【実況中継】オカンこの世を卒業するらしい #1
大晦日の夕方、
オカン87歳が暮らす、大阪の介護病棟から電話が鳴った。
またいつもの近況報告かな。年末だし。それにしてもマメだ。ほんといい病院。いや待てよ、あんまり食べなくなって水も飲まなくなってきたらしいから、もしかするともしかする?
電話が2回鳴る間に、これだけのことを考えた。
「昨日から急に元気がないです。今ならまだお話もできます。面会にいらっしゃることできますか」
さすが、我がオカンである。大晦日の夕方ときたもんだ。
年越しの準備をすべてやめて、わたしは帰省の支度を始めた。
弟に電話。
出ない。
婚約者に電話。
出ない。
動こう。キャリーバッグに必要書類や黒い衣装を淡々と詰めはじめる。
我ながら切り替えの早いことよ。
婚約者からLINEがきた。
「お正月の買い物がてら今から行くよ」
ほんとにこの人は、拍子抜けするほどマイペースなことを言う。
でもわたしはわかってる。
彼はわたしの緊張感をすでに察したうえで、わざと、のんびりしたことを言ってる。
そんな人なのだ。
弟から電話。
「明日の13時に病院で会おうや」
いま出れば東京駅から新幹線に乗れる。
明朝の新幹線でも間に合う。
「今日帰るか、明日帰るか」
それは
「大晦日の夜に帰るか、元旦に帰るか」
という選択であり、
「一刻も早く駆けつけるか、一旦落ち着いてからにするか」
ということでもあった。
ほどなくして婚約者がやって来た。
そして当たり前のように、台所に立ち、料理を始める。
いつものように段取りよく、3つくらいのメニューを同時にこしらえるその手順をぼんやりと見ながら
「ああ。行くのは明日にするわ」
と言ってる自分がいた。
「うん。そうしなよ。ちゃんと年越しをして、明日はお雑煮を食べてから、行きな」
そのとき、自分の背中が緊張でガチガチにこわばっていたことに初めて気がついた。
「さっぱりしたものの方が食べやすいかと思って」
テーブルに並んだのは、お刺身、ふろふき大根柚味噌のせ、ホタテとネギのソテー。
緊張で縮こまっていた胃が急に動き出した。好きなものばかりだったから。
ゆっくり食事をして、今年のこと、来年の夢、それからどうでもいい話もいっぱいして、たくさん笑った。
お返しに、年越し蕎麦はわたしが作った。オカンのことはずっと頭から離れなかったけど、
「ゆっくりおいで」
と言われてるような。
だってね、うちのオカン、10年前、父の最期のときに、病院に行かず「買い物に行こう」ってわたしをデパートに誘った強者よ。
「死に目に会われへんやろ」てわたしは思ったんやけど、オカンは悠々とデパートに向かい、なんとコートを買ってくれたのよ。
「これ可愛いから着たらええ」
あの時は嬉しいというより混乱したわ。価値観グラグラゆさぶられたもんな。
人生で大切なことは何か。
「死に目に会うことはさほど重要ではない。自分を忘れちゃいけない」
緊張する局面では、ホッとするようなシチュエーションを意識して作ること。
本当に居たい場所に身を置くこと。
そんなことを行動で教えてくれた。
それなのに今日のわたしは、背中がガチガチになってることに自分でも気づかず、大晦日や元旦の楽しみを忘れるところだった。
それは忘れたらあかんやつや。
知らんけど、めちゃくちゃ大事なことな気がした。
年越し蕎麦をすするころには、いつもの自分にもどっていたように思う。
そして0:00を過ぎて2021年になったので
彼と一緒に、近くの白山神社へ初詣に行った。恒例の行事だ。
例年、夜中にも関わらず、人出は多く、境内では火を焚いて、みかんやご縁(五円)が振る舞われたりするのだが、今年はそれらが何もなくて、人もまばら。静かなお社で、ふたり並んで手を合わせる。
心も静かで、宇宙全体から優しいなにかが伝わってくるみたいだ。
空を見上げたら、十六夜の月が見たことないくらい明るく輝いてた。
家に戻ってお風呂にゆっくり浸かって、それからすぐに寝た。ぐっすり眠れた。
朝起きたら6時半だった。彼も起きてきた。
「もうすぐ日の出だよ」
屋上に上がり、初日の出を待つ。
清らかな待ち時間だった。寒くて気持ちがよかった。そうして、ついに荘厳な瞬間が訪れた。
おめでたい。
あぁなんておめでたい年の始まりなんだ。
「今年もよろしくね」
心からの想いを交わしあう。
お雑煮と、ちょっとしたお正月気分の美味しいものをふたりで作った。
すごいおせちとかはないけど、美しい食卓だったと思う。
なにより、大晦日からの温かい流れで、このときにはすでに心が落ち着いていたし、幸福感でいっぱいだった。
朝9時半ごろ、東京駅からのぞみに乗ったときに思った。
もし昨日、ブルブル震えながら荷造りをして、そのまま駅に急ぎ、のぞみに乗っていたら。
わたしは
2020年を寂しさで終えるところだった。
2021年を不安で始めるところだったんだ。
引き止めてくれた彼は、母と同じことをわたしに教えてくれたのだ。
「いい元旦を迎えましたね」
富士山がそう言ってくれました。車中から見えたのです。
滋賀県に入ると、大地は真っ白でした。
「新しい時代が始まるよ」
そんなお知らせのような気がして、1人でニコニコしていました。
つづく
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