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大山エンリコイサムが語る “アートにおける破壊と創造” とは?個展開催記念鼎談レポート@アクセンチュア・イノベーション・ハブ



1. イントロダクション

2022年の10月から12月にかけて慶應義塾ミュージアム・コモンズで開催された大山エンリコイサムの個展「Altered Dimension」を記念し、同年12月9日に作家本人をお呼びしてトークセッションが実施された。クイックターン・ストラクチャー(QTS)という独自の描画モティーフを用いて現代美術の最前線で活躍し続けるアーティスト、過去の展覧会「夜光雲」 (2020-2021@神奈川県民ホールギャラリー)の協賛やオフィスへの常設作品の展示などで作家との関わりの深いAccenture、そして今回の展覧会の会場であり作家本人の母校(もちろんAccentureにも多くの卒業生が在籍している)である慶應義塾大学。開催より大変時間を経てしまったが、三者の視点から今回の展覧会を読み解く、熱いセッションの様子をお届けする。



2. イベントレポート

S : 佐藤守(アクセンチュア芸術部)
W : 渡部葉子(慶応義塾ミュージアムコモンズ副機構長)
O : 大山エンリコイサム(アーティスト)
 
S. 今回のKeMCoの展示と同じタイミングで、我々アクセンチュア・イノベーション・ハブ(AIT)の8階でも大山さんの作品を展示させていただいている縁で、10月, 11月,12月とコラボイベントを開催させていただきました。今回はその最終回ということでKeMCoとAITをつないでイベントを開催しているのですが、どちらも同じ ”HUB” であるという点で奇しくも共通点があるなぁと感じました。KeMCoは慶応義塾大学内のアート活動のコミュニティとして人同士をつないでいるし、AITはクライアントのアイデア創出のお手伝いをする場所として我々アクセンチュアメンバーとクライアント、さらにはクライアント同士を結び付けています。そういう意味で私は今回の一連の活動に “円環” を見ていて、それは開催地同士が近いから行き来がしやすいというのもあるんですけど、我々があまり接点のないアカデミックな世界と交流している、あるいは逆に研究畑の方々にアクセンチュア側が持つテクノロジーの知見を持ち帰ってもらう、その結合点として今回は大山さんのアート作品があるという構造になっている気がして、今後もこのような活動は続けていきたいなと個人的に思っています。

S.ここからは各会場の作品を簡単に紹介した後、パネリストの方々と気になる作品について話していきたいと思います。まずはAITの作品ですが、2018年のAIT竣工時に、5つの円柱を支持体にして、大山さんに制作していただいた壁面作品が展示されています。当時の制作作業を私も拝見したのでよく覚えているんですが、カッティングシートに描画されたQTSを円柱に貼って、その上から手がきのペインティングが施されている作品になります。そもそもAITというのがテクノロジーのデモンストレーションだったり、領域の専門家と近い距離で話すための施設で、そうした交流の中から新しいビジネスを生み出すことを目的としています。そのための大きなインプットの一つがアートである考えており、大山さんの作品を展示している理由でもあります。現代において新しい何かを始めるためにはビジネスの知識だけでは足りないし、テクノロジー・サイエンスのスキルやデザイン思考のようなものでも足りないと考えていて、物事の本質を考える/意味を問うという点でアーティスト的な考え方が必要になってくるという考えに基づいてAITではさまざまなアーティストの作品展示を行っています。それでは次に渡部さんの方からKeMCoの今回の展示作品についてご紹介いただきます。

大山エンリコイサム 《FFIGURATI #314》 2020年, ©Enrico Isamu Oyama Studio, Photo ©Shu Nakagawa

W. 慶応義塾大学ミュージアムコモンズにある大山さんの作品は、2020年にコミッションワークとして制作していただいた《FFIGURATI #314》という作品です。そもそもミュージアム “コモンズ” という少し変わった名前にしているのは、所謂大学ミュージアムに属するものではあるんですが、単なる博物館(=展示施設)ではなくて様々な人が交流する場を目指しているという理由があります。コンセプトは “空き地” で、そのコンセプトを体現するスペースとして「KeMCo Studio」という写真スタジオ/ラボが存在します。その設計者の方から、「撮影スペースと交流ラボの間仕切りを普通のカーテンにするのではなくて、ディヴァイダーの機能を備えた作品のようなものにしましょう」という提案を受けて、これはチャンスだ!と思い大山さんに依頼したという経緯があります。現在開催中の展覧会「Altered Dimension」の会場は3階までですが、8階に展示されているこちらの作品も見ることができます。「KeMCo Studio」に展示されているのはAITと同様円柱にペインティングされている作品と、先述の通り間仕切りのディヴァイダー(devider)に出力された作品の二つで、特に後者のディヴァイダーは2枚重ねになっていることによるモアレの動きや、ディヴァイダーというメディウムそれ自体が風に揺れたりすることの動きなど、非常に運動性のある作品になっています。AITは2018年竣工ということでコロナのパンデミックを挟んでいるわけですが、KeMCoの作品もまさにパンデミックの時期に制作が行われており、ディヴァイダーという ”被膜” やエアロゾルの吹き付けで粒子が飛んでいくイメージなどが、奇しくも同時代性を帯びていたことをとても覚えています。地上階から3階にかけての展示作品は、実際に会場と中継をつないでみていこうかと思います。

