『新世界交響詩篇』セルフライナーノーツ
Acotto 1stアルバム『新世界交響詩篇』について、だらだら自分語り。
曲の解説に入るまでかなり長いので適宜飛ばしてください。
ある意味ネタバレなので初見で楽しみたい方は読む前にどうぞ↓
事の発端
2018年に発表した「スピカの天秤」という楽曲で「エレクトロシンフォニックポエム」とかいう、わけのわからないジャンルを産み出してしまいました。せっかくなのでそれ以来同じジャンルを名乗る楽曲をたまに制作しているのですが、おそらくこう思われることでしょう。
「で、エレクトロシンフォニックポエムってなに?」
言葉で説明することもできますが、音楽ジャンルの定義はやはり音もあってこそです。ここで一度、自分自身で区切りをつけておきたい。「いまのエレクトロシンフォニックポエムってのはこういうものだ!」という、記録を残したい。そのためにも「スピカの天秤」にもう一度向き合って、どうせならロングバージョンを作って…… そんな流れで、アルバムを作ることにしました。
独自のジャンルを定義するということは、混沌とした音楽の中から一部分を切り出して旗を立てるという行為に近いでしょうか。あなたはこの場所を深く掘り進めてみてもいいし、来た道とは別の方角に切り拓いてみてもいいし、否定して全く別の場所に行ったっていい。そのための目印。拠点。このアルバムはある意味、そういうものです。
エレクトロシンフォニックポエムってなに
交響詩(Symphonic Poem)というものをご存知でしょうか。
ひとつの音楽ジャンル……というよりは、「クラシック」の中にある様式の一つみたいなものです。
その定義こそちょっと曖昧なまま広まっている気もするんですが、当時の私は交響詩のことをざっくりと「オーケストラを使って物語を描写する音楽」と捉えていました(厳密には間違っている)。で、それをオーケストラだけではなく電子音楽の技術も利用して作るという拡張を試みたんですね。要は「使用楽器に縛りのない交響詩」というイメージ。
それを Electro + Symphonic Poem = エレクトロシンフォニックポエムと名付けたのは、当時知ったばかりのエレクトロスウィングというジャンルに倣ってのものだった記憶があります。楽器演奏に基づくジャンルに電子音楽を混ぜる、という点で似たものだと当時思っていたのでしょう。厳密にはたぶん別物ですが。
実のところ、本来の交響詩は「物語を描写する音楽」などではなく、音楽にそれを説明するための文学(もしくは絵画)的なコンテンツを結びつけたもの、のような定義だそうです。言葉を音楽にするのではなく、音楽に言葉をつけるという順番だそうで。私の曲の多くにフレーバーテキストがつけられているのはジャンル定義に関係ない趣味のようなものですが、強ち間違いでもなかったのかもしれませんね。……とはいえ、既にある物語を音で描写する、という方向で見事な交響詩というものも確かに存在していて、私としてはそういう音楽の面白さを拡張していきたいという思いに変わりはありません。
ちなみに電子音楽の技術が発達した現代においては、理論上どんな音でも録音再生によって使用可能になってしまっています。どういうことかというと極端な話、小鳥のさえずりを表現するなら「小鳥のさえずり.wav」を貼り付ければ済んでしまうんですよ。
でもそれじゃあ面白くない。オーケストラで表現しきっていた時代の創意工夫を楽しみたい……そう考えるのがエレクトロシンフォニックポエムの流儀としましょう。(どうしても貼り付けざるを得ない場合もありますが、おおまかな方針として、ね。)音色で、旋律で、展開で、何かを表現すること。それがエレクトロシンフォニックポエムの目指すところです。
できたアルバムがこちら
そんなこんなで、エレクトロシンフォニックポエムを集めたアルバムを作りました。「エレクトロ → シンセサイザー → シンセ → 新世界」という連想と、「交響詩の詩篇、交響詩篇」という造語で、『新世界交響詩篇』。
交響詩とはいえ詩篇、平たく言うと詩集ということで、「本」をコンセプトにしました。紙ジャケットを利用した少し不思議な装丁になっているのも、そこから連想していった産物です。ジャケット内側のデザインも本をかなり意識しています。
ちなみにこのジャケットは、紙ジャケットを専門に扱うザザザワークスさんで印刷していただきました。柔らかい紙の質感がすごく気に入っています。コストを抑えるためにセルフ組み立てで発注してみたらめちゃくちゃ大変だったので、真似しようと思った作曲家の皆さんはちゃんと組み立てまでやってもらいましょうね。どうなっても知りませんよ。
