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202101210315 目的はいずこへ
目的を見失いがちだ。
仕事でもそうなのだが、そう言う話は濁しておこう。
最近は仕事への思いしか述べられてないからこそ、それ以外の考え事をしたい。
なんなら今ここに書いている事すら書き出した時の思いでは無くなっている。
「書きたい」と思った理由と「書き進めたい事」が乖離してるのだ。
それは、忘れっぽいからだろうか。
結果として、取り留めのない不出来な形の文章が出来上がる。
今までの人生の全てが前の段落で伝えた事を繰り返し、フラクタルのように大きくなっただけのように感じている。
僕の人生は全てあっちこっちと寄る方もなく放浪している。
ふと思い出すと、なんで今ここに居るんだっけ、何のためにこの組織/大学に来たんだっけ、と思ってそれすらもすぐ泡沫の様に消えていく。
だからこそ、恒常的な進歩が見込めないのかも知れない、その時その時の情動に身を任せて生きるだけでは。
そして、その生き方は歳をとればとるだけ新しさも薄れゆく事で荒波の如く大幅な情は湧かなくなっていくのではないか。
人の芸術性は若さ故に強くあるのではないかと感じる事がある。
だとしたら、この忘れっぽさはどう作用するのだろうか、いつまでも新しさを伝えられるのか、
あるいはーー感覚としての記憶は持っているために何も覚えていないのに何も感じない。
そんな悲しい大人になってしまうのではないか。
忘れっぽくなくなればいいのか、賭けてみるか。
僕は道とゴールを決めて、目的を定めて選ばなくてはいけないのかもしれない。
p.s. 中身としては全く別だが、IT系でもプログラミングの毛色が強い仕事をしようと思った時がある。
ただ、今の若い世代は幼少期からプログラムを組み、AIが簡単なところなら自動化してくんじゃないかと言った話も上がってる。
そんな中で自分が将来戦っていく事を想像した時にプログラマー側に行きたいけど、その土俵では劣勢である事を感じている。
将来の二者択一、自分がどの様になるかの想像という共通点にのみ重なる想いがあったためしたためた次第である。