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情報発信の可能性をビンビンに感じる



1.書いた記事がメーカーさんに届く

 皆さんこんにちは。先日、食洗器に関する記事を書いたところ、食洗器のメーカーさんからスキ!をいただきました。ありがたいことです。


【食洗器の記事】

 情報発信の醍醐味は、何気なく書いた記事があらゆる人(場合によっては直接関係する人)の目に留まり、そこからつながりが生まれていくことですよね。

 かくいう私、中学生からブログで情報発信を続けていて、ブログを通じて親友ができたりもしていますから、無限の可能性を感じますよね。もちろんメリットだけではなく、リスクもあるので危機管理は欠かせませんが。

 これからも誰かに気づいてもらえるような記事を書けるよう精進していくつもりですので、どうぞよろしくお願いいたします。


 ちなみに、サンコー様が公式で商品紹介の記事を書かれていますので、ご参照ください。私が購入した食洗器は3位に載っています(ネタバレ)。

【サンコー様記事】



2.情報発信の必要性

(1)情報発信は必要

 どこぞのインフルエンサーやYouTuberなんかにこすられまくった表現かもしれませんが、個々が情報発信をすることは意味があると私も思います。

 人間は情報の蓄積によって発展してきた生物だと思いますので、その一助となるのは有意義なことだと思います。あと、情報を発信することによって発信する側の立場に立てるというのも大きいことだと思います。情報化社会といわれる現代に生きる以上、その「情報」に関わり、扱えるように経験を積むことは必須だとさえ思います。

 ということで、動画、音声、文章、作品など、手段はなんでもいいから、他者へ向かって情報発信をしておくことをおすすめします。


(2)動画は向いてなかった

 そんな感じで、情報発信をする意義を感じており、ここ数年はYouTuberになりたいというまるで小学生のような夢をもっていた私ですが、残念ながら動画制作には向いていなかったようです。

 実は、47都道府県制覇の道中は動画も撮っていたんですよ。Vlogみたいな仕上がりにしてアップロードしてやろうかと意気込んでいたのですが、帰阪してから動画を見てみたらとても人様に公開できるようなものではなくて、全部ボツにしたという経緯があります。

 そして、前半での撮れ高があまりにもショボかったので、後半戦はモチベーション自体が下がっており、動画自体をほとんど撮りませんでした。

 映えスポットに行くでもなく、ただただ移動を続けるだけという企画内容にそもそも問題があったような気もしますが、動きのある世界のなかで一発撮りして、人の心を掴むものを作る才能はありませんでした。

 とはいえ、動画配信をする夢は諦めきれていませんので、引き続き最低限の撮影技術を勉強しつつ、動画撮影や動画編集が得意な人と組んで夢を実現していきたいと思っています。ただ、ひとりでやるのは諦めました。


(3)私は文章派

 ということで、私ひとりで情報発信をしようと思ったとき、向いているのは何だろうと考えた結果が文章(note)でした。

 理由は色々ありますけど、動画とか音声と比べて訂正がしやすいことと、一回で伝わる情報量が少ないことが大きいんじゃないかなと思います。

 あと、文章を書くことにキツさがないといいますか。学生時代に論文やらレポートやらを書きまくっていたことが影響をしているような気もします。私の記事の多くが章立てをしていて、ある程度分量が出ているのはその名残だと思います。

 映像や音声を駆使して情報量で勝負するよりも、文字だけで伝えるほうが私には向いているのだと思います。前述のとおり、文章での情報発信は中学時代から続く息の長い趣味になっていることですし。

 以降は具体的に、私がなぜnoteを書き続けるのかについて書いていきたいと思います。



3.私にとってnoteとは

(1)自己研鑽の場

 私がnoteを書く理由のなかで、一番大きいのは自己研鑽です。

 自分の知識を記事にするのは、わりと頭を使うものです。体験談であれば詳細を思い出す必要がありますし、知識関係であれば匿名とはいえある程度責任をもって発信したいので事前にリサーチをすることになります。