4つの物語(=楽曲)を収めた短編集。本棚から取り出して、開いて、読んで、閉じて、しまう。かなり本ですね。
……と言いつつ、ジャケットおもて面は本の表紙のようなデザインにはなっていません。本そのものにしなかったのには諸事情あるのですが、CDを聴くためにジャケットを開くことで、本を読むこの女の子の追体験になるという形を想定しています。まあ、ほとんどの人はパソコンに取り込んでしまって、2回目以降は開かないのかもしれませんが……。
イラストについては、星空や海を思わせる幻想的な背景が描けて、ついでにかわいい女の子がいると嬉しいなぁ……と思っていたところに目に留まったのが今回イラストを描いてくださったほったりょうさん。ギタドラの収録楽曲「Behind the song of stars」のジャケットイラストに衝撃を受けてから目をつけていたのですが、まさか自分のアルバムのジャケットを描いてもらえる日が来るとは……。勇気を出して声をかけてみたところ、快諾いただいた上に爆速で飛んでくるあまりにも良すぎるラフ。腰抜かした。素人のフニャフニャな指示からこんなに良いイラストができ上がるんですから、イラストレーターの方々って本当にすごいですね。
イラスト以外のデザインは自力でどうにかしました。グラフィック関係は全くの専門外なので、餅は餅屋理論で言うとよろしくないですね。それでも、自分で手を動かして作ってみるのも案外楽しいものです。
中でもタイトルロゴは、アルバムの制作が決まってからいちばん最初に作ったもの。アルバムのコンセプトを反映したものが最初に1つあるとその後の制作で迷いにくくなるだろうというのと、絶対に完成させるためにタイトルロゴだけでも発表して自分に釘を刺しておきたいという考えでした。素人ながらに小綺麗にできた気はしますね。
タイトルロゴとCDの盤面は五線譜をモチーフにデザインしてみました。どうでもいい話ですが、いくつかの英文のフォントには楽譜を制作する時によく使っている Times New Roman を使っています。どうでもいいね!
最後にもうひとつ、クロスフェードデモ動画についても自力で作ったものです。
実を言うとこの動画を出すために……というより、
「こんなアルバムが出るし、『スピカの天秤』のロングバージョンも出る。しかも6楽章構成の組曲」
という情報を見た瞬間の、ワクワク感。そのワクワク感を生み出すためにアルバムを作ったと言うと流石に過言ですが、わりとそのような側面はあります。曲の構想よりも先にこの動画の構成の方が先に固まっていたくらいですからね。
収録楽曲について
「エレクトロシンフォニックポエムを集めたもの」というコンセプトで11トラックを収録したCDではありますが、11篇の物語が収録されているわけではありません。そのうちの最初はオープニング、最後はエンディングのような位置付けで、残り9トラックのうち6トラックは1つの物語を表現したもの……つまり、
オープニング + 物語×4 + エンディング
という構成になっています。
言わば短編集なので、それぞれの物語が繋がっているということはありません。が、アルバムを通して1つの作品として聴いた時に聴き応えのある展開にすることは意識しています。
ちなみに今まで制作したエレクトロシンフォニックポエムのほとんどは [カタカナ]の[漢字] のようなタイトルにしてきました。これはジャンルの定義とは関係ないのですが、こうしてアルバムに集めてみると統一感がありますね。本編とそれ以外との切り分けも一目瞭然ってわけです。
マスタリング担当はxystさん。同人サークル OX-project の主宰であり、様子のおかしいコンピレーションアルバムを数多くリリースしてきただけあって、エレクトロシンフォニックポエムのような雑多なサウンドが詰まった音楽への理解も深いんだと思います。時には音ゲーらしい派手さを出しつつも落とすところは落として、アルバム全体の緩急を俯瞰した仕上がりにしていただきました。
そういう作り方をしていることもあって、このアルバムを聴く際はなるべく静かな環境で、途中で音量調節をせずに通して聴くことをおすすめしています。音の小さい部分もそのまま小さな囁きに耳を傾けてみてください。もし聞き取れなくても、それはそういうものです。トラック1は静かめなのでほどほどの大きさで楽しんでいただいて、トラック2がだいたい “普通に鳴ってる” 音楽なので、そこでちょうど良い音量にしたら、以降はそのままで。
