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わたし史上最強に有意義だった2万円の話。
しばらく「書く」ことから離れていたのだけれど、今日は帰るなり真っ先にパソコンを開いた。
この気持ちを、今日の記憶を、消えないうちに残さなければ。こんなにうれしくて、あたたかくて、泣いてしまいそうな、こんな気持ちがまだあったのだから。「心」があるなら、やっぱりそれは左胸なんじゃないか。そんな夢見がちなことをまだ思えるなんて、やるじゃないか、わたし。
この気持ちをたくさんたくさん噛みしめたくて、あわよくば誰かに聞いてほしくて、今日は久しぶりのnoteを書いてみます。なのでもし誰かにこの投稿が届いたらそれはとっても嬉しいことだし、読んでくれた誰かがちょっとだけでも同じ気持ちになってくれたら幸せだし、「同じ気持ちになったよ」ってわたしに伝えてくれたら今日の出来事をずっとずっと大事にできると思うのです。(だから「読んだよ」だけでもぜひ教えてください。)
ということで本題。
平日ど真ん中の帰り道。いつもは最寄り駅のコンビニに行くところ、なんとなく会社の近くのセブンに寄った。本当になんの理由もなかった。
あまり手持ちがなかったので、2台並んだ手前のATMでいくらかお金を下ろす。奥のATMには白髪の男性。すっかり顔なじみになった渋沢栄一が出てくるまでの間、隣のATMからは英語の音声が流れ続けて、おじいちゃんはサポート用の受話器を外したり戻したり。
しばらく迷って、大丈夫?と話しかけた。英語で助けを求められたが、なんとなく日本語で返してしまった。やっぱり大丈夫だ、君はsweetだ。そう言うおじいちゃんに「ありがとう」なんて笑って、その場を離れた。
今日の夜はなにを食べようか。足りない日用品はなかったか。せっかく早く帰れるんだし、甘いものでも買って帰ろうか。
なかなか行かないセブンのラインナップがもの珍しくて、いつもより時間をかけて吟味する。その目の端でずっとおじいちゃんを気にしていた。もう解決したのかな。なんて言いたかったんだろう。やっぱり助けてほしかったんじゃないか。一言の日本語も出てこなかった彼は、このあと誰に助けを求めるんだろう。
結局わたしが会計を終えても、おじいちゃんはまだATMに張りついたままだった。わたしが使った手前のATMに移動して、何度も同じ操作を繰り返している。
また話しかけたらしつこいかな。まあ、それならそれですぐ引き下がろう。そんな覚悟でもう一度おじいちゃんに話しかけた。
「大丈夫?」さっきと同じ日本語に、おじいちゃんはまたもや困り顔。
ああ、よかった。とりあえず、すぐには断られなかった。迷惑じゃなかったんだ。やっぱり助けてほしかったんだ。自信がついた。そうしてやっとやっと出てきた言葉は「I can help you」。あがってしまったわたしの精一杯の中学英語だった。
でも、というか、やっぱり、というか。おじいちゃんは「yes」と笑った。
話を聞くとおじいちゃんはカリフォルニアから来たという。明日から箱根と京都に旅行に行くらしく、ここで2万円ほどお金を引き出したいようだった。しかしどうやら、クレジットカードの暗証番号が分からないらしい。海外のことはよく分からないけれど、彼曰く「いつもはタッチで使っているから暗証番号なんてない」らしい。
一緒にいくつかの方法を試してみたものの、やっぱり暗証番号の入力でつまづいてしまう。おじいちゃんがただ忘れているのか、本当に暗証番号がないのか、わたしには分からない。
しばらくふたりで手こずって、もはやわたしが力になれることなど、ひとつしかなかった。あらためて、日本円で2万円?と確認。そして、空いている隣のATMに自分のカードを挿入。こちらは見慣れた福沢さんが出てきた。
おじいちゃんは初めこそcrazyだと驚いていたけれど、結構すんなり受け取ってくれた。(よかった。)お金を送るからと番号を渡されたけれど、別にいいよと断った。返してほしいなんて思っていたら最初から2万円も渡していないし、海外の口座のこともあんまりよく分からない。強いて言うなら彼と友達にはなりたかったのだけれど、なんとなくそれも言い出せなかった。だから結局、彼と連絡を取る手段はなくなってしまった。
おじいちゃんとはそのあとすぐにコンビニの前で別れた。わたしをangelと言い、何度も何度もお礼を言ってくれたけれど、嬉しかったのはむしろわたしのほうだ。
この感情にどういう名前がついているのかは正直分からなくて、いちばん共有したいのに、いちばんうまく伝えられない。ただ左胸のあたりがふわふわして、なんとなく口角があがって、足取りが軽くなるような、そんな気持ちが、確かに今ここにある。放っておいたら消えてしまうような、下手に口に出したら壊れてしまうような。繊細なとか儚いとか、そういう形容詞がぴったりハマる。
人が喜んでくれると自分も嬉しい。そういうモチベーションがあることはなんとなく自覚していた。でも社会人になって、それだけでは生きていけないことを知って、人のために何かしたい気持ちは嘘なんじゃないかと、いつからか自分を疑っていた。どうしたら自分を喜ばせられるのか、何を嬉しいと感じるのか、分からなくなっていた。
だけど、やっぱり変わってなくて、誰かが笑ってくれたらそれが嬉しい。わたしは今でもわたしを喜ばせられる。こんなことが自信になるなんて、思いもしなかった。ただこれだけのことで、明日も、来週も、この先ずっと頑張れるような気になれる。社会人になってからずっと迷子になっていた自分を、やっと見つけてあげられた。小さいころの純粋な自分が、大人になったわたしを見つけてくれた。そんな感覚。
ひとり異国の地にやってきた白髪のおじいちゃん。日本に来るのは初めてだと言っていた。見たところ80代くらい、この先また日本に来ることがあるだろうか。もしかすると、これが最初で最後の日本かもしれない。
学生時代あんなに勉強した英語はひとつも出てきてくれなくて、どこまでもたどたどしい言葉遣いで、笑ってしまうくらい稚拙なことしか言えなかった。ほんとはもっとたくさん伝えたいことがあった。お金を返そうだなんて本当になんにも気にしなくていい、と。その代わり、日本で過ごす一分一秒を思いっきり楽しんでほしい、と。あなたにとってこの旅行が素敵な思い出になったら、あなたが日本を好きになってくれたら、わたしはそれが何よりも嬉しいんだ、と。
どうかどうか、「来てよかった」と思ってくれますように。彼にとって「日本」という思い出が、鮮やかであたたかいものでありますように。そんな願いの一端を2枚の福沢諭吉が叶えてくれるのならば、わたしは喜んでそれを差し出せる。
相手が嬉しいと、自分も嬉しい。そう思うのは多分、わたしが喜ぶ顔をなによりも喜んで育ててくれた両親のおかげなのだろう。
わたしは今日、知らない外国人のおじいちゃんに2万円をあげた。今月の家賃を払ったらほとんど残らないので、しばらくは節約生活になりそうだ。
でも、あの2万円は、間違いなくわたしの人生でいちばん価値のある2万円で、わたし史上最強に有意義な2万円だった。
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