T3 PHOTO FESTIVAL TOKYO 2024 展示紹介『私たちは人間らしさを忘れていたのではないか』
アクセンチュア芸術部では今年もT3 PHOTO FESTIVAL TOKYO(FESTIVAL 2024 — T3 (t3photo.tokyo))とコラボレーションしており、東京スクエアガーデンの3階にて部員による作品展示を行っております。
当noteはその展示紹介ページです。
展示紹介:「私たちは人間らしさを忘れていたのではないか」(Have we forgotten our humanity?)
都会に住む現代人は、日常生活の中で仕事やテクノロジーに囲まれ、効率化とパフォーマンスの追求に忙殺されがちです。
このような環境の中、「人間らしさ」とは何かを見失い、私たちの本質的な価値や個性を忘れてしまうことがあります。
ときには個々の感情や人間関係や地域社会とのつながりといった、人間特有の要素を犠牲にしていることがあります。
ここでは、私たちが確かに持っているけれど意識しづらくなっている「人間らしさ」に目を向けます。
人間であればもっているものであり、人間でなければもたないもの。
私たちにしかできない「祈ること」に光を当てて、人間らしくあるために都市に求められるものを捉えたいと思います。
Modern urban dwellers are often overwhelmed by the pursuit of efficiency and performance, surrounded by work and technology in their daily lives. In such an environment, we may lose sight of what it means to be "human" and forget our intrinsic values and individuality. Sometimes, we even sacrifice uniquely human elements such as personal emotions, relationships, and community connections.
Here, we turn our attention to the "human-ness" that, although undeniably present, has become difficult to be aware of.
It is what humans inherently possess and what non-humans do not. By shedding light on "praying," which only we humans can perform, we aim to capture what is required in urban settings for us to remain truly human.
作品説明:
Personne qui prie ― 祈る人
浅沼頼 Yori Asanuma
「祈り」という言葉を聞いてパッと思い浮かんだのが、キリスト教徒である彼が祈る姿だった。
祈る人というテーマで写真を撮らせてほしいと言うと彼は快諾してくれ、写真を撮り始める前に「人間らしさ」や「祈り」について2人で話し合った。祈るポーズや祈る場所は、彼が普段お祈りする様子を忠実に再現している。
写真を撮りながら敬虔なクリスチャンの彼が祈る姿を見て、神の存在が彼の支えとなり、祈ることによって彼自身を未来へ導いているのだと感じた。
本作品ではタイポロジーの手法を用いて祈る姿を並べることで、祈りが日常の中にあり、彼という人間を構成する重要な要素であることを表現している。「Personne qui prie」はフランス語で「祈る人」の意。被写体になってくれた彼がフランス語話者ということにちなんで、フランス語のキャプションを付けた。
Our jewelry portrait
伏見有加 Yuka Fushimi
私は「どのような心持ちでいたいか」、「どのような自分でありたいか」でその日のジュエリーを選ぶことがよくある。身近な人のジュエリーについて、普段褒め合うことはあっても、そのジュエリーにどのような想いや、思い出が詰まっているのかを知る機会はないことに気付いた。
