美智子さまが繋いだ「統一教会の金山政英と笹川良一」の韓国ハンセン病院建設
韓国ハンセン病院設立に助力した金山政英と笹川良一を繋いだ美智子様と高松宮の動向を笹川陽平の回想を基に1965年へ遡り解説する。尚、金山政英と美智子様を繋ぐ統一教会の助野健太郎と聖心カトリックの関係も解説する。
以下は、tedawakou.comより転載。
【美智子さまと金山政英が助力した韓国ハンセン病院設立と統一教会の関係】
以下に記述してゆく事は、皇室と深い関りがあるハンセン病(癩病)と平成の皇后である美智子上皇后が皇太子妃であった時代に関する史実である。
2015年1月13日、平成の天皇皇后に笹川陽平氏が世界ハンセン病の現状を進講された。
この時、笹川陽平氏に対し美智子様は、「1972年に韓国ハンセン病について悲しい手紙が来たが、自分には力が無いため、元駐韓日本大使である金山政英氏と高松宮に韓国ハンセン病に対する協力をお願いする事にしました」と話したそうである。
上記の事は、2015年1月28日に日本財団の会長である笹川陽平氏がご自身のブログにて回想されている事である。
この事は、日韓両国の歴史に重要な出来事であると思う事から、笹川氏の話を裏付ける為に調べたところ、判明した事が多数ある。よって、以下に私の調査分析結果を記述してゆく。
以下は、《1976年10月3日付の韓国カトリック・タイムズ》を参考にさせて頂いた当時の状況解説である。
1972年に、韓国ハンセン病に関する悲痛な手紙を美智子様に出したのは、美智子様と聖心女子で同窓であったカトリック教会のステラ修道女との事である。
ステラ修道女は、韓国へ行き、ハンセン病の罹患者が居る村を、慈愛を持たれて巡っていらしたそうだ。
この時に修道女は、『韓国ハンセン病患者の悲惨な現状を助ける事ができれば助けてほしい』という美智子様に宛てた手紙を、日本へ帰国する白柳大司教に託されたとの事である。
白柳大司教に託された修道女の手紙を受け取った美智子様は、金山政英氏を呼び、『皇室の体だから私の代わりに助けの道を模索して欲しい』と伝えたそうである。
同年6月1日、金山政英氏は白柳大司教を訪問し、この問題を相談した。
のち、金山政英氏が韓国へ行くと、韓国ハンセン病に精通しているイ・ギョンジェ花嫁に合う事ができた。
花嫁はその場で『ハンセン病院があって欲しい』と伝え「病院建設には三千万あれば良い」と言ったそうである。
その日以降、金山政英氏は、日本企業の経営者に掛け合い、経団連にも接触したが、募金に関する進展は得られなかった。
進展が無いまま、2年余りが過ぎた1974年8月、高松宮が金山政英氏を呼び、募金の状況を調べた後に、笹川良一氏を紹介したそうである。
高松宮から笹川良一氏を紹介された金山政英氏は、笹川良一氏に接触する事ができた。
笹川良一氏と接見した金山政英氏は、「美智子妃殿下が韓国の現状を大変心配されている」と告げたところ、笹川良一氏は、さっそく「笹川記念保健協力財団」を設立し、会長に着任。
笹川良一氏の協力を得た金山正英氏は、同財団理事長の「石館守三氏」と共に韓国現地を視察した。
これを受け、笹川良一氏は即断し、1億2千万の建設費を出資する事を決めたのである。
これにより建設される「韓国ハンセン研究院兼病院」は、韓国政府の主管にする事を決め、その事を韓国政府に伝えられたのである。《以上、参考》
すなわち、
手紙を受けた美智子様は、金山政英(後の世界平和教授アカデミー参与)を個人的に呼び相談する。
美智子様に相談されていた高松宮が金山政英に笹川良一を紹介する。
笹川良一から援助を確約された金山政英は石館守三(後の世界平和教授アカデミー参与)と共に韓国へ行く。
笹川良一が1億2000万の出資を決定し、韓国ハンセン病院が建設された。
という事である。
では、その後の金山政英の経歴はといえば、1983年5月、「日韓トンネル研究会」の設立総会に、金山政英が出席している。(1983年10月13日週刊新潮より)
尚、1983年5月に設立された「日韓トンネル研究会」の第一部会において、金山政英が部会長であったと教団関係のサイトが紹介している事を確認できた。
