光が近づいてくると、あなたは闇へと急ぐ
自我の防衛、自我の抵抗
コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)は純粋な非二元のスピリチュアリティなわけで、その内容は、この世界(客体)も実在していなければ、この自分(主体)も実在していない、というのがその教えの中心概念です。
ですので、コースを学んでいくということは、自分だと信じているその自分は「非実在」「無価値」ということを受け入れていくということなわけで、当然、コースを学ぶことやコースを実践していくことに抵抗が起きてくることになります。
それは、コース学習の歩みにおいて、コースを学びたくないとか、コースを実践したくないとか、コースを投げ出したいとか、コースの学びをやめたいとか、というような衝動が湧き起きてくるということです。
それはコースを学んでいく者たち誰もが必ず経験していくものであり、表面化してくるものであるといえます。
そう、それが「自我の抵抗」(自我の防衛)なのだということを知っておきましょう。
なぜ、自我の抵抗が起きてくるのか?
というなら、私たちは今や自我と同一化してしまっており、真理を恐れている、神の愛を恐れているからだということです。
その「自我の抵抗」は、自覚していようが自覚していまいが、私たち誰もの内側にあるものです。
そうでなければ、私たちはもはやこの世界を知覚などしているわけがないのです。
いわゆる、真理に対して、目覚めることに対して恐れているからこそ、その防衛として、私たちはこの世界を知覚しているのだということです。
私たちが覚えておかなければならないのは、私たちにとって自我の抵抗が起きてくるのは当然のことであり、さほど驚くことではないということです。
コースを学ぶことへの抵抗は当たり前に起きるのだということを知っておくことは、コースを学んでいくうえでもとても重要だといえましょう。
むしろ、自我の抵抗に対してどのように取り組んでいくのか?について、私たちはコースで学んでいく必要があるということです。
そのためにもコース形而上学の学びとその理解は絶対不可欠です。
コースを実践していくうえでも、コース形而上学の理解がその土台となるからです。
私たちコース学習者が理解しなければならないのは、神のもとに帰る、わが家に帰るためにコースを学んでいるとは言っても、じつのところ、無意識の部分では私たちはそれに対してひどく恐れているということです。
つまり、わが家に帰ろうとする自分(正しい心)と、わが家には帰りたくない自分(間違った心)との自己矛盾の状態に私たちはなっているということです。
そして、その自己矛盾(葛藤)を認識していくことが、コース学習者の私たちがしていくことであり、それを見つけ出していくことが分離を信じている「(分裂した)心」を癒していくことになるのだということです。
その自己矛盾(葛藤)を認識していくことなしに、このコースの学びはあり得ませんし、もちろん、コースの学びの階梯を上っていくこともあり得ません。
光が近づいてくると、闇へと急ぎ、恐れへと逃げ込もうとするということを、私たちはわきまえておく必要があるということです。
真理への抵抗、目覚めることへの抵抗、コースを学ぶことへの抵抗、、、それらはコースの学びのプロセスにおいて当たり前に起きてくるのだということを形而上学的に理解しておくことです。
そういうことを知っている、知らないでは、コース学習の歩みを進めていくうえで大きくちがってきます。
コースを学んでいくにあたっては、そういった自我の抵抗(自我の防衛)は必ず起きてくるということを知っておくなら、コースの学びはもっとスムーズなものになるといえるでしょう。