全知全能なる神のひとり子が自分自身にやってしまったこと
そもそも神のひとり子は全知全能であるわけです。
つまり、何にでもなることができるし、どんな体験でも望めば叶えることができるわけです。
要は、その神のひとり子が、神ではない自分になってみたいと願望したその結果として、今私たちはそれを体験していると言うことができます。
「神ではない自分」とは、まさに、自分だと思っているこの自分のことです。
その象徴(シンボル)こそが、この肉体(身体)です。
その肉体はいつのときも外側の世界の犠牲者になっていて、不当に扱われ、みじめで、脆弱で、失う、奪われる、、、という体験をしています。
つまり、私たちはその肉体と同一化することによって、神(のひとり子)とはまるで真逆の自分になった体験ができているのです。
そのために、この宇宙物理空間の世界の夢(幻想)を作り出したのだということです。
ですから、私たちに求められていることは、それらはすべて、自分で願望して体験しているということを思い出すことなのです。
そう、私たちは自分が見ている夢の中に入り込んで、この世界の夢の中ではそれぞれが神ではない自分を体験しているだけなのだということです。
それを表現するなら、「自作自演」という言葉がピッタリと当てはまります。
そのすべてが神(のひとり子)である自分がでっち上げたストーリーだということです。
ここで私たちが理解しなければならない重要なことは、もしその真実を知ったままであったなら、「神ではない自分」というものをリアルに体験することができないということです。
それで、全知全能である神は何をしたか?
というなら、
神の記憶のすべてを自ら忘れる、ということをやってのけたのです。
自分で自分を忘却することを行ったわけです。
それによって、私たちは、自分とは何者か?自分は何をしているのか?がまったく分からなくなってしまったのです。
それが、今の私たちの状態なわけです。
今や、すっかりこの世界の被害者、犠牲者となってしまっています。
「自分は人間である、自分は肉体である」という嘘の証拠を並べ立てて、自分で自分を欺いて、この世界の夢のストーリーを演じ続けているのです。
今や、その自覚すらまったくない無智な状態になっています。
そして、何もかもを忘れてしまった私たちにとっては、「自分が神(のひとり子)である」ということがもはや信じ難きことになってしまっています。
もしその真実が明らかになるなら、すべてのストーリーが終わってしまうわけですが、なにせ、その真実を思い出すことが、もはや絶望的になっているといえるでしょう。
でも、そんな状態であるにもかかわらず、この世界の夢物語にウンザリしはじめている者たちもいるわけです。
彼らは、自分とは何者か?真理の探究をはじめることになります。
この世界の夢から目覚めたい、本当の自己(真のアイデンティティー)を思い出したい、という衝動のもとに、いわゆる、非二元の霊性の道へと導かれていくことになるわけです。
では、実際に、
そもそもが神のひとり子であったにもかかわらず、その自分が自らでっち上げた嘘のストーリーを終わらせるためにどうしたらよいのでしょう?
それに対する答えとして、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)は、その具体的な道が示されたスピリチュアリティ(霊性の道)である言うことができます。
そう、コースは、この世界の夢から目覚めていくための霊性の道であり、真の自己(アイデンティティー)を思い出していくための霊性の道であるということです。
そのことをわきまえてコースを学んでいきましょう。