 また、実際に記事を書くときにも頭を使います。文章全体のレイアウトはどうするか?段落はどこで区切るか?表現(単語)は何を使うか?読みづらくはないか?などです。

 校正を入れているわけではないので、結局のところは「私だったらこんな記事がいい!」になってしまうのですが、そのなかでも読み手のことを考えて整えられるところは整えているつもりです。

 そんな感じで、内容それ自体への理解を深めるとともに、文章を書く練習の場として使わさせてもらっています。もちろん、noteで書く文章と公文書とでは作法が全然違うので一概には言えませんが、「相手を考えて書く」力は少しずつ向上しているんじゃないかなと思っています。

 自己研鑽か自己満足かは知りませんけど、似たようなもんでしょう。


(2)挑戦する理由付けの場

 もう1つ大きいのは挑戦する理由付けですね。

 何かに挑戦するというのは、多かれ少なかれお金と時間がかかるもので、歳を重ねるとどうしてもそれがおっくうになってくるんですよね。私はまだ20代ですが、大学生の時に比べたらフットワークは重くなりました。なんやかんや理由をつけてはやらないということが増えたように思います。

 でも、自分のやったことが記事として残る(残せる)。そしてそれを誰かが見てくれる。それだけでもやってみようかなという気持ちが強くなりますし、仮に失敗したとしても笑い話として発信できるじゃないかと割り切れるようになりました。成功しても失敗しても勝ち確定だなと。

 そういう意味では、WAISの受検や47都道府県制覇はnoteがあってこそ実現した挑戦だといえるでしょう(占い師の助言もありますけど)。


(3)人助けの場

 それともう1つ。余計なお世話かもしれませんけど、自分の記事によって人助けがしたいとも思っています。

 例えば以前に書いたマイナンバー制度に関する記事は、自分が仕事を思い出すという目的があるものの、それと同時にマイナンバー制度について知りたいと思っている人に届いて欲しいという願いも込めて書きました。

 復職前は、公務としてマイナンバー制度について啓発するホームページを執筆していましたが、自分で読み返してみても意味不明で、正直誰が見るんだろうとか思っていました。実際、ホームページに書いてある内容でもガンガン電話で聞かれてましたし。

 公務に限らず企業のホームページだとしても、公式に発信する以上は内容に制約がかかるでしょうし、言った言わないを防止するために注意事項などを事細かに書いた複雑なものにならざるを得ないでしょう。


 一方、個人で発信する場合なら、公序良俗に反しない限りある程度自由な内容・切り口で発信することができます。執筆者の私情や要約を挟むことができる点は、読み手の理解を促進できる要因だと思っています。もちろん、それによって情報の良し悪しは出てきてしまいますが、公式に負けない発信力を秘めていると私は思っています。

 だから、自分が得た知見を自分の言葉で発信する場は必要だと思っていますし、その発信がどこかの誰かの力にきっとなると思っています。



4.情報発信の可能性

(1)可能性は無限大

 冒頭でも書きましたが、情報発信の可能性は無限大だと思っています。

 情報を発信する段階から成長が生まれますし、発信をすればさらに成長が生まれる。そして、自分が作った情報を媒体にして世界中の人とつながりができる(かもしれない)。

 一昔前までは情報を発信するハードが結構高かったですし、したとしても広がりは狭く、遅かったものです。しかし、SNSなどの発展により、そのハードルはとてつもなく低くなりました。ワンタッチで発信した情報が一瞬で世界中に広がる。すごく便利な時代になりました。

 その分、ガセの情報をつかまされたり、トラブルに発展したりとリスクはつきまといますけど、それらとは上手に付き合いながら便利さを享受するのがお得だと思います。信用なくして便利なしじゃありませんけど、時代の波にうまく乗ることが自分の人生を豊かにするものと私は信じています。


(2)死なない程度に続けていく

 そんな感じで、情報発信の可能性をビンビンに感じている私です。これからも、自分自身の成長のため、挑戦のため、そして誰かの幸せのために記事を細々と書き続けていきたいと思っていますのでよろしくお願いします。




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