とはいえ、もちろん違った楽しみ方をされても構いません。本、しかも短編集ですからね。好きな場所で好きなように読んでいただければいいのです。
Track 1 - Epigraph (and Prologue)
前半のオーケストラを「エピグラフ」、後半のピアノを「プロローグ」と捉えてください。括弧が付いている理由は構成上の諸事情なのでお気になさらず。
エピグラフとは、書籍などの冒頭に置かれた引用句のことです。なんか意味ありげな有名人の一節が最初のページに書かれてるやつあるじゃないですか。アレです。詳しくはググってみてください。本を模したこのアルバムなら、エピグラフから始まっても何らおかしくないでしょう。おかしくないですよね? おかしくないんですよ。本なんだから。
エピグラフの後はプロローグ。これから始まる物語に入る前に、一呼吸おく時間。イメージとしては「世にも奇妙な物語」の幕間のアレのようなものでしょうか。ストーリーテラーが語りかけてくるような、本編よりはややメタな部分をイメージしています。
実は曲間の調性的な繋がりもある程度やんわりと考えて曲を作っていたりするのですが、この曲がイ短調(イ長調)、次の曲が変ロ短調で1半音の関係にあるのも狙った演出です。こう、ファンタジックな世界に引きずり込まれた感じが出るかなって。
Track 2 - 蒼天とワタツミ
2016年に音楽ゲームの公募のために制作した「Anti-Gravity Ultramarine」という楽曲があります。明確に音ゲーを意識して書いた初めての楽曲でもありました。結局どこかに収録されるようなことはなかったのですが、そこから旋律などの音楽的構造を流用したのが「スピカの天秤」で、情景のイメージを流用したのがこの「蒼天とワタツミ」です。
伝説として語り継がれる存在。海を駆けて、空に飛び出し、日の光を浴びて、また海に落ちる。生命の力強さと自由の謳歌。そんな曲です。“海” に対する様々なイメージを描写した曲ですが、どんな音楽に影響を受けてイメージを形成したかは忘れてしまいました。
「蒼天とワタツミ」も元々は音楽ゲームの公募のための楽曲です。そのためゲームのことを考慮して特有の制約が課せられている状態ではあるのですが、いろいろ足してロングバージョンにしようとするとどうしても蛇足にしか感じられませんでした。他の曲に比べてテーマや展開が簡潔だからでしょうか? そのためオリジナル版から構成は変更せず、主にサウンド面での調整のみ施しています。
アルバムとは全く関係ないんですが、この曲にはピアノ連弾版もあります。より純粋な “音楽構造” に目を向けたバージョンと言えるでしょうか。自分自身エレクトロシンフォニックポエムという音楽のカタチを捉えきれていなかった時、このバージョンを制作したことではじめてこの「蒼天とワタツミ」という曲を理解できたような感覚がありました。
Track 3 - エネルゲイアの円環
元々は、所属サークルであるOX-projectのコンピレーションアルバム “SUB-JECTiVE::001Mechaflloghia / Maghistromhia” のための書き下ろし楽曲でした。
ちなみにそのコンピレーションアルバムは「最強の魔法 VS 最強の機械」をテーマに、のべ24人のコンポーザー陣が考える「世界に終焉をもたらす力」がぶつかり合うという強烈なもの。ぜひチェックしてみてください。
最強の魔法とは何か? その問いに対して、プログラムの無限ループやAIの学習といったイメージから出発し、「人の意思から切り離され収束を放棄した魔法こそが最強である」といったような解釈をしました。ストーリーとしてはこんな感じ。
有名な交響詩に「魔法使いの弟子」という楽曲がありまして、それへのオマージュのような側面もあります。どんどん手がつけられなくなっていく、勝手に進化して形を変えていく、といったイメージから、変奏曲という形式を応用して表現を試みました。
冒頭、ほぼ無伴奏のソロで奏でられるのがこの曲の主題。「無限ループ」をテーマのひとつとしていることから、“始まりと同じ音に戻ってくる” という構造になっています。こういう無伴奏ソロの単旋律の動かし方で語るような書き方が性癖なのでよく使うのですが、この曲を書いたあたりの時期からは特に味を占めて多用している節がありますね……。この性癖はクラシック音楽、主に吹奏楽からの影響で、似た雰囲気の有名どころは「復興」や「Incantation and Dance(邦題:呪文と踊り)」あたりでしょうか。イングリッシュホルンでこれをやるという点では、ラフマニノフという作曲家の「交響曲第2番」のせいだと思います。かっけェんですよ。
