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廻花について思うこと

花譜4th ONE-MANLIVE怪歌に現地参戦したら脳天をハンマーでぶっ叩かれたような衝撃だったのでその思いを綴っていこうと思います。

自己紹介

自己紹介なんか書かず、さっさと本題に入りたかったのですが、今回のライブの内容(特に終盤)は私の研究内容と関連が深いため書かなければいけないなと思いました。

まず私は普段大学院で主に工学的な観点からアバターや自律エージェントの研究をしています。また、趣味でVTuberを見たり、xR(VR/ARなど)コンテンツを作っています。
そうです、私の趣味や研究領域は神椿のコンセプトや廻花とドストレートに被っているのです。
ライブの日くらいは現実のことを忘れて楽しもうと思っていたのに廻花以降はずっと研究や解釈のことを考えていました。

ちょこっとやってることを公開すると、AGC(旭硝子)のミラーディスプレイにあおぎり高校の栗駒こまるを登場させるお手伝いを少しだけさせていただいたりしています。

そんなこんなでほぼ毎日VTuberやアバターに関して色々考えを巡らせているときに廻花お披露目ですよ!敢え無く脳が破壊されました。

ALTERNATIVEの解釈について

まずはALTERNATIVEについて振り返ってみましょう。1~3は既出なので省略します。

  • 深化ALTERNATIVE4

    • バーチャルアバターを複数持ち、ひとつだけの外見から自由になること

  • 深化ALTERNATIVE5

    • 現実の身体に、バーチャルインターフェイスを実装し、リアルとバーチャルの関係性を反転させた「あらたな存在」へと分岐すること

4については最初廻花のことを指しているのかと思っていたんですが、廻花は5のことなので単純に衣装差分などを指すんですかね。
アバターを複数持つということに関しては、目から鱗でしたね。人の肉体は唯一つだけど、アバターでならいくつ体を持ってもかまわない。そんな当たり前の考え方になぜ今まで目を向けなかったのだろうと壁に頭を打ち付けています。メチも好きの形は複数あっていいって言ってたからね!

問題は次の5番ですよ。いきなり持論を展開する前にまずは説明文を解きほぐして行きましょう。5番の文章の中でまず1番に分からないのは「バーチャルインタフェース」(宗教上の理由で以下インタフェース)でしょうバーチャル/インタフェースとわけられるので1つずつ見ていきます。
まずはバーチャルですがバーチャルの辞書上の意味は

  1. 実質上の、事実上の、実際上の、実質的な◆実体・事実ではないが「本質」を示すもの。(英辞郎 on the Web)

です。つまりCGや頭につけるVR機器とか表面上の表現ではなく、真にそうだと思える体験や表現のことを指します。(余談ですがバーチャルは端的に言うとリアルに感じられるものを指すので、バーチャル×リアルは対になる表現ではなく不可分な類義語です)

次にインタフェースですが、インタフェースは日本語で界面や境界のことを指します。HCIというコンピュータと人間の関わりについて考える学問では情報や体験を受け取る表面を指すことが多いです。例えばTVのインタフェースはテレビ画面です。意外とわかりやすい概念ですね。

ではアバターのインタフェースとはなんでしょうか。アバターのどこから情報を得るかと言うと見た目や声動きなどでしょうか。だんだん見えてきましたね。

本題に戻ります。
定義に照らし合わせるとバーチャルインタフェース=それそのものではないが、本質的には情報を受け取れる界面といえます。これを現実の身体に実装するということは何らかのメッセージを身体を通して伝えたいのだと思います。なんだか身体拡張の文脈に近しいですね。
そのメッセージというのが花譜/廻花のオリジン自身の言葉や価値観であり、そのインタラクションそのものが廻花なんじゃないかと思います。(正直インタフェース自身が概念よりの単語なのでバーチャルをつけなくてもいいのではと思わなくもない)

廻花について思うこと

次に廻花について深堀していきます。
まず初めに怪歌の終盤にディスプレイに映っていた存在はオリジンなのか全く別のアバターなのかでこれより先の論調が完全に変わってしまいますが、幸いにも(?)パンフレットにオリジンと明記されていたのでオリジンとして話を展開してきます。

まずオリジンの姿を出したことについて思うことを書きます。
正直このことについては花譜のデビューのいきさつを知っているかいないかで解釈が180度変わると思います。
簡単に花譜の出自を振り返ってみましょう。
花譜は元々人気歌手でも人気配信者でもなく、音楽アプリに細々と歌を投稿する東北に住む普通の中学生でした。そんな折、現神椿スタジオプロデューサーのPIEDPIPERがそのアプリで偶然花譜の曲を聴き、この才能を掘り起こそうとしました。しかし花譜の保護者からは素顔を晒してほしくないと反対されてしまいます。そこで当時はやり始めたバーチャルYouTuberの形態でデビューすることとなったのです。

このようにバーチャルYouTuberを選んだのは苦肉の策であったのですが、それから6年、二十歳を迎えた花譜はカンザキイオリと同じく自身の殻を破り、デビュー当時の困難を超克し廻花として新たな一歩を踏み出したのです。
この一歩は賛否両論ありますが、私はどちらかというと賛成派です。
カンザキイオリに曲を提供してもらい、モデラーに丁寧に仕立て上げられた姿である意味雛鳥であった花譜が自身の手で曲を作り、文字通りに自身の力で「そこ」に立ち、歌として、詩として自身の胸中を歌い上げた。観測者の動揺も凄まじかったですが、廻花として登場してからの彼女の不安は計り知れないです。
たしかに、花譜という存在は一人の人間が背負うにはあまりに巨大になりすぎてしまったので、廻花という存在が感情のはけ口になるといいですね。
正直心のどこかで花譜のことを心のどこかでいまだに中学生の女の子として見ていたかもしれないため、廻花の登場時にあまりの生々しさに「日本の何処かに棲む 何処にでもいる、 何処にもいない」存在が瞬時に霧散してしまいライブ中はずっと動揺していました。
花譜のどこが好きかと問われると「バーチャルYouTuberという形態がなかったら観測することが叶わなかった存在だから」と答えていたと思いますが、よくよく考えてみるとバーチャルYouTuberは表現のための手段であり目的ではなかったとはたと気づかされました。
私は花譜の歌声や読む詩、価値観が好きなんだなと改めて思いました。
ある意味運営のやりたいことをやってもらう拡声器としての花譜よりも、花譜がやりたいことをやる廻花のほうがオリジンの純度が高いのです。
そんな彼女自身の思いや造形を文字通りリアルタイムに観測できる廻花を少しずつ受け入れていければなと思います。

今回のライブを通して私がいまだに2018年に捕らわれていることが分かったので自分の時間も進めていきたいと強く思われされました。
(PIEDPIPERも輝夜月の呪縛を断ち切ろう)


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