見出し画像

看護師への茨の道 vol.3

看護学生の頃の実習の話は
もうそろそろ終わろかな

って重いし、長いけど(苦笑)
吐き出し切ろうと思う。

いつも訪れてくださって
嬉しいです。
ありがとう。

実習のローテーションは
グループで違っているのと
わたしは敢えて今バラバラに
書いています。

精神科の怒涛の毎日ののち
受け持ちだった彼女は
わたし以外の学生は
受け入れないと決めたと
あとで聞きました。

そして外科実習

ここでの喪失感というか...
とんでもない経験でした。

関連図というものを
書いて色々考えられる事を
導き出すんですけど

彼女のデータや症状から
A4サイズの紙が8枚ほどの
紙に広がり
全部「死亡」に繋がった時
絶望しました。

多臓器不全です。
だけど20ソコソコの
わたしには強烈でした。

人の仕組みというか
システムというか
繋がりというかを
看護師レベルではあるけど
知った。

人が旅立つ時には
やはりひとりだと痛感し
改めて思い出すとか
振り返るには
重過ぎて


燃え尽きていました。
まさに抜け殻のようだったなぁ
先生達も敢えて触れてこなかったな。

その後も他科に行くんだけど
どの受け持ちケースも
ハードで、
でも関連図に「死」は出てこない。

外科実習ってオペを見学するのも
大事な実習でした。
そのオペ後の経過を看護計画を立て
退院指導をするとか。

でもわたしの受け持った
母と同い年の彼女は
わたしの外科実習終了後の
10日後あたり
オペ後1ヶ月くらいで
旅立たれました。

皮膚科では医学書に3行しか
説明が書かれてない症状の方
(もうどーーーーーーすんの???)とか
あんなに子ども好きだったのに
小児科では重症てんかんベビーで
子ども好きだったのが嘘くさく感じてたし
そのお母さんの精神的ケアがメインとか
お母さんが離れてると
赤ちゃんはわたしに反応するから
脳波が動き大騒ぎになるっていうパターン
ばっかで、お母さんから睨まれるし
わたしなんかした?みたいな。

なーーーんか
上の空というか
心が動かないというか

実際、トイレで寝てたり
時間潰してました。
逃げたかった。
もう無理だと思った。

そしてしばらくこなすだけの
毎日が過ぎ
休める時は
欠席しました。
出席日数ギリギリ。


話は産婦人科実習へ。
助産師さん超超ピリピリしてて
学生に当たってて
看護師さんアゴで使ってる感じにも
見てとれるけど、
ドクターには
笑顔...みたいな
女を地で行くような
そんな鬱陶しさと
バカらしさと
気持ち悪さが襲ってきました。
ささくれだってて
それがいのちに向き合うのに必要なんだ
へーーーーーみたいな(ごめんなさい!)

あ、自分が看護学生相手に
産婦人科実習相手にするとか
助産師学生お世話するとか
やってみるとね
わかるの、あの時の
あの助産師さんのピリピリ感。
だから、否定じゃないんだけど...ってとこ。
ピリピリさせられる感は
悪いことじゃあないかもだけど
ピリピリすんのはこっち都合っていうか
美しいものではないよねって感じかな(苦笑)

で、産後元気で問題ないと
お母さん達って普通で
若干不安定なので
学生相手に喋りたいことや
鬱憤ばらし以外は
助産師さん「に」
聞いてほしいんだってことも、
わかった、人間らしいけど...
ので
結構トイレで時間潰してた...
めっちゃ告白してるぅわたし(冷汗)

お産の見学というか
付き添いというかは
お母さんとその家族が
承諾をしてくださって
初めて立ち会えます。

今日が実習最終日という日
学校の先生もこのグループは
縁がなかったね〜なんて言われ
みんなで、残念がってたんだけど
もうお産!って方がギリギリで
入ってきて、
その日の立ち会う予定の学生は
わたしともう一人の友達で。

幸運にも立ち会います。

助産師さんもドクターも
急な進行に慌ててますし
お母さんも急な進行にパニック気味で
分娩台で暴れてて

はい、学生の出番っすよ
助産師さんに言われるがまま
抑えて声かけて!!!的な。

抑えんの??へ??
と思いながらも
お母さんの産む力に圧倒され
本人も分娩台から暴れて落ちそうで。

殴られ、蹴飛ばされ
抓られ...腕にしがみつかれ
二の腕雑巾絞りされ...
凄まじい力に
たじろぎました。
汗を拭き
水分補給して
また声をかけて..
助産師さんには怒られながら...
なんで怒るの?という
疑問を解消する場合では
もちろんなく...

その最中なのに
この分娩台って
なんでこれ?
危険じゃね?とよぎる...(笑)

はい、これここからずっと
分娩台反対派(爆笑)

赤ちゃん誕生まで
実質時間はかかってないけど
赤ちゃんの初めての声
産声を初めて聞いて
その声のすごさに歓喜し
お母さんの安堵の表情と
溢れる愛に

もっっっのすごい達成感と
疲労感と脱力感と幸福感に
見事にやられました。
腰抜かした(爆笑)

ドクターの記憶が全くない...

で!
俄然産まれるサポートが良い!!!!!
女性ってすごい!!!!

っていう流れ。

これがわたしの過酷な
助産師へのスタートラインになります。

こういうスタートラインに
持ってたのもきっと自分の選択。

そのためにわたしの前に
現れてくださった皆様に
本当に感謝しかない。

実はオペ後亡くなった彼女は
お腹を開けて見て切除するところは
したものの、どこをどう戻せばいいか
というカンファレンスが
オペの間に入った(オペ中断ってやつです)
ほどの重病で、わたしももちろん
ご家族もそこまでとは聞いてない状態の
要は手の施しようがなかった状態
だったと言えるでしょう。
その後の熱発や多臓器不全は
オペ侵襲からすると
逃れられなかったのだろうと
思います、が、
正直憤りさえ感じました。
なぜオペをしたのか
とか
なぜインオペにしなかったのか
とか...

のちに医師会で話題に上ったケースと
聞いたような...

それと
精神科の彼女への
投薬の過剰さや
医療介入による抑圧、限界
を識ってしまった感とか


医療というものはまるっと受け入れる
という器はないんだなと
自分が身を粉にして
まるっと受け止めてみて
わかるというか...


まぁ、学生だからできた経験であることは
間違いないです。
これ臨床でやっちゃってしまったら
離職を選択すること多々あるはずだから。

個人でやってはならない事でもあると思う。
医療はやっぱTEAM、大事。


医師側の説得に入る説明は
気持ちはわかるけど
じゃあこっち側の気持ち
わかんの?ってなっちゃう、
どっちが偉いとか立場とか責任とか
ま、今は端に置いて。


生きてきたその人なりの
人生はどこ?
疾患と「だけ」向き合うのは
医療じゃない、
あなたは何と
話しているのか?とか...

その他諸々
他にもあるけど
ま、いまはいっか


要は西洋医学がなんぼのもんじゃい
西洋医学じゃ太刀打ちできっこない
ほかに人には大事な事があるはずだ
という根っこが生えちゃった。
あはは


そしてピュアないのちの誕生、
もうこの流れ

ハードすぎるけど
意味があったな...と
今はとてもよくわかる。

振り返ればここが
助産師で生きると
覚悟した日でもあったなぁ

そして
わたしの不思議な
助産師の経験に繋がっていきます。



続く

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?