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看護師への茨の道 vol.1

看護師になると決めてから
いよいよ看護学生になったころ...

長いな
長くなるな...
やっぱ長くなったな(苦笑)
自分で読んでても
なかなかの重み(笑笑)
だいぶ重いよ(苦笑)

寄って下さってありがとう。


高校卒業までもまぁまぁ
不思議なことに恵まれました(笑)

まぁそれはまたいつか

そして運良く、本当に運良く
国立大学医学部附属の
医療技術短期大学部看護学科に合格

いまこのいわゆる医技短は
看護学部などの大学4年制になりました。
大学の看護学部になる前身という感じ

短大の位置付けなので
3年間で国家試験受験資格を得ます。

1・2年は遊び呆け(苦笑)
部活は大学といえばテニス!(古っ??)と
思ってかじったけど
半年でバレーボールがやっぱ好きで
女子バレー部へ。
医療系はレベルは低いけども
キャプテンをしつつ
わたしなりには
やりきったなぁ

色々あったけど
遊び呆け..ま、おいといて。


3年生になると8-9人グループで
各科ローテション大体2週間ローテで
実習が始まりました。
パート①にしよかな。

そりゃ〜ぁ
まーーーぁ
すごい「引き」でした。

科によってどういうケースが良いか
患者さんが学生を受け入れるかなどの
条件をクリアした看護のケースを
先生が考えてくれて
それを誰がどの患者さんを
受けもたせてもらって
どう看護を展開できるか
グループでくじ引きやじゃんけんや
色んな方法でケースを決めました。

寮母さんがいて看護師さんもいる
特別養護老人ホームの実習では
ボケたおじいちゃんおばあちゃんが
なぜかわたしの後ろを列になって
並んで(列を乱さずでびっくりよ)
ついてくるの。
わたしが椅子に座ると周りを囲んで
みんな座って諸々のバラバラに
おもむろに
話したいことをぶわーーーーっと
一気に喋り出すとか、日常茶飯事で。
なんの実習だっけ?みたいな状態(苦笑)
聖徳太子じゃねーぞー
みんないっぺんには聞き取れないって!
みたいな状態(冷汗)
わたしがうごくとみんなが動くので
オムツ交換にならないから
そこに座ってて!とか
スタッフに言われる始末...
就職先にと勧誘されました。

友達たちはオムツ交換とか
食事介助とか看護らしいことをしてたなぁ

とかー


外科では、母と同じくらいの女性
外科ではオペ前のオリエンテーションとか
そう言う看護も実習の一つなので
たくさんお話ししました。
すごくすごーーーく
家族を愛しておられて
家族のために
家族のためならとお話しくださいました。
オペ見と言ってオペ室に入って
オペ室看護も見学させてもらい
実際のオペを見学します。

結果から先に言うと
彼女はオペ後、約2週間後
多臓器不全でなくなりました。

学生が関われるケースでは
ないです、今ならわかります。

本当に壮絶なオペ後の経過でした。
朝一8:30入室でオペが始まって
15:30...
再建法を決めかねるほどの
大手術になって
わたしは途中で帰されました。
オペが終わったのは20:30だった。

オペ後学生には触らせられないといわれ
わたしができたことは
手のひらと足の裏と
お耳を拭いて唇に氷を滑らせ
口腔内用の綿棒に冷水を含ませ
口腔内を冷やしつつ清潔にし
氷枕の氷の交換に明け暮れるだけでした。
会話は人工呼吸器を装着していたので
アイコンタクトでしか
コミュニケーションが取れませんでした。
彼女はわたしの外科の実習中は
生存されていました。

わたしの実習期間が終わったあと、
ICUでの治療になり
呼吸器は外されてましたが
透析が始まっていました。
亡くなる当日、
別の科の実習中のわたしに
どうしてもきてほしいと
ご主人からの要望で
学校側も臨床側も特例で
ICUへ面会に行きました。
「わたしも頑張るから
貴女は絶対に必要な人なんだから
諦めないで頑張ってね」と
むくみまくったパンパンの
顔で最高の笑顔を見せてくれ、
握手してくれました。
泣いて帰りました。
その晩亡くなったことを翌日
先生から知らされました。
また泣きました。
いっぱい泣きました。
そのあとご主人からお手紙と
彼女がわたしが実習終えたあと
元気になってわたしに渡しに行くんだと
ちぎり絵を作っていたそのちぎり絵と
ご主人からのお礼の品を学校に届けられ
特別に頂きました。
今も大事にしています。

外科って虫垂炎とかのオペを受けて
元気に退院するってケースも
友達は受け持ってたのに
わたしはこのHeavyさ...

今ではものっっっっっすごい財産です。
彼女とそのご家族には感謝しかありません。

とかー

整形ではリウマチの方
わがままで病院のスタッフも
手を焼いているので
お守りか??ってポジション...
だったはずが、目を見て話をした後から
わたしのいうことだけは聞くという
なんだか摩訶不思議な事になったり

友達は骨折のリハビリ付き添いとか
してたよね〜

とかー

脳外科では
こっちがいうこともわからないし
本人が言いたいこともわからないから
何を要求しているのかわからないという
病状の患者さんでした。
目配せで「はい」「いいえ」
がわたしはわかってしまうという
そして状態改善していたり...
それが医師にとっては
何事だ??となり...
わたしが実習中でそばにいるとき以外
そういうことも起きないから
きっと気のせいとあしらわれ...

友達は下半身麻痺とかの看護とか
吸引とかの見学とかしてたよね〜

とかー

精神科では閉鎖病棟にいる中学生女子でした。
前学生グループで関わって
前のグループの学生の友達から情報では
意思疎通も何もなかったと。
だけど、
そのまま学生が受け持つことを
その閉鎖病棟にいる彼女が望んでいる
ということで
みんななんか遠慮したので
くじ引きで決めまして
はい、わたし大当たり〜
これまた壮絶でした。
ドラマ??的な...
本当に大変だったんだけど
すっっっっっっっごいミラクルが
起きたの〜

続く...

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