コースの学びの深化のプロセスについて
コースの学びが深まっていくとき
コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の学びが深まっていくとき、あることが理解されるようになります。
何が理解されていくのか?
というなら、「自分は分かっていなかった」ということが理解されてくるということです。
つまり、コースの理解が深まるたびに、そのたびにそれまでの自分は分かっていなかった、理解していなかったということに気づかされるといえます。
言い換えるなら、自分はコースの教えを分かっていなかったと気づくときが、それがコースの学びが深まっているときだといえましょう。
コースの学びというものは、まさに、その繰り返しです。
ときには、学びがひどく後退したと感じるときもあります。
でも、そういうときこそが、学びが前進している時だったりもします。
逆に、自分では学びがかなり進んだと思っていても、実際は、これからが本当の学びのスタートだったと気づくときもあります。
そう、学びの進み具合は自分ではけっして計ることができないということを知っておくことは賢明だといえましょう。
そのプロセスにはけっして近道などないのだということ、さらにいえば、それは本当に一歩一歩でしか先に進んでいくことはできないのだと実感していくようになります。
私たちが覚えておかなければならない大事なことは、この学びは、実践の中で訓練していかなければけっして学ばれてはいかないということです。
訓練なくして、学びはあり得ません。
それは、まさに学びの階梯(はしご)の一段一段を上っていっている感覚と似ています。
一段一段の階梯を上っていくならば、たしかに、その知覚はシフトしていきます。
それでも、そのプロセスは、一段一段、一歩一歩、でしかあり得ないといえるでしょう。
私たちは、つい楽をして、手短に、ショートカット(近道)して学びの階梯を上っていきたいと思ってしまいがちですが、そういうことはけっしてあり得ないということも分かっていきます。
コースの学びの深化のプロセスは、そのようなものであると知っておくと良いでしょう。
言い換えるなら、だからこそこのコースは地に着いた確実な霊性の道であると言うことができるわけです。