衣服以上に同じものを毎日身に着けられるジュエリーにこそ、それぞれの密かで大切な想いや小さな祈りがこめられているのではないかと、同世代の友人の「思い入れの強いジュエリー」とそのエピソードを共有してもらい、彼女たちの左手と共に撮影した。
左上より時計回り:
① 人差し指につけたリングは、わずかに形が異なる8本セットのリング。日によって違う形を成すため、おみくじ気分で着用している。ガラスのハートのピアスやパールのネックレスは、思いもよらない出会いで購入し思い入れがあるジュエリー。日々着用しているお守り替わりのピアスを手の甲にのせて。
② てんびん座の星座石のトルマリンのリングと、重ね付け前提であわせて購入した、ハッピーな黄色で「富や反映をもたらす」といわれるシトリンのリング。
③ 母から受け継ぎ愛用しているパールネックレスと、誕生月の石のムーンストーンをあしらった、初めてセミオーダーしたネックレス。
④ 新天地で自分へのお祝いとして買ったパール・ダイヤのネックレス。たまたま出会ってから一番お気に入りの、ガラス職人さんのイヤリング。演奏会出演時のお供として度々着用している。
⑤ 星座のうお座がデザインされたリングと、スズメの胸骨をモチーフにした「庇保」という作品名のピンキーリング。北京で買った祈祷感のつよいストーンネックレスと愛用のピアスを添えて。
⑥ 初任給で、自分へのお祝いに購入したリング。
問うこと
佐藤究 Kiwamu Sato
大規模言語モデル(LLM)は写真機のような複製技術である。LLMは、まるでレンズを通して見た現実を映し出すかのように、膨大なデータを人間が認識できる形に変換する。ここで目を向けたいのは、LLMが単に情報を処理するのではなく、それ自体が新しい視覚装置として機能しているという点である。LLMを通じて生成された表現は、物理的なレンズを通した現実の捉え方とは異なり、データから新たな「現実」を構築するプロセスになり得る。
この作品は作者がLLMに対して問いを投げかけながら、形のない内なる意図や願いを見つけていった過程を記録したものである。
祈りは、具体的な形を持たない内なる意図や願いである。同じように、LLMの応答も、入力されたテキストやデータに基づいて生成されるものであり、その生成過程や最終的な出力は固定されないが、背後には膨大な知識と文脈の繋がりがある。
祈りは、行動を通じて具現化される。同様に、LLMの応答はユーザーに新しい視点や知識を提供し、それに基づいてユーザーが行動を起こす触媒として機能する。
(そうやってLLMは作者にこの作品を作らせたのかもしれない。)
そして、この作品は、私たちがどのように写真と関わり動かされているのかという問いに対して、LLMというテクノロジーを装置としてLLMへのモノローグという行為を撮影と捉えて、構成したものである。
祈りとLLMモノローグを手掛かりにすることで、撮影が必ずしも物理的にシャッターを切る行為だけでなく、内面的な問いかけや対話を通じて「瞬間」を切り取る手段となることを強調したい。
またそれに加えて、写真は今日において「現実の記録」から「情報の表現と操作」に移行していることに言及したい。写真がデータとして容易に編集・操作できる媒体に変容したことにより、写真が物理的な制約を超えた情報としての表現にシフトしつつある。もはや写真は静的な記録ではなく動的な情報体であり、過去の一時点ではなく「いま」、生成と再解釈を行うことができる。この視点から、人間は現実を再解釈し再構築する新しいツールとしてLLMを活用し得るという点がとても重要である。
現代における写真の新たな可能性に光を当てたその一方で、現実と虚構の境界が曖昧になることにより写真の「記録」としての性質が揺らいでいることにも目を向けたい。いま社会においてもディープフェイクの問題があるように、写真の真正性や倫理的な課題について議論する必要がある。また、テクノロジーへの過度な依存、人間の創造性や独自性が損なわれるリスクに対処しなければならない。
多量にテキストを生成したあと、人の何気ない言葉に、かけがいのない大切なものがあるように思えた。
多量にビジュアルを生成したあと、外の日常風景の一目一目に、目を奪われた。
人にしかできないこと、人であることは、安易に手放してはいけないものだと思った。
テクノロジーを通じて自己と向き合う試みは、逆説的に人間らしさを再発見する手段となり得る。
鳥たちの階段
岡村良江 Yoshie Okamura
