「沼の先に信仰がある」ぼく脳 x 茂林寺古川住職トークショー
ぼく脳:ぼく脳と申します。普段は主に東京で美術制作というか、形式にとらわれない物を作ったりしてます。よろしくお願いします。
古川住職:古川省三と申します。18年前からこの茂林寺の住職を務めさせていただいております。よろしくお願いいたします。
司会:ぼく脳さんの館林の滞在はいかがですか?
ぼく脳:僕は埼玉県出身で、新白岡っていう隣駅の高校に通ってました。なので、そんなに遠くに来たっていう感じはなかったです。むしろ懐かしい景色を見ているような感覚で。最初は歴史的なものや観光地とかを見るよりも、地方都市ならではのショッピングモールとか国道沿いのチェーン店とかを訪れて時間を過ごしてました。
東京に行こうと思えば行ける距離にある街・館林の若者が抱えているもどかしさとか、2時間弱で行って帰ってこれるからこそ逆に一番東京が遠い存在にある気がしていて。そんな2時間弱の街に住んでる若者の暮らしや生態を見たくてアゼリアモールで本当に3時間ぐらい過ごしてました。歯医者さんでしか見ないサイズの紙コップで水をちょびちょび飲みながら周りを見たり、マックに行ったり。2週間の滞在で館林を理解できるとは思ってなくて、観光で終わってしまう可能性もあると思ったんです。アーティストレジデンスとして僕が館林に来て作品を作って終わってしまいそうな気がしたので、この街に住んでる人たちの生活を擬態してます。
ぼく脳:分福茶釜というお話を調べたら、少しずつ違う話がいくつもあるらしいということに辿り着きました。どれが「本当」のおとぎ話なのかという質問は野暮かもしれませんが、どういった経緯でこのおとぎ話が発展していったのか教えていただけますか?
古川住職:実は、分福茶釜はおよそ300年ぐらいの年月をかけて少しずつ変わっていきました。ですので、「本当のストーリー」というものは存在しません。おとぎ話のストーリが変化することはごく自然なことだと思うんですね。
ここ茂林寺の伝説が、おそらくは年代的には一番古い伝説になるかもしれませんが、安土桃山時代の天正15年(1587年)2月のお話ですので、江戸時代よりずっと前の伝説です。それが300年という間に日本中の大狸の伝説と、いわゆるタヌキ和尚の伝説と結びついてお互いが有機的に繋がったり切れたり。ちょうどいい具合にお話が出来上がっていきました。
個人的に興味があったので調べてみたところ、タヌキの伝説は関東よりは関西、特に四国・淡路島の地域に多いんです。新しいタヌキの話が生まれたりした時代もあったようで、伝説といえど、昔のお話をそのまま継承していることはなく、どんどん新しくなってるのかなと思います。
10年ほど前「分福茶釜のお話がもうこれだけ変わってしまったんだから、どんどん変えていこう」と、沖縄を拠点に活動されている漫画家の森田先生が学生さんに分福茶釜の話を漫画で自由にアレンジして表現させたコンテストを館林市のショッピングモール「アゼリアモール」で開催していたことがありました。
ちなみに、ここ茂林寺に伝わる話では、あくまでもタヌキが和尚さんに化けて、ある時茶釜をお寺に持ってきて、最後はタヌキの姿になって空を飛んでいったっていう話だそうです。江戸時代には本として出版されていることもわかっています。おそらくそこから日本中に茂林寺の伝説が日本中に広まって、発展していったのかなと思います。伝説の発信地として茂林寺が機能してたのかもしれません。
ぼく脳:時間が経つにつれて「伝説」が変わっていったのはすごい面白いなと思っていて。現代のインターネットの時代はとにかく嘘が許されないので、きっとこの先「新しい伝説」なんか生まれてこないんじゃないかなと思いました。だからこそ「おとぎ話」でも「伝説」でも、どんどん語り継ついで、バージョンアップしてさらに面白くなっていった事実があることに驚きました。
一方で、現代に通ずる部分もありますよね。例えば、茶釜に化けたタヌキが一芸を披露して対価を得ていた話。普段ぼく脳という芸名で活動していますが、当然僕にも本名があって。そういう意味では、僕も「ぼく脳」というキャラクターに化けてお金を稼いでいる。インターネットの話ばかりで申し訳ないですが、「何者か」になってインターネット上の仮想空間でお金を稼いだり、友達を作ったりすることが普通になってる時代の感覚と、300年前以上に生まれた分福茶釜の話がむしろそこで交わるんだなという意外性もあるかもしれません。
ぼく脳:茂林寺は今、外来生物による被害が困っていると聞きましたが、どういう影響があるんですか?
