ぼくのプロフィール

はじめまして。タカヒロと申します。
求人広告の代理店で営業をしながら、「アマチュアのヨットレーサー」
として活動しています。



生まれ〜小学校まで

1992年。愛知県半田市の出身。衣浦港に面した街です。
実家は決して裕福ではありませんが、全長7mほどの小さなヨットを
持っていました。休みの日その小さなヨットを操り、草レースへ繰り出す。そんな夫婦の間に長男として生まれました。
ヨットレースは海が舞台です。1度海に出れば、夕方まで戻りません。
だから生まれたばかりの僕をどこかに預けることもなく、ヨットに子供用の椅子を固定し、よくわからないまま乗せられてました。
なのでヨットとの出会いは0歳のころ。
そして物心ついたときにはヨットの虜になっていたのです。
小学校の卒業制作のアルバムを見返すと50ページ中、半分以上はヨットの絵、写真で埋め尽くされる程。
「なぜ虜に?」と聞かれると難しいのですが、「風の力だけで海に
繰り出す」ということがあまりにも非日常で、かつ、学校の友達のなかに
そんなことやってる家庭はウチだけだったので、ある意味「優越感」みたいなものだったのかなぁと思います。


中学校〜高校まで

中学校に入る少し前ですがそんな生活は一変。
父が自ら工場を立ち上げた影響もありヨットどころではなくなりました。
同時に僕も中学校からは校則に則り、部活に所属しなければいけません。
無論、ヨット部なんてありません。
母からは「運動部に入りなさい」と言われてたし、僕も身体を動かすのが
好きなのでいくつか体験入部。
その中でどハマリしたのが「バドミントン」でした。
今まで夢中になっていたヨットは見向きもしなくなりました。
土日も部活、体育館が使えなくても外トレ、部活がない日は市内の体育館を借りて友達と練習。
その甲斐があり、群大会の一個上、県大会出場。
それがきっかけで高校にも特待生で入学できました。
(※とはいいながらも県でベスト4くらいの高校。インターハイなんて夢のまた夢のような高校でしたが。)
トントン拍子で話は進み大学もスポーツ推薦で進学。
大した戦績も残してないのに、ただ大好きなバドミントンだけをやってきただけで大学まで行けたのです。


大学時代①(バドミントン部)


スポーツ推薦なんで部活はバドミントン部一択。勉強なんてまともにした
ことないし、バドミントンをやるために学校に通っていたので授業は全く
やる気なし。「潰しがきくから」という根拠のない理由で経営学部へ。
しかし、部活においては結構真面目に練習してました。
大学の部活は監督やコーチはいません。練習メニューを考えるのも、大会への参加登録も全部自主制。そんな環境が更に自分を磨いてくれました。
そう感じたのは3年生の頃です。4年生が引退し、僕らが幹部として部活を運営。東海地方でベスト8に入るチームだったので、高校の時は強豪校の
3番手4番手くらいだった選手が集まっていました。
なのでレベルの高い練習の引き出しは沢山。それを大学でもやりました。
しかし全く上達しません。
そこから、「疑問を持つ」ということを行うようになりました。
「高校の時の監督はこう言っていたけど、ほんとはこっちの方がいいんじゃない?」
「この練習ってどんな意味があるの?」
「陸上部のこの練習、うちらでも通ずる部分あるんじゃない?取り入れて
みない?」などなど。
疑問を持ち、自ら気づいた視点で練習を行う。→負けていた相手に勝てる。
言われたことをやる。ではなく、自分で疑問を持ち、考え、視点を変え、
今までに無い成果を上げる。これが楽しくてしょうがなかったのです。
結果、個人で東海ベスト8という今までで自身最高の戦績を収めました。
なによりも「疑問を持つ」という今後の人生でも大切になることに自ら気づきました。


大学時代②(ヨットとの再会)


ヨットとの再会は意外なものでした。
授業とバイトの空き時間にYouTubeをみながらだらだらしていたとき、
ある動画と出会いました。↓これです。

アメリカズカップ(America's Cup)'92 1/3

「アメリカズカップ」という世界最高峰のレースに日本が初めて挑戦した1992年の「ニッポンチャレンジ」というチームを追ったドキュメンタリーです。

アメリカズカップとは1851年より現在まで続く国際ヨットレース。継続して使用されている世界最古のスポーツトロフィーです。
カップを掛けてマッチレース(1対1)形式で争われます。使用されるヨットは出場国で建造しなければならないため、単にヨットレースではなく、参加各国の最先端技術や軍事からの応用技術が投入される等、参加国の威信を
賭けた国別対抗レースなのです。またこれら最新ヨットにはオリンピック
メダリストら多数のトップセーラーが乗り組み、ヨットレースの最高峰
として位置づけられています。別名「海のF1」とも称されてます。

この動画を観たときのことをはっきり覚えています。
全身に鳥肌が立ち、夢中になりました。
日本でヨットはすごくマイナーな競技であることは知っていました。
そんなマイナースポーツでも、「日本人にもこんなに面白いチャレンジが
できるのか。おれもやりたい!アメリカズカップに出たい!」とその時
強く感じました。「将来の夢」ができた瞬間でした。
大学の部活の引退と同じタイミングでヨットレースのチームの門を叩き、
本格的にレース活動をはじめました。


