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【王将戦】羽生九段の勝利と年齢について考えてみる



1.羽生九段が会心の勝利

 1月21~22日にかけて行われた王将戦第2局では、羽生善治九段が、藤井聡太王将(竜王・叡王・王位・棋聖)に勝ちました。これにより対戦成績は1勝1敗のタイとなりました。まだまだ先が読めませんね。


 私はこの対局の中継観覧権を買っていませんでしたので、残念ながら棋譜と解説のみでの観戦になりましたが、それでも十分に楽しめる内容でした。対局のペースづくりといい、時間配分といい、羽生九段が完全につかみ続けた会心の一局のように素人目でも見えました。


 羽生善治九段は1970年生まれの52歳、対する藤井聡太王将は2002年生まれの20歳。歳の差32歳差かつ、平成将棋界の第一人者と現代将棋界の第一人者によるタイトル戦ということで開幕前から話題になっていました。

 ただ、プロの世界では体力的にも気力的にも若いほうが有利と相場が決まっています。また、タイトル戦でバリバリと戦っている伸び盛りの20代と、全盛期は過ぎて大御所の領域に差し掛かった50代とでは勢いに差があるのは明白で、世間の羽生九段に対する評価は難しいものがありました。

 しかし、本局ではそれを吹き飛ばすような会心の戦いぶり。これはもしかしたらもしかするかも?と思わせる勝ち方でした。



2.衰えは年齢じゃないかも

 このように、50代になっても引き続き第一線で活躍をされている羽生九段の姿を拝見すると、勝負における「衰え」は、年齢に寄らないかもしれないと思わされます。

 もちろん、歳を重ねることによって体力的・頭脳的に衰えるのは「生物として」あることだと思っています。しかし、その衰えが勝負のすべてを決めてしまうものではないのでしょう。そうでなければ、何事も若ければ勝ちになってしまいますから。もちろん、生物的な個人差もあるでしょうが、それ以上の差を何かが生んでいると考えられます。

 では、この差を生む要因は何なんだろうと考えてみると、新しいことにも挑戦し続けようという心意気かもしれないなと思いました。実際、羽生九段は最新の戦法も研究しておられ、成果をあげておられるようですから。


 ではプロの世界だけでなく、日常生活にも焦点を当ててみましょう。

 私が窓口対応をしていると、10代や20代に負けないアクティブなシニアがおられる傍ら、感情を失って衰えが見える若者もちらほら。日常生活においても年齢だけでは語れない「衰えの差」が垣間見えます。この差はどこから生まれるのだろうと考えることしばしば…。

 私の実務経験から推測するに、「年齢」を言い訳にしない心掛けが大きいかなと思います。実際、衰えを感じる人からは「歳だから」「高齢だから」という前置きをよく聞きます。一方、元気な人からはそういった言葉はほとんど聞きません(冗談で言う方はおられますが)。

 結局自分を衰えさせるのは自分自身だということなのでしょうか。


 私も25歳を過ぎたあたりから、10代や20代前半の頃にはなかった体の不調や疲れが表れ始め、最近はもの忘れっぽさもポツポツ出始めており、生物的な衰えを感じ始めています。しかし、その衰えを言い訳にすることなく、心は常にフレッシュに、生き方も若々しくありたいものです。


 羽生九段、第3局も頑張ってください。

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