IgA血管炎と診断された日のこと(後編)
長くなってしまいましたので後編です。
前編はこちら
息子の足に発疹ができた夜。
ネットで検索をしたら
「胃腸炎の後によく蕁麻疹がでる」と沢山の記事を見かけて
そんなもんかーと思っていた。
その後も息子の食欲は戻ってきて、本人も
「今度は便秘にならないようにちゃんと水分もとらなきゃ」とも言っていた。
始業式の日はなんとか登校させて私も仕事始め。
…のはずが、始業前に学校から微熱で呼び出しがかかり
パソコンを立ち上げてから落として、周りに新年の挨拶だけして帰宅した。
それでも家では元気な息子。
数日後は学校に行き、授業を受け、放課後デイに行き、
私と発達相談に行き、夜ご飯を食べて元気に帰宅していた。
なのに。
週末になってから事態は急変。
またお腹を痛がるようになり、呻き、泣いている。むしろ叫んでる。
そして今度は繰り返す嘔吐。
吐きつくして吐くものが何もなくなっても、なお吐く。
翌日のかかりつけ医の診察予約をとってあげるしかできなかった。
朝イチの受診。
カルテを見ながら穏やかに状況を聞いてくださる先生。
診察台に横たわってズボンの裾をたくしあげると表情が変わる。
「…お母さん、これ紫斑病だわ。ここで診るやつじゃないから。
○○病院はよく行くの?今からすぐに行って!」
看護師さんにも
「お母さん、これ歩くのも激痛なはずです。抱っこしてあげてください」
と言われベッドまでおんぶして運び、指示を待つ…呆然…
『紫斑病』でググりながら出張中の夫に、取り急ぎ連絡。
(これ、ほぼ入院になるやつやん…転勤族なのに詰んだわ…)
紹介状を準備していただき大きな病院へ急ぐ。
駐車場からも、病院内も、呻く大きな息子をおんぶして
駆け抜けていくスッピン眼鏡の髪を振り乱すおばさんはさぞ異様だったかと思う。
この時思っていたのは。
実は息子に申し訳ない気持ち。
息子は発達障害児で感覚過敏がある。
ちょっとのこともオーバーに言うきらいがある。
だから今まで散々「痛い」と言っていても「そこまでじゃないだろう」と
8掛けくらいに考えて、たかをくくっていたところがあったのが本音。
長く続く不調に私のスケジュールもさんざん狂わされ、若干苛ついていたところもある。
だからおんぶしながら、少し泣きそうになっていた。
小児科にたどり着いて、息子は病院着に着替えるとすぐに腕に針をさされた。
血液検査と点滴用の準備をしながら車いすに乗り、私は年末以降の経緯を説明する。
泣きわめく息子の足をさすりながら診察。
そして「IgA血管炎」という耳慣れない病名を初めて聞いた。
さらに追い打ちをかけたのは、多動の息子に対して
「この病気の一番の治療方法は安静なんです」
という半ば死刑宣告に近い言葉。(親にとっても死刑宣告)
そこですぐにコンサータの併用の確認をとった。
更に「腸重積を併発している可能性があります」という言葉が。
正月早々に夫と喧嘩したけれど。
感じた母の違和感ってマジ半端ねェ…こんなことで当たってほしくなかったけど…と思いつつ
背中を押してくれたツイッターのママクラスタのみんなに感謝をする。
エコー検査が待っていたので、説明をして見通しを立てさせ
お腹に塗るゼリーについてもあらかじめ説明して準備した。
思ったよりも冷静に診察を受け
「腸が腫れているが腸閉塞はない」との診断を受けた。
そこからはあっという間だった。
すぐに病棟に移動し、いろいろ書類を書き、点滴でステロイドの投与が始まる。
ベッドの側で夫に連絡し、入院したことを伝えた。
私は24時間付き添いになるのを知っていたので
(ここからはワンオペ死ぬ気でがんばれよ)
という思いで送ったメールに
「今日は泊まるの?」と拍子抜けする返信がきて温度差に愕然とする。
そしてステロイドが効き始めた途端に
「おなかが空きすぎておなかが痛い」
「隣の赤ちゃんがうるさい」
「ここ、暇だね」
とうるさい息子が戻ってきた笑
先生に許可をいただいてオニギリを食べられたのをみてほっとした。
その後、Wi-Fiの入る窓の大きな個室に移り、病気についてググりながら一息ついた。
夕方になり、娘の保育園に電話。
事情を話してしばらく夫が対応することを伝える。
その数分後に夫から連絡。
「娘、39度の発熱だって」
奥さん、きましたよ。
マジか。マジで詰んだ。
こんな時ってフリーズして言葉も思考もストップすんのね。
ナースステーションに行って事情を話す。
24時間の付き添いが必要なので、夫と娘が来てから入院準備の荷物を取りに私が自宅に戻る予定だったけれど、それも叶わなくなった。
2時間で戻ることを、息子と病院に約束をして病院を抜けさせてもらった。
すぐに娘の診察予約をとり、車で帰る途中に夫を駅で拾う。
「サバイバルだね。どーなってんのこれ」と二人で笑う。
娘の母子手帳を夫に託し、私は自宅で荷物をまとめる。
夫の付添交代も差し入れも期待できなくなった以上、一人で付き添いできる準備をまとめた。
さて、タクシーでいざ病院へ戻ろうと思ったら全然つかまらない。
迎車は何件かけても断られる。
仕方なく夫に連絡をして、「インフルA型」と診断された娘が乗る車を道端で待つことになった。
寒風の中で小学校にも電話して担任に病名を伝え、しばらくの入院を伝えた。
車の中で、とても39度あると思えないほど饒舌で元気な娘と対面。
『はたらく細胞』を一緒に観ていた娘ちゃんなので
「どうやら血小板ちゃん達がやられちゃう病気に兄ちゃんがなっちゃった。
母ちゃんもしばらくついてなきゃいけないんだ。」
と説明しているうちに、約束の時間を20分すぎて病院に到着した。
窓越しに娘ちゃんとタッチをしてから急いで病室に戻った。
そこから、転勤族で頼る身寄りがない土地で、癇癪持ちの息子との付き添い入院生活始まった。