して、指導者が二分法で話したように聞こえたのか? それは、どっちでもない自分の気持ちを汲んでくれないという感傷というか怨みではないのか?、と返された。

・第二、三部での対話をふまえての感想
一つには指導者は二分法ではなく、別の話の流れの中でその中間についても話していたし、二分法の流れになったのは指導者だけの責任でなく参加者が発言しなかったからでもある‥といっても、指導者はなかなか口を挟ませてくれない(ように私には感じる)。
「公的領域」でも、「私的領域」でもない事を、参加者は様々に体験している筈だと私は思うし、指導者の圧をはねのけてでも(?)、それを発言すべきなんじゃないのかな?

なので、第一部での話の流れが二分法になったのは事実であって、私の感傷だなんて不当な指摘だったと思う。ただし、その場で二分法になった責任を指導者に負わせるのもダメかも?

あと確かに指導者は、その議論とは別に、(私からみれば)、「公的領域」でも「私的領域」でもない、議論や意思決定の場として、ロバート・オウエンの生活協同組合その他の活動を話していた。だけど私は後で思い出してみるまで、それが二分法でない第三の話だと認識できなかった (そんなアホは私だけなのかなぁ😭)。やっぱり二分法になったその流れのときに、参加者が口を挟むべきなのでは? 

ついでに、私は「公的領域」「私的領域」について、自分の理解が正しいのか、よく分からないのだ。そういうことって黙って聞いていて回数を重ねて参加するより、参加者がてんでに発言した方が理解が進むのじゃないかと思うのだけど?
結論として、私は思った通りに発言させてもらう❗️

資本主義、社会主義、共産主義って何か?

今回の読書会で、それらが何かを明確に理解しないまま発言したのを、バッチリ突かれてしまった。で、改めて考えてみたのだけど‥。

・読書会の第二、三部で指摘されたこと
その三つの主義が自分の人生にどう影響しているか、自分の関心はずばりそこだ。私は自分の身の回り以外に、関心がない。で、こういうやりとりがあった。

私の発言→ 自分の人生が成り立ってきたのは、資本主義のおかげだ。
相手の返事→ 資本主義のおかげでなく、世代的に経済成長の恩恵を受けてでないか。

・その三つの主義の、個人の人生への影響
私の理解としては、社会制度を決める基準はそれぞれの体制を発展させるように決められる。
教育、医療、福祉は、資本主義なら資本主義をより発展させるように、以下同文、決定される。なので、個人への影響は大きいし、個人によって影響の仕方が違う。
‥経済成長は修飾因子ではあるけど、その三つの違いほど影響が大きくない。

・指摘されて、考えてみたこと
私の場合、経済成長は影響してるけど、他の要素、つまり資本主義の比重が一番高いのじゃないかなと思う‥なかでも、自分の人生に大きく影響している、教育についてがそうだ。教育というか、教育における選別が資本主義的だったのが私には有利だったと確信している。
自分の考えでは、教育における選別が資本主義的になされる=カネを稼ぐ能力が高いかという基準で行う、社会主義・共産主義的な選別=社会主義・共産主義を維持する能力が高いかという基準で行う‥例えば、北朝鮮では良い成績・良い進路を得のは、革命に貢献した家系で、態度も共産主義思想に(または金王朝に?)従順な人だと聞く。

もし私が北朝鮮に住んでいたら、良い大学どころか、とっくに強制収容所行きだろう。従順て私のどこを探しても出てこないし、社会秩序を守るどころか揉めさせる方だ、犯罪を起こさないのがせめてもだ。
高校受験は内申書にきっとひどい内容が書かれていたと思うけど、おそらく稼ぐ能力をみるペーパーテストのおかげで受かった。
大学受験には面接があって、内申書が悪かったか、態度が悪かったか、あんたはこの大学を卒業してもきっと良い仕事はできないと面接官に言われた。それでも公立だから、きっと落とす訳には行かなかったのだろう、受かった。ずっとたってから私立大学出身の同業者と話していたら、態度の悪い奴は落とされると聞かされた‥あれ?、私立大学の方が資本主義的だろうから、資本主義的選抜をされたから私は有利だともまんざら言えないかな? しかし社会主義、共産主義国の大学なら、私は受かってないと思うしなー。

ま、しかし選抜という点以外の、教育の費用でみれば、私のときは1年で30万いかなかったので、これは社会主義的な教育政策の恩恵をこうむったといえるかも。

・終わりに
アーレントは「公的領域」「私的領域」で資本主義も批判してるけど、共産圏の全体主義も批判してるらしいので、言ってることを理解するには資本主義や共産主義をよく分かってる必要があるんだなと、あと自分はその知識があやふやだなーと強く思った。




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