見出し画像

昔の自分との向き合い

実家で昔のガラケーを発見した。
充電器があったのでなんとか復活。
昔のまま使うことができた。
大晦日に充電したのに6日現在においても見ることができる。
昔はすぐ充電が切れると思っていたが、それは現実よりインターネットの世界で生きていたからだろう。
このガラケーを使っていたのは大学1年生から2年生の秋ごろまでだった。
データとしてその前の年に浪人していた頃のメールも残っていた。
写真やブックマークなどをみると、なんだか洗練とは程遠い人間だったのが分かる。中学生のネットオタクだった頃となんら変わらないものが好きだったようだ。
20歳過ぎなら少しは美容やファッションなどに興味を持っておくべきだったが、ネットでそのような情報は仕入れないあたり、やはりあまり興味がなかったのだろう。本だけ買って身にはついてなかった。
震災後だったので、こんなつまらない世界なら早くまた大きな災害が起きればいいのに。それで死ねればいいのにってずっと考えていた。地震予知のブログとかお気に入りに入れていたのがそれを窺わせる。
Twitterも当時のつぶやきを見てみると、ずっと大学に対する不平不満、もう行きたくない、辞めたい、親は認めてくれないし怒鳴られるとばかり書いてて大変そうだった。
こんなに精神悪くするなら早く辞めておけばよかったのにとしか思えない。

その頃に、肥大化した自我と現実の自己とのギャップに悩む平凡恐怖だと指摘されたことがあったようで、人生とは何もないのが当たり前で、普通に生きていくことが大事なのだと、そういうことを言われて、反発していた当時の自分。
何かないとつまらないと思っていたけど、今は特別なことをしなくても人生なんだと、他人を巻き込まなくてもそれはただ日々を生きられていればいいのだと12年経ってようやく気づいたよ。母の余命宣告後の生き方からも学んだ。

しかし、当時の私はどこかに自分らしく生きる場を求めて、大学3年生から1年半、児童演劇の研究所とかいう劇団の社会的弱者を囲って何の経歴もならず、単にその劇団で使いたい若者を抽出するところに金と時間を搾取されていたが、自意識が肥大化し、現実の自分と向き合うことができなかった自分には必要だったのか、それとも居場所を金で買っていただけだったのか。

自我の肥大化については、自尊心が高まる経験を学校では全く得られていなかったので、通えば通うほど自信がなくなり、自分は何で生きているのか分からないという状況になっていた。
居場所のない若者たち、の居場所とは、自分のことを100%そのまま受け入れてくれる場所のことを指し、そんなものはないのだから甘ったれるなと、中村うさぎが『死からの生還』という本で書いていて膝を打った。
なるほど、確かにそうだったかもしれん。

今現在もまた自分の考える自分と、現実の能力の自分のギャップに苦しんでいる。
果たして私の自我の肥大化はなんなのか。

自分のトラウマを考えると、やはり学校でうまくいかなかったこと、家族間での妹優遇というような、集団の中での孤立が原因であり、孤独を感じる人間関係の中にいる自分はつらい、信頼できるつながりが欲しいといったところか。
でも、大学生のころは学校の人間なんか全く信用に値しないと、心を閉ざして過ごさざるを得なかった。居場所をつくろうとしてもいてもいいと思える経験より、お前はいない方がいいと扱われることのが多かったように思う。 
このトラウマから逃れるには、ちゃんと自分には自分を認めてくれる人間関係があることを常に証明し続けないといけないような気がする。
だから、自信がついてもまたダメだったことがあると途端に前の成功体験すら消滅してしまう感覚がある。

年々、人付き合いの距離感が分からない。というか、人から近づいてきてもらって、それで仲良くなれれば続いているが、仲良くなりたい人に自分から近づくことができない気がする。
自尊心が減っているので、自分が大切にされないんじゃないか、と疑心暗鬼に陥る。
でも逆に言えばこれは私が他人を軽視しているし、自分自身のことをダメだと思っているのだと思う。

でも、たまに学校の同期やゼミの仲間と飲み会に行く夫が羨ましい。私にはそんな集まりが全くないのはやはり貧しい人生経験をしてしまった。

自分のコンプレックスを埋めるにはどうしたらいいのかなあ。
やっぱりまたいつか学校にいくべきかな。
学ぶこともしたいし、ご学友を作ってみたい。
今の私のコミュニケーション能力なら友達が作れると思う。友達と勉強すること、ゼミで信頼できる仲間とかがほしい。
卒業式にちゃんと出て袴を着て写真を撮りたい。

いつか人生のなかで叶うといいな。

いいなと思ったら応援しよう!