古川住職:60年ぐらい前まではハナショウブがかろうじて残ってたんですが、それに対して外来種のキショウブという似た植物が増えてしまいました。年に数回ボランティアさんや詳しい先生の説明を聞きながら、地道に抜き取り作業を続けて、沼の環境を守り、手をかけて昔の環境を取り戻す活動を進めています。
ぼく脳:虫や魚など、他の生物への影響もあるんですか?
古川住職:茂林寺沼は事実上「沼」ではありますが、魚が泳げるほどの水深がなくなってしまい魚は現在生息していません。そうした環境の問題もあって、今は植物の環境を守ることだけで手一杯なのが正直なところです。
ぼく脳:茂林寺沼がなぜ開発されない手つかずの沼かということを調べたとき、茂林寺の存在が大きいと聞いたのですが、そうなのでしょうか?
古川住職:そうですね。茂林寺の屋根が茅葺でできているので、その材料を沼から直接刈って調達してました。茂林寺で取れる材料で屋根を賄ってたので、そういった理由はあるかもしれません。
ぼく脳: お寺という「祈りの場」に手を加えることによって、バチがあたってしまうような人間の畏怖も茂林寺沼に手を出さなかった理由として考えられると思いますか?
古川住職:今は道が残ってませんが、江戸時代の図面を見ると沼の中に弁天様を祀っていた記録も確かにあり、祈りの場であったことは間違いないと思います。先ほど話したタヌキの伝説として江戸時代に出版された本の挿絵に、沼のヨシを刈って担ぐ描写があったことから茂林寺沼を里沼としてアピールするきっかけになりました。
例えば、大鷹が寺に巣をかけたり、フクロウも飛んできたり、そういう虫や鳥、猛禽類までが増えていることは、この茂林寺にも小さいながら生物のピラミッドができてるということなのかもしれません。
実は、今日も1本木を伐採しました、全部木を切ってしまえば葉っぱが落ちないので、私としては掃除が楽なんですが、そういうわけではなく、あくまで環境を守るために必要最小限にとどめておかないと環境は守れないと思います。
ぼく脳:茂林寺にまた話を戻すのですが、タヌキがいっぱいあるじゃないですか。どこから集まってくるんですか?
古川住職:境内まで続く道に並んでるタヌキは作っていただいた作品ですが、茂林寺にあるもののなかには持ち込まれたものもあります。
並んでるものは街おこしのイベントとして、昭和35年頃だと聞いてますが、観光協会で市内の事業所さんに寄付を募ったものです。皆さん信楽焼だと思ってらっしゃるようですが、実は笠間焼なんです。信楽で修行した水谷さんという方がたまたま笠間に行った時に、信楽で覚えたタヌキの作り方を弟子が笠間の土で焼いて茂林寺まで運んで組み立てました。一番大きいものは東日本大震災でひびが入ってしまって、塗り替えたことがあります。
ぼく脳:茂林寺の奥にある置物はどんな方が持ってこられるんですか?
古川住職:あんまり細かいことはお聞きしませんが、たくさんコレクションしていた1人暮らしの方が、廃棄処分するには忍びないので奉納をということで、ダンボール何箱分も持ってこられる方などが最近は多いですね。
ぼく脳:普通に僕が持っても大丈夫なのですか?
