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オナモミ

目が覚めると、私は一個のオナモミになっていた。どこかひなびた町の空き地の一隅で、他のオナモミの実たちと一緒に風に揺られていた。彼らに私のような意識があるのかは窺い知れない。私は声を出すことができなかった。

小学生の男の子の悪戯な手が伸びて、私を茎からもぎ取った。痛みはなかった。男の子は私を目の高さに掲げて観察し、それから自分の服のおなかにくっつけた。それから道路に出て、駆け出した。

踏切の警報が、彼を止めた。速度を落とした電車の通過待ちに飽き飽きした彼は、私を服から引き剥がし、前に立っていた女性の背に投げつけた。遮断器が上がると、男の子は私など忘れたように、また走っていった。

私が女性の顔を見ることができたのは、彼女の住むワンルームの部屋で、彼女がセーターを脱いだ一瞬だった。しかし、彼女はそれをすぐに裏返して壁に掛けたので、私はセーターと壁の間に挟まっている格好になった。

暖かい日が続いたせいか、私は3日間そのまま薄暗い陰に収まっていた。彼女のかける音楽を聴き、食事をする音や、寝息を聞いた。出かけるときには、気をつけて、と心の声をかけた。帰宅すると、おかえり、と。私は幸福だった。人間でいたときに、これほど幸福だったことはないだろう。

4日目に彼女は壁からセーターを外し、そのときに私に気づいた。彼女は笑って、私を机の上に置き、写真を1枚撮った。それが幸福の終わりだった。彼女はためらうこともなく、私を屑籠に捨てた。

私は可燃ゴミの前日に、半透明な袋に他のゴミと一緒に押し込まれた。私は声にならない声で彼女に呼びかけた。
助けて。
助けて。
夜だった。彼女は私の入っているビニール袋を、路上のゴミ集積所のネットの下に潜り込ませた。そして、寒そうに背を屈めて足早に去っていった。

私は疲れ切っていた。一晩泣き明かしたのだ。海ができるほども泣いたのに、水は1滴も流れなかった。車の振動に気づいたけれど、また眠りに落ちた。そして、繰り返し悪夢を見た。私は、自分がどこへ連れて行かれるのかを知っていた。

混濁した意識がつかの間晴れて、私は今頃出かける準備に追われている彼女を想像することができた。目覚ましが鳴り、水道が流れ、ドライヤーや電子レンジの機械音、せわしなくて柔らかい足音が響く。ドアが開かれると、陰にいる私にも少し日光が当たる。私はいつものように声をかける。気をつけて。どうぞ、お気をつけて。

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