ある程度オーケストラの文脈に沿って展開しますが、徐々に人力の演奏では困難なフレーズになっていくという仕掛けはエレクトロシンフォニックポエムの真骨頂と言えますね。最後は呆気なく「喰われ」て、幕を閉じます。
Track 4 - 追憶のセピアヴィネット
記憶に残るさんを起用したくて制作した楽曲。いちばん歌が上手い。お名前と曲名との噛み合いが良いように見えるかもしれませんが、それを狙っての起用というわけではないです。
交響詩は基本的にインスト音楽であって、音として言語が介入するものは稀です。それはエレクトロシンフォニックポエムになっても同じことだとは考えているものの、歌も物語を描くための絵の具の1色とみなして、交響詩に取り入れてみよう。そういう楽曲です。
ところでOX-projectの過去作品の中に「歌ものコンピ」と呼ばれる、歌だけを集めたコンピレーションアルバムのシリーズがあります。それの第1弾がまァ〜〜〜あまりにも良くて、そんな良い歌を聞かされたらどうなるか? 自分で書いてみたくなるんですね。特に「Star in the Floor」という楽曲にえらく感動して、何でもいいから同じ場に立ってみたい。というわけで第2弾で “異世界の学園の校歌” を書いたのが初めての歌モノでした。そのコンセプトは「みんなで歌える、でもちょっと異世界の匂いがする校歌」です。言ってしまえば歌として表現を追求した作品とは言い難いのですが、普段インストでやっている音楽性を上手く落とし込むことができたような気はしています。
で、その第2弾のほかの参加楽曲もまァ〜〜〜あまりにも良くて、そんな良い歌を聞かされたらどうなるか? 自分で書いてみたくなるんですね。特に「Gypsophila」という楽曲にえらく感動して、似たエッセンスの歌詞を書いてみたい。(結果的にぜんぜん違う方向になりましたが)そうして生まれたのがこの「追憶のセピアヴィネット」です。
というわけで歌モノ2作目ですが、なんとか手探りで書き切りました。自分の得意なフィールドに乗せて戦うと意外と倒せるようです。校歌の時もそうだったのですが、音楽的というより文学的な味がする歌詞を書く癖がある気がしています。音楽的な歌詞も追い追い書いてみたいですね。
結果的によくある歌モノっぽい構成になっていますが、元々は大ロンド形式(ABACABAの構成)にするつもりでした。自由に変形しすぎてぜんぜんそうは聴こえなくなってしまいましたね……。
アレンジ面ではトイトロニカやチップチューンでまとめつつオーケストラも取り入れる……くらいのバランスにするつもりが、予想よりオーケストラが濃くなってしまいました。やはり慣れと手癖で書ける方に偏ってしまう。おそらく影響を受けた音楽のひとつに、制作時にハマっていた “BABA IS YOU” というゲームのBGMがあります。最高のゲームなのでみんな遊ぼう。
さて、出しそびれていた歌詞全文を置いておきます。
「ヴィネット (Vignette) 」にはいろいろな意味がありますが、ここでは「小さなジオラマ」のような意味で使っています。手のひらサイズくらいのイメージでしょうか。
かけがえのない大切なものを集めた「私だけのヴィネット」。無くさないように、壊れないように、心の奥にしまい込む。長い時が経って表面上は色褪せてしまっても、ずっと鮮やかな「たからもの」として、そこに寄り添っているのです。
Track 5~10 - 組曲「スピカの天秤」
エレクトロシンフォニックポエムの原初、「スピカの天秤」(以下、区別のためにオリジナル版と呼ぶことにする)のロングバージョンという位置づけ。単なる付け足しではなく分解・再構成して組曲になりました。
さて、この楽曲が表現している物語はどんなものなのか。説明のためにオリジナル版の話は避けて通れません。
「スピカの天秤」の物語
オリジナル版は、CHUNITHMという音楽ゲームのいわゆる公募、第一回オリジナル楽曲コンテスト “アストライア部門” の採用楽曲です。cosMo@暴走P氏による楽曲「エンドマークに希望と涙を添えて」に紐づいて登場したキャラクターであるアストライアの、第二の楽曲を募集するというものでした。
さて、どんな曲を応募しようかな。募集要項では「キャラクターのイメージにあった楽曲を」と書いてあり、通常はゲーム内でキャラクターを育成しないと読めない固有のストーリー※が全文添えられています。これはつまりストーリーを読み込んで、このキャラクターのための、専用の、ドンピシャの曲を作れと。
……たぶんそういうことですよね?