古川住職:そうですね。あとはタヌキの剥製もありました。床の間に置くわけにはいかないので、何年に1度かの1月にどんど焼きというお焚き上げをするので、その時に燃したこともあります。
ぼく脳:剥製のタヌキは実際に飼っていたタヌキのものですか?
古川住職:そうではありません。持ち込まれたものです。剥製は、死んだ後に内臓を全部取り出して針金で皮を膨らませます。少しかわいそうなんですが。針金の外は本当に皮1枚でなので、お焚き上げすると大量の針金が出てきます。
実は、タヌキは人間には懐かず犬みたいに尻尾振ったりしないんですよ。
ぼく脳:タヌキと言えばかわいい生き物という印象が強いので、凶暴なイメージはあまり知りませんでした。
古川住職:人を襲うほどのことはありませんが、伝説の中のタヌキもそうなんですが、人間と適度な距離を持って付き合う動物として描かれてるんです。言葉があれですけど、江戸時代の伝説では、人間がやらかしたことをタヌキがやったことにして伝説として残してる話も多くあります。特に四国の方の伝説に見られる傾向です。
ぼく脳:人間同士の争いが、タヌキ同士の争いになると確かに印象が変わるというか、マイルドに聞こえますね。
どのタヌキも首をかしげてるポーズが多いと思うのですが、何か意味はあるのでしょうか?
古川住職:とにかく作ったら売れないと職人さんは生きていけないので、売れるようにお店の店先に置ける「縁起物」として一つ一つに意味を持たせたとのことなんです。
縁起物としてのタヌキを考えた方は大勢いらっしゃいますが、上を向いてるのは愛想笑いを表しています。タヌキがお客様に対して笑顔で接している様子ということになります。「いらっしゃいませ」「また来てね」などそういう意味合いです。
古いタヌキは2本足で立ってますが、それではやはり収まりが悪いので、次第に金袋を下げて座り安定を良くするようになりました。徳利を持っているのは、元々タヌキの原型が酒買い小僧の人形だったからです。
酒を買いに行かされる和尚さんの人形というのが元々の原型で、その名残で徳利が残ってます。下に大福帳が(帳簿のこと)下がってるのは昔はみんなツケ払いだったことに由来します。傘をかぶってるのは、雨の日も酒を店まで買いに行かされたことがあったからです。茂林寺にあるのは、変化を遂げた後のものが比較的多いです。
司会:ここから質問コーナーにしたいと思います。何か質問のある方はいますか?
参加者①:お寺の境内に灰皿があることに驚きました。これも何かに由来するものなのでしょうか?
古川住職:昔は歩きタバコをする人が多かったんです。屋根も茅葺なので、とにかくたばこの投げ捨てが一番恐怖でした。とにかくタバコの火は消してって中に上がってもらわないといけない。そういう理由であって、「どうぞここで吸ってください」という意味ではありません。
昔は、団体バスの観光客で来る方がほとんどでした。バスでお酒を飲んでタバコも吸うんです。そのままバスから降りてくると、大体タバコを吸いながら歩く人が多かったんです。実際にたばこの火でぼやになったこともありました。
参加者②:館林市民で今45歳の者です。小さい頃に、動かない戦車があって、どちらかというと歴史的な場所というよりアミューズメントパークみたいな感覚でした。
古川住職:戦車は昭和45年に来て、昭和60年頃に自衛隊にお返しするという形で撤去されてました。本堂に向かって左側にフィリピンで戦死された戦車隊の慰霊碑があるのですが、それを建てた方が慰霊碑だけではなく、戦車の現物も飾りたいとのことで最初は日本軍の戦車を探したんですが、一説によると日本軍の戦車は終戦後に全部溶かして東京タワーの材料になってしまったらしいんです。そこでアメリカから自衛隊に払い下げになった訓練用の戦車の1944年式でノルマンディー上陸作戦用に開発された戦車を置くことになりました。
