動けない問題。
転職問題である。
「アズミ・ハルコは行方不明」を鑑賞後、転職サイトを見てため息をつき画面を閉じた。
転職に向き合うことから逃げ、忘れたふりをして迎えたGW最終日。
huluにて2011年に放送されたSPドラマ「屋上のあるアパート」を観ていると、物語冒頭に長沢まさみさん演じる主人公が私より高い手取り給料の仕事を渋るシーンに遭遇した。
物語の中で出てくるということは多くの人が同様に渋るであろう金額だということ。
その金額より低い水準で働いている自分。
再び浮かび上がる転職問題。
新卒時の就活ではなかなか決まらず、今までしてきたことすべてが無駄だったと思わされ、元々大してなかった自信が削り取られた。
転職活動を始めたらまたあの品定めされる日々が始まる。
選ばれるのではなく、こちらも会社を選んでいるなんてどこかで読んだこともあったが、そんなこと到底思えない。
転職先が今より労働環境が悪いかもしれない不安にも苛まれる。
そんな風に思う人はきっとたくさんいるだろうが、ここからが私の問題点だ。
・上司に退職の意思を伝え、その後の総務・同僚とのやり取り。
・退職日の挨拶。
・転職先での新しい仕事を覚えられるか。
・人とコミュニケーションを取りたくない私が新しい人間関係に耐えられるのか。
こんな、今考えても仕方ないことばかり、普通の人なら乗り越えるのが当たり前であろう些細な事が障害になってしまう。
新しいことや変化がとにかく嫌いで、とにかく自信がないのだ。
病院にかかったことはないが、精神的に病を抱えているであろうことは予想ができ、それも新しいことへの挑戦への妨げになっている。
現状への不安と変化への恐怖で何もできない。
自分がわがままであることも重々承知している。
だからつらい。
欠陥品であることの自覚。無自覚だったらどんなに良かっただろう。
自分の頭の悪さが嫌になると周りにこぼしたとき、「無知の知だよ」と慰められたことがある。
「他人の無知を指摘することは簡単であるが、言うまでもなく人間は世界のすべてを知ることはできない。 ギリシアの哲学者ソクラテスは当時、知恵者と評判の人物との対話を通して、自分の知識が完全ではないことに気がついている、言い換えれば無知であることを知っている点において、知恵者と自認する相手よりわずかに優れていると考えた。」 Wikipediaより
私は自分が無知であることを知ってしまった人より、自分が知恵者であると信じていられる人のほうが優れているように思う。
自分には知恵も能力も行動力もなく、それを変える意欲も気力もない事を知ってしまった私は今、未来への絶望しかない。