「人間らしさとは何だろう?」と考えた時、まず思い浮かんだものはテクノロジーや人間以外の生きものとも共通するものだった。表現で言えば、テクノロジーはAIはじめ人間らしい表現のためのアルゴリズムを持つようになった。生存本能や感情も、人間以外の生きものにも備わるものだ。
ある本を読んでいた時、ペルシャの詩人サアディーの詩から「祈ることは人類に仕えることにほかならない。」の一説が引用されているのを読み、祈りは人間らしい営みだと思った。それでは祈りとは何だろうか?日々の希望や願いとしての祈り、信仰の対象との約束ごとやコミュニケーションとしての祈り、あるいはこれらのグラデーションの中にある行為かも知れない。
今回は「祈りに向かう視点」をテーマに、代々木上原のモスク・東京ジャーミイ、横浜の桟橋・像の鼻をそれぞれ撮影した。
東京ジャーミイには「人間も鳥も神さまの作った同じ命。モスクでは鳥も人も休めるように。」との考えのもと、鳥の巣が作られている。像の鼻では海鳥が飛んだり泳いだりしていて、ふと二つの視界にリンクが見えた。
祈りの地図
三原普 Hiroshi Mihara
私の作品は、街中に設置されているシティマップ上の神社仏閣などの記号を抽出し再構成したものです。
この作品を通じて、私は目的地への案内という地図の本来の役割を越え、都市空間における「祈り」の存在をマクロな視点から表現しようと試みました。地図上に存在するこれらのマークは、それぞれの地域に根ざしたランドマークであり、同時に人々が心の拠り所とする場所を象徴しています。
これらの記号をタイポロジーとして表現することで、各地域の歴史や文化、そしてそこに暮らす人々の祈りや願いに想いを馳せることができると考えました。地図という俯瞰的な視点から捉えられた祈りのマークは、都市全体に広がる信仰の網の目を可視化し、私たちの目に見えない精神的なつながりを浮かび上がらせます。
現代の都市生活の中で見落とされがちな「祈り」の存在を再認識させたいという想いがこの作品の根底にあります。それと同時に、地域のアイデンティティや人々の願いが、どのように都市の構造に組み込まれているかも表現しています。
観る方々には、この作品を通じて、自分たちの住む街の精神的な地図を再発見し、日常の中に潜む祈りの力を感じ取っていただければ幸いです。
遍在する祈り
佐藤守 Mamoru Sato
祈り、という行為ほど人類が良くも悪くも精神的なエネルギーを注ぐ行為もないのではないか。
こと日本という国においては、邪馬台国の時代より祈りの力が重要とされてきた。人類にとっての祈り、という普遍性もさることながら「日本」という土地・歴史に根付く祈りの形を、その蓄積を考えていくなかで伊勢神宮の存在に思い至った。
循環社会を体現せしめる慣習としての式年遷宮。次期遷宮を目前とする伊勢の地で、自然の中にたゆたう祈りの地層と、自分自身の祈りも重ね合わせながら、その息吹と瞬間を心に留めるように、シャッターを切った。光、空気、水、樹木、若葉…人々の良い祈りも邪悪な祈りも、全ては森羅万象のなかを潜り、そして浄化され、また一つになる。
アクセンチュア芸術部とは
アクセンチュア芸術部は、社内・社外の部員にとって、多忙な日常の中で芸術を通じ自分自身を見つめ・労わる機会となるよう、 「鑑賞」を超えた多様な芸術体験を提供する部活動です。
l 様々なジャンルの芸術を楽しみ、理解を深めることで、教養としての芸術の知識を身に付ける機会を部員に提供する。
l 社内交流の他、第一線で活躍するアーティストや業界関係者と芸術部部員との交流の機会を提供する。
l 企業がどのように芸術を活用すべきか、芸術の経済面を思考・試行することで、アートマネジメントの可能性を模索する。
社内外の枠を超えて、「芸術」×「〇〇」で新しい価値を創出するため、アクセンチュアならではのビジネスやテクノロジー、人間中心の視点を活かしたさまざまなプレイヤーとのコラボレーションの場を提供しています。
2024/09現在、社外部員も含めた約550名の部員が在籍しています。
T3 PHOTO FESTIVAL TOKYOに関連した取り組み
T3 PHOTO FESTIVAL TOKYOとのコラボレーションは2021年の八重洲・京橋・日本橋エリアでの開催から実施しています。クラウドファンディングによる資金調達、写真作品の制作と展示、当日ボランティアと、多方面でコラボレーションをしています。
Motion Galleryでのファンドレイジング支援:企画協力と図録資金のファンドレイジングを支援しています。(2024年もプロジェクト実施中)