NeXTを広めるそしてインターネット
1991年頃からNeXTのマーケティング部門に異動して、社内・社外のアプリケーションの技術サポートと開発環境の広報などを担当しました。
NeXTのアプリケーションを開発してくれるサードパーティーに向けてNeXTSTEPとオブジェクトプログラミングに関して何度もセミナーを開催しました。
まだNeXTSTEP日本語版は発売直前の状態でしたが、その頃、東京近辺にいた海外でNeXTを購入してユーザーになっていた人達がユーザー会として集まって定期的にキヤノンでミーティングを行っていました。
その集まりをサポートするように言われ、実際にオリジナルの英語対応のNeXTSTEPを研究や業務にNeXTを使っている人達の生の声を聴くことができました。後に長いつきあいになったArthur C Kyle 氏とも親交を深める事ができました。
そして、日本でもNeXTユーザー会という団体が立ち上がり、キヤノンもサポートするようになりました。最初の会合ではマーケティングの部長と共にキヤノン側代表として参加・日本語版の紹介や販売促進を行いました。
同じ頃、スイスのCERNの研究者ティム・バーナーズ=リーがNeXTを使って開発したWorld Wide Webというアプリケーションが話題になり、ハイパーテキストを使ったサーバーとクライアントの組み合わせで無料配布されました。大元はテッドネルソンが企画したハイパーテキストのXanaduです。
研究者の情報共有・引用を目的としたhttpサーバーが同梱されているという点が画期的で、テキストベースのアプリケーションですが、始まりを迎えた広域コンピュータネットワークであるインターネットの初期にぴったりマッチしたのです。
NeXTユーザー会には個人でNeXTを保有している方もいて、日本でもインターネットを使う計画が進んでいました。ワークステーションに分類されるNeXTを個人で所有する人は資産家が多く、ネットワークにも興味を持っていたわけです。
私もそのインターネットを始めようとするグループに潜り込んで、1993年には自宅のNeXTをネットにつなげる試みを始めました。
WWW(World Wide Web)を動かし、1992年後半にはイリノイ大学のマークアンドリーセンがSUNやMacで動く画像をサポートしたWWWクライアントMosaicを開発し、大きな話題となりました。
1993年の時点ではまだインターネットで利用できるアプリケーションがほとんどなく、メール、メーリングリスト、UUCP接続(接続先を列挙する形式のバケツリレー型ネットワーク接続方式)でつながるnewsという情報共有システムなどだけでした。
Gopherという情報共有サービスも動いていたのですが、NCSA Mosaicという画像も使えるWWWブラウザーを使えばかなり手軽にユーザー同士の情報を参照・引用・交換できるWWWに期待がもたれました。
まだNeXTSTEPではWWWブラウザーが動いてなかったのですが、1993年の末にはOmniWebというかなり優秀なWWWブラウザーが動き始めました。アプリケーション開発でお世話になっていたLightHouse DesignとOmniGroupが開発したもので、ベータ版を使う事が出来ました。
1993年の終わりに個人が集まるグループで当時AT&T JENSによって開始されたばかりの商用インターネット接続サービスを利用してメンバーの所有するUNIXマシンがインターネットに接続しました。
主催する方のハブに3.4kアナログ専用線で接続し、9600bpsのモデムを介して専用ドメインをそれぞれ取得し、ネットワークが開始されたのです。
PCのサポートが無いので、まだ誰もインターネットのポテンシャルを理解していない時代でした。しかし、NeXTマシンのように標準でネットワークと関連ソフトウエアがサポートされているものに接していた人はTCP/IPによるネットワークがいかにすごいものであるかは理解していました。
特に大きな進歩はコンピュータの名前とIPアドレスと呼ばれるインターネットの識別子を結びつけるDNS(Domain Name System)という仕組みが本格的に稼働しはじめた事がありました。
数億台になるであろう世界中のコンピュータの名前を解決する仕組みが動き始め、設定がものすごく面倒なメール配送システムもDNSによって解決しはじめたのです。
私も、当時の妻と飼っていた猫と共にWebページを開設し、まだ100サイト程度だったWebサーバー群に参加したのです。
なにしろ、WWWはティム・バーナーズ=リーがNeXTを使って開発したものですから、NeXTととても相性が良いわけです。
インターネットについて会社でも説明を始めて、NeXTのアプリケーションを配布する方法としてWebを提案しました。これは、販売が移管されたキヤノン販売の販売促進部の要望を満たすものでもありました。
当時、アプリケーションは個々にパッケージされ、カラーページ付きのカタログを配っていたのです。このカタログの製作費はキヤノン本社持ちで、担当者が制作にも改定にもずいぶん費用がかかると言っていたのでこれも一挙に解決しようと考えました。
そこで、Webにアプリケーションを置いて、ダウンロードしてもらい、後にライセンス料金を払うという仕組みを思いついて,LightHouse Designのエンジニアと相談して、アプリケーションにデモモードと、ライセンス機能を追加して各サードパーティーに提供する事にしました。
今から考えるとこのインターネットを使ったアプリケーション配布の仕組みを特許として申請していれば,今ごろお金に困らなかったのかもしれませんが、インターネット自体もWWWも無料配布だったので、当時はそんな事は考えないのでした。
1994年を通じて、この、キヤノンが提供するNeXTSTEPのWebページを作り、ダウンロード可能なデモモードを備えたアプリケーションを仕上げました。
その後、Webサーバーの内容をそっくりそのままCD-ROMにして、WebブラウザーであるOmniWebとインターネットへ接続するキットもつけて配布しました。ライセンスを購入するにはキヤノン販売の担当部署に連絡するだけにしました。
まず手始めに私が実践していた3.4kアナログ専用線でNeXTマシンをインターネットに接続するという形で始める事にし、1994年末に最終テストを行い、1995年1月にキヤノンのNeXTWebページを公開する事にしたのです。
非常に優秀なエンジニアがいてNeXTをしっかり理解している大阪の会社と共同作業を行ったのです。Webページ公開日が1995年1月16日でした。そう。阪神淡路大震災の前日です。
1月17日にはアクセスが始まって、あっという間に回線とサーバーの能力を上回る混雑になりました。私と大阪のメンバーは喜んでいたわけですが、肝心の主任エンジニアと連絡が取れないという知らせがあり、心配していたら大地震だったわけです。
地震の発生は早朝だったわけですが、被害の様子がわかったのは午前10時頃だったと思います。テレビの中継で阪神高速・ポートアイランド、三宮の悲惨な被害と火災を知りました。幸い、大阪の関係者に被害はなく、事態を見守っていました。
というのは電話は通じなくなっていましたが、インターネットは生きていたのです。NeXTで動くチャット(talkコマンド)で連絡をとっていました。きしくもtalkコマンドは私が日本語化したコマンドでした。
WWWが非常に有用な仕組みであるという事を知らしめることは出来たのですが、理解してくれるのはNeXTを使ってくれている1万人程度だったのです。
1995年中にキヤノンNeXT Webサーバーの回線は増強され、満足のいくスピードを確保する事が出来ました。
しかし、なんとその大幅増強の日が1995年3月19日だったのです。そう。地下鉄サリン事件の前日です。NeXTWebサーバーで何か新しい事をやると翌日におそろしい事が起きると揶揄されたものです。。。。
幸い、その日は代休を取っていて出勤しなかったので都内をうろつく事はありませんでした。
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