既にあるキャラクター像やストーリーを元に、アストライアのための曲を書く…… そうは言っても、ただただイメージ通りな曲を書くことが正解なのでしょうか? 音ゲーの収録楽曲になる以上は1つの新曲として面白くあるべきです。もっと言えば、「エンドマークに希望と涙を添えて」が既にあるのに、別の人がわざわざ同じような曲を書いても面白くないですよね。少しだけ捻りを入れる必要があるわけです。
そこでまず、ストーリーを別の視点から見てみることにしました。
アストライアのストーリーによると、彼女は天から地上の人々を見守る神のような存在で、人々の持つ正義が本当に正義たりえるものなのか「判断」を行います。気さくな一面も見せ、明るく優しい正義の女神様といった雰囲気の彼女ですが、本当にそのイメージ通りの人物なのでしょうか?
さて、ギリシャ神話にアストライアーという女神が登場します。おそらくCHUNITHMのアストライアのモデルと考えていいでしょう。神話でのアストライアーもCHUNITHMのアストライアと同じように、地上が人間の悪意で満ちて荒れ果てても、最後まで人間の善性を信じて地上に残ったと言われています。一方で、手にする剣と天秤を以て神罰を下す神としての一面も持っていました。
CHUNITHMのアストライアにおいてもストーリーの描写から、本来は “審判を司る厳格な神” だという解釈が可能ではないでしょうか。正義を決めるとは裏を返せば正義でないものを決めるということでもあり、希望と同時に絶望をももたらしうるのです。ストーリーの最後には “異なる正義を抱いている人間” との戦いが始まることも示唆されていますね。神に裁かれる人間の絶望、そして神と対峙する「戦いの始まり」……
「スピカの天秤」とは、アストライアの話ではなく、アストライアを取り巻く世界と地上の人間の話なのです。
今回の組曲での描写においてはオリジナル版の後に登場したキャラクターやストーリーから影響を受けている部分もありますが、大筋はこのように組み立てたオリジナル版制作当時の意図のまま描きました。現在CHUNITHMで展開されているストーリーとは齟齬が生じている可能性があることにご注意ください。
余談
2024年2月25日、「ラストピースに祝福と栄光を」という楽曲が発表されました。どこからどう見ても「エンドマークに希望と涙を添えて」の続編ですね。間違いなく。
楽曲のジャケットイラストにもなっているイラスト違いのアストライアもキャラクターとして実装。当然のようにストーリーの続きも供給されます。
2月末、アルバムリリースの2ヶ月前というと、大抵は収録楽曲の制作に追われているタイミング。
え……? このタイミングでそんなん出るの……!?
この直後、一気に筆が進んだ。ありがとうcosMoさん……
第1楽章 世界の果ての前奏曲 -Prelude-
“語り” の楽章。このアルバム自体にも「プロローグ」がありますが、この楽章は本編中のプロローグのようなものでしょうか。ちょっとややこしいことになってしまいました。オリジナル版のイントロ部分から発展させたもので、クラシック音楽で言うところの提示部のような役割も兼ねています。
個人的に敬愛しているラフマニノフという作曲家がいるのですが、実はオリジナル版には「音ゲーにラフマニノフっぽい音楽を入れる」というコンセプトもありました。オリジナル版にもこの組曲にも、ラフマニノフの影響を受けている部分やオマージュのような部分が多分にあります。最初から最後まで鐘をガンガン鳴らしまくってるのもその一つと言えますね。
オリジナル版当時と比べると多種多様な鐘の音の素材が使えるようになったので、ちょっとだけ説得力のある音になってるんじゃないでしょうか。ストリングスなんかも好きな音が出る音源をちょうど手に入れたところなので、楽しくてついつい多用してしまいますね。
第2楽章 白銀の歌 -Air of Silver-
人間とその顛末の楽章。本編中のプロローグを終えて、本編中の本編がここから始まります。起承転結の起。ややこしいですね。
この楽章はオリジナル版には1秒たりとも存在しません。ここで描いているのは前日譚のようなイメージです。とはいえゼロからでっち上げた訳ではなく、ほとんどをオリジナル版の要素から組み立てています。
次々と表情の変わる楽章ですが、これは決して一言では言い表せない前日譚をどうにか一言で言い切ろうとした結果です。「歌」に始まり、マズルカ(舞曲)風の部分を経て、何やら穏やかでない雰囲気に。終盤はRPGの通常戦闘曲くらいのテンションを目指して書きました。