~この後、展覧会「Altered Dimension」会場である慶応義塾ミュージアムコモンズと中継をつないで展示作品を鑑賞~

大山エンリコイサム 《FFIGURATI #437-#443》 2022年, ©Enrico Isamu Oyama Studio

O.今回の個展は「Altered Dimension」というタイトルで、次元のひずみやねじれがテーマです。僕は個展のとき、できるかぎり特有のテーマを設定して臨むのですが、毎回リセットするのではなくて、前回のテーマを発展させ、受け継いで展開することもあります。今回の「Altered Dimension」も、急に思いついたテーマではなく、以前からさまざまな角度で試行錯誤していた思考の流れが、このタイミングにおけるひとつのかたちとして取り出されたものです。具体的には「立体性」に着目し、僕はヴィジュアルアーティストですが、平面性の乗り越え、彫刻などの立体表現へのアプローチを最近はよく意識しています。そもそもQTS自体が、立体的な錯視をひとつの特徴とする視覚表現なので、それを三次化するにあたり、そのまま彫刻にするだけでよいのかという逡巡がありました。なにかひねりを加えたかった。そこで今回の個展では、ペインティングを施したキャンバスの内側に紙管を仕込んでなだらかに膨らませたり、カッティングシートをねじって平面性と立体性が地続きであるような壁面作品を制作したり、平面と立体のどちらかに容易には切り分けられない作品を制作しました。今日イベントを開催しているAITにもKeMCoにも円柱に制作した壁面作品がありますが、円柱は湾曲しているので、平面に対する通常の制作とは条件が異なります。筆でかくときは筆先が直接壁面に触れるので比較的コントロールしやすいですが、エアロゾル・スプレーの場合は、一回の描画のなかで、塗料が噴射されるエアロゾル缶のノズルと、塗布の対象である円柱の面の距離が(面が湾曲しているために)変化します。例えば長い線をかくとき、線の出発点と終着点で壁面との距離がずれると、線がかすれたり、線幅が広がったりします。こうした点は今回のテーマである「次元」の問題と結びつきますね。加えてAITとKeMCoの作品制作に共通するのは、どちらも建物が完成する前に依頼を受けて、制作を行なったことです。設計段階から作品プランを構築できたので、どちらも建物/空間に溶け込むような作品になったと感じています。

S. AIT建設のプロジェクトが立ち上がって大山さんに制作依頼が届いた際、アクセンチュア側から何か要望のようなものはあったんですか?

O. 5本の柱への制作という指定はありました。あと印象に残ったのは、これらの柱はほぼ全面ガラス張りの窓際にあるのですが、 「外部(窓の外)から作品が見えてはいけない」という条例があったことですね。例えば隣のビルから見えてはいけない。他方で、外から見えない屋内側のエリアに関しては、柱から天井や床にはみ出してもOKでした。一見すると円柱が支持体ですが、実際は円柱の片側半分と、その上下につづく天井や床の一部によって構成された、縦に長い領域が描画可能なエリアだったわけです。このように物理的な線だけではなく、条例による「見えない線」によってもQTSが規定されたのが印象的でした。KeMCoの作品でも似たようなことがあって、制作時にはなかったのですが、後からソファが設置されることがわかっていたエリアがあって、円柱に描画する際に、作品が事後的にソファで隠れないように該当エリアをマーキングしてかわすようにしました。

W. 「見えている境界は越えられるけれど、見えない境界は越えられない」というのが面白いですね。実際そのような外部要因によって制作/展示されるアートが規定されるというケースは、オフィスや商用空間だけでなく美術館でもよくあることですよね。

O. ストリートの文脈では、そうした制約を前提に、あるいは利用して作品を作ることも多いですね。AITの作品は、QTSのカッティングシートを円柱に貼り、その上から即興のペインティングを加えています。スケジュールの制約でこうしたプロセスになりました。現場での制作は2日間くらいしか取れないということだったので、ニューヨークのスタジオであらかじめQTSの部分をカッティングシートで制作しておき、それをAITに持ち込んで、柱に設置してから、ハンドペインティングを加えた。一方で、僕はエアロゾルスプレーをよく使うのですが、美術館では他の作品に塗料が付着したり、換気ができないという理由で、エアロゾルスプレーが使用できないこともあります。昨年イギリスの美術館でグループ展に参加したときも、AITのケースと同様にQTSをカッティングシートであらかじめ制作してから会場にインストールしました。AITでは時間的な制約からそうしましたが、イギリスでは空間的な制約からそのような手法になりました。

