時間差読書会。1976ソ連戦闘機の、函館へ強行着陸・亡命事件

本(やwebページ等)の感想を投稿して、興味のある方からコメントをいただいて、というのをnote上でやりたいです。
この本について、また私の投稿についてnoteに(他のブログ等でも、もちろん可)書かれたらお知らせください。読ませていただきます。
そして、構わなければコメントさせていただくかも知れませんし、それを含めてまた投稿するかも知れません。
そうやって、やりとりが続くと楽しいなぁと思います。
すぐでなくていいんです。気が向いたときにコメント、1年後でも、2年後でも、それ以上でも。

概要(上のニュースより)

1976年9月6日、ソ連から飛んできたミグ25戦闘機が日本の防空網をかいくぐって、函館空港に着陸した。
操縦していたビクター・ベレンコ中尉29歳は、駆けつけた日本政府の担当者にアメリカへの亡命希望を告げた。

(他の記事より)
ソ連政府は、直ちに戦闘機を返却するよう日本政府に求めたが、日本政府は外交慣例に基づき機体検査を行ってから返却するとした。

(上の記事より)
ソ連のブレジネフ書記長は、函館に特殊部隊を送ってミグ25を破壊する計画を立てた。
対する自衛隊は政府からの命令のないまま戦闘配備をした。
しかしソ連は実際にはアメリカの報復を恐れたので、函館に攻めては来なかった。
自衛隊の動きは、函館駐屯地の公式記録に、ただの「駐屯地警備訓練」として記された。

この事件をめぐる問題の提起

検索すると、「日本政府が自衛隊に出動命令を出さなかった」ことと、「自衛隊が政府からの出動命令もないのに、陸上幕僚長から函館駐屯地の司令に口頭で指示を出し、司令が隊員に「第三種勤務」という待機命令を出し、高射砲と戦車に実弾を装填させた」ことの双方が、それぞれの立場から問題としてあげられている。

函館駐屯地の高橋永二司令(当時)は、2006年のインタビューで語った。
「陸幕長からもしもソ連軍が攻めてきた時は一人も生かして帰さないと言われた」、その指示はすべて口頭だった。
また高橋元司令は言う、「命令にこだわらない状態だった。命令にこだわらない。国が攻められた時に闘うのが自衛隊。そう思って何十年も務めている。そういう気持ちなっているのは自然だと思う」。

感想

日本政府が自衛隊に出動命令を出さなくて、良かった❗️

逆に、自衛隊が政府の出動命令もないのに動いたなんて論外❗️ 第二次世界大戦のときの関東軍と同じじゃないか、やっぱ自衛隊って名前に変わろうと呆れ果てた組織であるのは変わってない‼️ 戦闘配備の命令をした一番上は誰なのか、陸上幕僚長か? もしもソ連が函館に攻めてきたら、どんな対応をするかによって国民がどんな不利益を受けるかは変わってくる筈だし、それを勘案して対応を決めるのが陸上幕僚長であって良い筈はなかろう⁉️ 文民であろうとなかろうと、対応を決めるのは内閣総理大臣を含む政府でないとまずかろう⁉️
政府の決定が不満だからって自衛隊が勝手に動くんじゃ、怖くてしょうがないよ。

自衛隊の動きを「駐屯地警備訓練」として記録したのも大問題だ。政府の命令なしに自衛隊が勝手に動いた大不祥事だったのだから、徹底的に追及して、実効性の再発防止措置をとらないといけなかった筈だ。
それをしなかったから、海外に派兵して問題が起きた時も事実をうやむやにする悪例になってしまったのだ。派遣されて酷い目に遭った自衛官は良い面の皮ってとこじゃないか? そりゃ自衛官を志望する人も減るだろうよ。

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