大学時代③(NPOのこと)


大学1年、2年の頃はほとんど勉強していませんでした。
しかし、3年生の頃にある授業に出会いました。
履修要項には「平常点100%評価」と。しかし定員20人。
過去2年で何単位か落としていた自分は飛びつきました。運良く当選。
1回目の授業は概要説明でした。この講義の最終ゴールは「半期で
福祉情報誌の特集を君たちに企画、実践してもらう」ということ。
このとき講師として招かれていたのが大学近くのNPO法人の理事長でした。
この頃すでに「アメリカズカップ挑戦」の夢を抱いていた僕は、過去の日本のアメリカズカップ挑戦のことや、日本のセーリング競技をもっと広める
ためにはどうすればいいか?など普段からぼんやり考えていました。
そのとき、このNPOという存在は、アメリカズカップ挑戦とセーリングの
普及に何か役立てるのでは?と感じたのです。
もちろんそうなれば「NPOってどんなの?」「社会課題の解決って何すればいいの?」と考えます。「NPO特論」という授業を履修しました。
一番前で受けていて、気になることがあれば必ず教授に聞きに行ってました。初めて勉強に前のめりになったです。
しかし、やはり分からなかったのが「NPOってどうやって事業継続しているの?」「NPOの内部ってどうなっているの?」ということ。
「じゃあ文献ではなく、実際にNPOの中に入ってみよう」と考え、
大学4年生の12月頃、NPOの中間支援組織に連絡を取り「今から卒業までインターンシップできるところはないか?」と問合わせ、2月の1ヶ月間、長期実践型インターンシップや教育関連のイベントを運営するNPOの理事長のカバン持ちをしました。
※実際カバンは持ってませんが、質問攻めするには最高の場所でした。
NPOのこともそうですが、いまの教育の現状や、課題、そのNPOが行っていることを間近で見ることができ、キャリアや教育の分野にも興味を持ち始めるきっかけになりました。


社会人1年目


漠然と「将来NPOやヨットの方面の仕事をする!」と思っていた僕は「まあ3年位したら転職しよう」と入社前から思っていました。でもやるからには好きなものに関わりたい、また対面営業をしたい。と思っていたので、
コーヒーの「UCC」のグループ会社「ユーシーシーフーヅ」という業務用食品、コーヒー豆の卸の会社に就職しました。
しかし、7ヶ月で辞めました。
土日休みだけを楽しみに仕事をしている自分に気づき、それが許せず誰にも相談せず辞めました。「若いしすぐ決まるだろう。いっそのことヨットの
業者にでも行こうかな」という具合にいまだに頭の中はお花畑状態。しかしいざ転職活動を始めると15社も落ち続け、予想以上にしんどい期間となったのでした。


転職〜現在


16社目でようやく内定をもらいました。転職期間中、「キラキラした
社会人」になるための厳しさを思い知らされました。
しかし、いまは会社をやめたことを全く後悔していません。むしろなぁなぁに仕事を続けていたら、いまどんな社会人になっていたのか。不安です。
転職した会社はリクルートの求人広告を扱い企業の採用のお手伝いをする
会社です。
もうすぐで5年目へ突入。まだ自ら「おれはこんな成果を上げたんだ!」と
胸張って言えるものはありません。
しかし、現在27歳。時間は有限です。おしりは決めたほうが良いとは思います。
いま取り組んでいるのは「新規顧客拡大」です。できることなら新規拡大の専属としてやりたいくらいです。
理由はやはりヨットに繋がります。4つあります。

①求職者⇔企業間では、どんな会社、どんな事象にも魅力はあります。それを引き出す。そしてそれを求職者に伝える。
企業間⇔営業間では、うちの商品の優位性、営業マンの優位性をお客さんに伝え、理解してもらい、効果が出るかわからないものでも挑戦してもらう。
この2つの共通点は「知らないことを知ってもらう」こと。
セーリング、レース、アメリカズカップ、海で遊ぶことの素晴らしさや、そこに投資をすることの魅力を知ってほしい。そこに繋がります。

②既存顧客フォローより新規開拓のほうがみんなやりたがらない。

③新規にたまたまはほぼ無い。

④新しいお客さんと会うのは楽しい。

だからこそ、この1年新規顧客の拡大を目標として掲げているのです。
圧倒的な成果を上げ、次のステップへと進みたいと思います。



今後僕がやりたいこと


これは今の自分にはわかりません。
いえ、死ぬにやりたいことはめちゃくちゃあります。が、
その中で何を選択すれば良いのかわかりません

・アメリカズカップ挑戦
・セーリング競技人口の普及
・NPO
・スポーツビジネス
・オリンピックに出たい
・人々の目を海に向けさせる
・海で遊ぶ人を増やす
・キャリア教育を変えたい
・ニュージーランドでセーリング文化を体感したい
・大学スポーツに関わりたい
・英語を勉強したい
・日本でマッチレースシリーズを開催したい
・チームJAPANで世界にチャレンジしたい

たぶん他にも出てくると思います。
次はこの中からどんなことをやるのか。全く決まっていませんし、
最近では決める必要もないかなと感じ始めてもいます。
何なら、全部やっちゃえばいいんじゃないかと。


長々と失礼しました!


2019.3.21.