「白銀」はストーリーから引用したわけではないのですが、改めて見返すとわりと的を射た名付けだったようです。
第3楽章 星夜 -Astral Grief-
悲しみと審判の楽章。「綺麗な終末」って好きですか? 私は大好きです。
この楽章の終盤の部分がオリジナル版に存在しますが、このシーンの描写がある意味最も繊細で重要だと感じていたような気がします。長い長い前置きを追加して、そこに至るまでの機微を描こうとしました。
最後のピアノの音は、一般的なピアノの最低音よりさらに低いG♯の音。こういうことが気軽にできるのがエレクトロシンフォニックポエムの楽しいところです。
制作中に “Astrea: Six-Sided Oracles” というゲームのBGMをえらく気に入りまして、それの影響を受けていたりもします。
第4楽章 迷宮 -A Maze-
混沌と秩序、或いはその両方の楽章。
雰囲気としては交響曲におけるスケルツォのような枠でもありますね。楽章タイトルやフレーバーテキストがかなり概念的なテーマなので、着地に苦労しました。
オリジナル版の展開とは順番が違いますが、むしろオリジナル版の方が音ゲー曲として無理のない流れするために展開を捻っていたようなものです。この楽章で描いているシーンはオリジナル版時点で明確にこのイメージを持っていたというわけでもないのですが、なんだかんだ綺麗に収まってくれました。
第5楽章 真紅の響 -Crying Scarlet-
決戦へ向かう楽章。決意を胸に、踏み込む。
ある意味、クラシック音楽で言うところの再現部のようなものでもありますが、第6楽章へ向かうための橋渡しとしての役割の方が濃いと思っています。この楽章から第6楽章への繋ぎ方は、組曲にする構想のかなり初期の段階から決まっていました。これがやりたかったんです。
オリジナル版当時は曲中のBPM変化をよしとしない思想を持っていたため、メトリックモジュレーションを利用して無理やり3拍子になっていました(実質BPMが変わっているようなものでは?というのはさておき)。この組曲においてはそんな制約を考えなくていいのでBPMも変わっています。当時の感性で書いた大胆な転調も、改めて見返すとびっくりしますね。
第6楽章 天上と禁断の交響詩 -Lost Finale-
決戦の楽章。ある意味で、ここまでの全てはこのための前奏に過ぎないのかもしれません。
オリジナル版における中間部分の紆余曲折を全て前の楽章に回した代わりに、戦いのシーンとしての描写を足しつつ楽章としてのまとまりを出しながら、サビへの溜めをより強くしました。ついでにラフマニノフ成分をひとつまみ。
オリジナル版は252BPMの4/4拍子ということになっていますが、どちらかというと126BPMの2/2拍子のノリで書いたつもりです。この組曲版でもわりとそういう書き方をしていますね。ちなみに126は昔ながらのメトロノームで出せる数値であることを由来としています。
ラストは断片的なフレーズが入り乱れながら雪崩れ込んでいきます。オリジナル版は尺の都合もあり思い切って裁ち切りましたが、組曲版では16分間も捏ねくり回し散らかしてきた展開を受け止めて終わるために、少しだけスケールを大きくしました。それでもやはり、決着は唐突にやってくるものです。
戦いの末、人間は、神は、どうなったのか。
その結末は誰にもわかりません。
Track 11 - Afterword
「おしまい。」
あとがき
ここまで読んでいただきありがとうございました。というか、お疲れ様でした。全部読んでる人いるんかな。2分ちょっとの曲のロングバージョンを16分にまでしてしまう人がライナーノーツなんて書いたらこうなります。今日のところはこのへんで勘弁しといてやろう。
昔からなんでもまとめきれなくてクソ長くなってしまうんですよね…… どうしたものか……
アルバムをご購入いただいた皆さま、「スピカの天秤」の使用をご快諾くださったSEGAさん、制作にお力を貸してくださったほったりょうさん、記憶に残るさん、xystさん、頒布や制作中の諸々でご助力くださったOX-projectメンバーとその周辺の皆さん、その他関係者の皆さまに、この場をお借りしてお礼申し上げます。本当にありがとうございました。
無事に出せてよかった〜