S. 様々な条件/コンディションの下で制作するというのは、ストリートアートの影響が大きいということでしょうか?

O. 僕は “スプレー” ではなく ”エアロゾル” と呼んでいますが、それはメディウムの“浮遊性”に着目しているからです。そこには、描画する対象に直接触れないことで、塗料が空中を舞って拡散していくという物理的な意味もありますし、Oil on canvasのように特定のメディウムとメディウムの強い結びつきがある種の制度性を帯びてしまった状態に対するカウンターとして、描画行為がさまざまなメディウム/メディアを横断して拡散していくという概念的な意味もあります。後者は、地下鉄にかかれた「名前」が都市を拡散していったストリートアートの横断性のメタファーでもあります。このように横断をしてくとき、結果として、さまざまメディウムの抱えるさまざまなコンディションに直面し、それと交渉しながら制作することになります。

W. 今回の展覧会で初めて本格的な立体作品を制作されたとのことなんですが、それこそAITやKeMCoにある円柱作品のようなある種の立体性を持ったQTS作品はこれまでにもいくつか制作されてきました。その上で今回重要なポイントは “立体物に平面的モチーフを描画する” のではなく、”そのものが立体的な作品を制作する” というところにあるのでしょうか?

O. そうですね。立体物にQTSをかくことと、QTSそのものを立体化することはまったく異なります。今回の作品では、平面状に切り抜かれたQTSを立体的にねじることで、モティーフそのものの構造が一度崩れたのち、それが別の構造をもつ形体として再出現したわけですが、こうしたモティーフの三次元的な解体-再構築といったプロセスを実現できたのは、今回の展覧会の大きな収穫です。

W. いま仰っていただいたポリプロピレンシートによる立体作品ですが、今回の展示には同じシートを使いながらも7つのバリエーション作品が存在します。いずれも同じQTSが平面上で切られているんだけれど、「立体的にねじって最後に一か所留める」というルールのもとで異なる立体として立ち現れています。このルールはどのようなコンセプトのもとに設定しているのですか?

O. 今回の作品では立体にした後のビス留めは一か所です。これが3か所、5か所となると造形のバリエーションが無限に増え、作品はとめどなく形体を変化させてしまう。それを制御するフレームを設けたかったのだと思います。「一か所しかビス留めしない」というルールがそのフレームです。AIT作品の「外から見える部分にかいてはいけない」というのと同じように、制約を設けることで作品の具体的な輪郭を立ち上げるのですね。それはQTSあるいはストリートアートがもつ自己増殖的/中心から外部への拡張的な性質を、平面作品ならキャンバスによる枠付けという制約、立体作品なら一か所のみビスで留めるという構造的な制約によって、統制のとれた造形として成立させるわけです。

S. この立体作品が展示されている部屋の中で、奥に展示されている作品だけ自立しているというよりは、横たわっているというような印象を受けたんですが、この作品だけ何か特別な意味があるのでしょうか?

O. KeMCoの展示台にひとつだけ大きいものがあったので、それに合わせて作品の造形を変えたという、先ほどの外部制約のような理由がプラクティカルにまずありました。もうひとつは彫刻特有の問題で、台座の上に作品が自立している状態を無条件に受け入れてよいのかということがあります。そうした彫刻作品の展示をめぐる制度/慣習に対してズレを呼び込むために、あえて寝そべるように置いたということがありますね。これは絵画で言えばイメージとキャンバスとの関係と同じで、要するに表現が載った(乗った)メディアに対する批判的なメタ視点を作品のうちに取り入れるという近現代美術のベーシックなジェスチャーです。だけど僕が美大に入学した頃には、もう制度批判はやりつくされていたんです。むしろ制度批判のジェスチャーこそが、制度性を帯びているように思えた。だから今回の展示でも「作品が台座の上で自律していては制度に回収されている、台座を批判しなければいけないんだ」という感覚は一切なくて、「自律していても、寝そべっていてもどちらでもいい」という感じで、両義的というか、曖昧というか、どっちつかずというか、そういう感じでした。

S. 私たちのビジネス・イノベーション的な観点で今の話をかみ砕くと、「水平思考」という考え方があります。これは昔から検討されつくしたテーマを現在のテクノロジーを基に考え直すと新たな発見があったり生産性が大きく上がるといった考え方なんですが、まさにいま大山さんが仰っていたアートのスクラップアンドビルド的な流れと近いなと感じていました。

O. 制度を批判していた行為それ自体が制度化されていたり、構築していたつもりが自己模倣でマンネリ化していたりと、破壊と構築のサイクルはどんなことにもありますよね。アーティストはそのサイクルを自分のうちに稼働させ、つねに自己批判、自己検証をしながら、同時に自己構築、自己定義をしていく必要があります。新しく実験的なことにどんどんチャレンジする時期と、回顧展などで自分の制作を振り返り、体系化していく時期という、2つの側面のバランスが大切です。

~この後、慶応義塾大学の学生・アクセンチュア芸術部のメンバーも加えてのQ&A/ディスカッションパートを実施~ 

(Text : Ken Suzuki | Accenture Art Salon Editor)