慰霊の文言をペンキで書いてあったのですが、よじ登ったり中に入ったりしてケガする人が続出したので、お返ししました。
「茂林寺 戦車」で画像検索すると、一応当時のの写真が出てきます。
ぼく脳:知らないとたどり着けないですね。
参加者③:ぼく脳さん質問です。埼玉出身ということで、ぼく脳さんの指摘してた「1時間半で行けるからこそ遠い感覚」が興味深かったのですが、何か国道沿いのお店とかアゼリアモールの若者を見てどんな感情を抱いたのかお聞きしたいです。
ぼく脳:時間の感覚が違くなってしまったんだと思います。館林を都内の人にアピールする時「電車で1時間半」て言うと思うんですよ。それは館林の若者にとって、多分めちゃくちゃ遠いはずで。時間的な距離以上に心理的な距離があるのかもしれません。
だから「東京に気軽にいく」選択肢すら最初からなくて、思い立ったら行けてしまうからこそ、行動に迷いが出るみたいなことなのかなと思いました。平日のアゼリアモールに行ったときも、人が少なくて、道がめちゃくちゃ広くて、椅子が大量にあるんですよ。
でも椅子なんて東京に1つもなければ灰皿もない。東京にだけ絶滅してるものが結構あって。それは物だけじゃなくて、景色もそう。フードコートのボックス席で高校生カップルが横並びになって勉強している景色も東京には残ってない。より多くの選択肢がある都市がそう遠くない場所にあることを知りながらこの土地に留まっている人が抱える発散できてないエネルギーはものすごいエネルギーになる可能性もあると思います。その力を信じたいですね。
参加者④:私も館林市民です。母方の家族が茂林寺さんにお世話になっているので、多くはないですが、昔からたびたび伺っていました。息子がやっているボーイスカウトで訪れることもあり、分福茶釜をきっかけに多くの観光客が訪れていた頃の景色も懐かしいです。近年、観光客の数は残念ながら減っているように見受けられますが、古川住職さんの目にはどう映ってますか?ぼく脳さんはどのように感じられているかも伺えたら嬉しいです。
古川住職:お客さんが少なくなったのはその通りで、団体のバスが来る時代ではなくなってしまいました。コロナ以前からその傾向はありましたが、特にコロナ以降加速し、昔のような賑わいは見られなくなってしまいました。しかし、今でもなお足を運んでくださる方もいます。
今はアニメ『宇宙よりも遠い場所』の聖地巡礼で、夜になると若い人が集まってる光景も見受けられます。新しい人を掘り起こす努力はしているものの数はまだ少ない。誰かしら賑わいを作ってくれてるんだろうなという気持ちと、何とかしなきゃいけないっていう気持ちが同時にあります。隣町の鷺宮まで何回か足を運んでアニメで街おこしに取り組んでいる様子も見に行きました。
狙った集客は本当に難しいです。以前東洋大学の学生さんが調べてくださったデータによると、茂林寺の参拝者の方は車でおよそ下道1時間以内の範囲内でくる人が一番多いことがわかりました。具体的には春日部、深谷、久喜、栗橋近辺です。少し離れたところからちょっとした旅行気分で車で来るっていう人が多いという話から、ぼく脳さんがお話しされてた時間の感覚に通ずる部分もあるのかもしれません。
ぼく脳:さっきの戦車が昔あった話やアミューズメントパークとして茂林寺を覚えている話が印象的で、茂林寺と沼の関係性もおもしろく聞いていました。
信仰の対象はいろいろあって。アニメのファンでも、最も信仰しているのは登場するキャラクターで、それは1人ひとり違うはず。アイドルやインターネットの世界の中の人物、または芸能人などに本当に信仰することが当たり前になっていて、どっぷりはまることをインターネット用語でそういうことを「沼る」って言うんですよ。インターネットの話ばっかりであれなんですが、その世界では信仰の先に沼があるんです。「沼る」ことが僕のテーマになり得るかなと思いました。
2024/9/20 @群馬県館林市 茂林寺にて