その他、金山政英は、1985年6月1日に発行された、日韓トンネル機関紙である国際ハイウェイ建設事業部「本郷路・第6号」のコラムに、「地上天国建設の為に」と題する内容で発言している。
金山政英『(略)地上天国を作る為には、結局、文鮮明師が提唱された国際ハイウェイプロジェクトの推進が、最も適当であると思います。(略)』との事である。
これ以降、当該機関誌に金山政英の名が度々出てくる事となる。
当該機関紙には、文鮮明氏を筆頭に、久保木修己氏や梶栗玄太郎氏など、統一教会の幹部が名を連ねている。
さらに、1986年2月1日発行の「本郷路・特集号」で金山政英は、文鮮明氏の説く原理講論に深く共鳴し、『文氏の説く〝天の摂理〟が動き出している』との見解を述べている。
1986年2月1日の資料に明記されている役員名簿を参照すると、この時点で金山政英は、統一教会の幹部である梶栗玄太郎氏と共に日韓トンネル研究会の副会長に名を連ねるまでに出世している。
尚、金山政英はカトリック信者であるとされるが、カトリック中央協議会が発行する《「カトリック情報ハンドブック2008」巻頭特集》には、『1976年12月28日にニューヨーク大司教区が、米国のユダヤ系委員会、全米教会会議と共同声明を出し、統一教会は反キリスト教的・反民主的であると断言しました。日本でも、その被害の大きさと影響が明らかになるにつれて、当然カトリック信者への司牧的配慮が求められるようになりました。日本カトリック司教団は、1985年6月22日付でカトリック信者に向け、「世界基督教統一神霊協会に関する声明」を発表し、統一教会の危険性を指摘した上で、この団体に関係する会合や運動に関与する事が無いよう呼びかけました』と記述されている。
すなわち、カトリック教徒であり、元外交官であるはずの金山政英は、1976年の全米教会会議や、1985年の日本カトリック司教団の呼び掛けに応じる事なく、統一教会の文鮮明氏を称える言葉を述べ、深部にまで関与していった事が判明するのである。
さらに、1992年8月12日の産経新聞に「私たちは国際合同結婚式を応援します」とされる全面広告が掲載されたのであるが、この中に、「国際合同結婚式を支持する学者・文化人の会」として「世話人・金山政英」の名も入っている。
これら事柄に明確なる相関性を有する出来事が、「1965年、統一教会の文鮮明教祖一家および複数の幹部と三笠宮や高松宮を含む複数の皇族が記念写真を撮影した事」であり、「1971年および1972年に複数の皇族がリトルエンジェルス芸術団の公演を観賞されたこと」であるのだ。
そのうえで、美智子様が、1972年に金山政英と高松宮を介し、笹川良一と共に統一教会との縁を深めていった事が浮かび上がるのである。
すなわち、美智子様の母校である聖心女子大の恩師である、助野健太郎氏が統一教会の信者でもある事をふまえ、一連の経過を見てゆくと、結果論として、関係する人物は、日本のカトリック教会派ではなく、統一教会派である事が明確となってくるのである。
尚、余談ではあるが、高松宮は三笠宮および平成の天皇皇后とも非常に仲が良く、秋篠宮及び長女である清子内親王や三笠宮の子供たちを可愛がられていたとの事である。尚、三笠宮寛仁親王は自宅に統一教会のジャーナリストである〝桜井よしこ〟氏を呼びインタビューを受けるなどの深い交流がある。ちなみに、三笠宮寛仁親王妃の信子様は、統一教会の日韓トンネルを推進する麻生太郎の妹である。
はたして、1972年にカトリックの修道女から求められた慈愛のバトンはどこに行ってしまったのだろうかと私は思うに至る。
尚、金山政英は、統一教会が1982年12月に設立した「日韓文化交流協会」の会長に同年就任している。
以上が、2015年1月13日に平成の天皇皇后両陛下に〝日韓トンネルを推進する笹川陽平氏〟が進講された際に美智子様と共に回想された、日韓の重要な歴史の分析結果である。
いかがだろうか? 時系列をたどり、美智子さまが行われてきた事を分析すると、はっきりと統一教会に関りがある事がわかるのだ。
金山政英もカトリック信者の皮を被った統一教会信者であり、美智子さまも行動からそれである事が分かることと思う。
もっとも、皇族は、少なくとも1965年の時点で統一教会に関わっているのでそちらも合わせて御読み頂きたい。根の深さを理解して頂ける事と思う。