私たちを騙そうとする自我に常に気づいていくことを怠らないように
「楽に生きる」ということについて
ノンデュアリティのスピリチュアルにおいて、「楽に生きる」という言い方の表現をしたりします。
ただ、コース(奇跡のコース/奇跡講座)を学びそして実践しているコース学習者であるならば、「楽に生きる」ということについてしっかりと理解しておく必要があるといえましょう。
それはコース学習者にかぎったことではなく、非二元を探究する者であるならば、その言葉を勘違いしないように注意しなければならないということです。
「楽に生きる」とは、どういうことなのか?
非二元の観点から言うならば、
幸せであろうが不幸せであろうが、喜びであろうが苦しみであろうが、ポジティブであろうがネガティブであろうが、そこに善し悪しの価値判断することなく、その両方を同じとして知覚している状態のことを云うのだということです。
いわゆる、それはジャッジメント(価値判断/裁き)のない視点から目の前に起こることをありのままに見ている状態のことを云います。
それを、コースでは「聖霊を教師とする」「聖霊と共に見る」という言い方をするわけです。
ようするに、それはこの世界の夢の中で幸せでいましょう、楽に生きましょう、ということではないということです。
コースを理解するようになるならば、すべてが虚偽(嘘)であると知覚している視点に戻っていかないかぎり、本当の平安は不可能だということが分かってきます。
この世界の中に居ると信じていながら、幸せに、楽に、平安でリラックスしていくことなどあり得ないということです。
つまり、このコースは、この世界の夢の中で「楽に生きる」ということを目的とはしていないということです。
そもそもが、ここのすべてが幻想であるわけです。
自分と思っているこの「自分」も実在していないのです。
そのことを受け入れていくことがコース学習者の私たちが目的としていることなわけです。
ですから、コースの実践では幻想を真理のもとに運ぶことが求められているのです。
つまり、幻想にいつも気づいていること、それが私たちがしていかなければならないことだということです。
にもかかわらず、私たちはその真逆のことをしようとしています。
そう、真理を幻想に持ち込むことをしてしまうのです。
この世界の夢の中で幸せやハッピーや平安を叶えようとします。
その状態のまま、この世界の夢の中で「楽に生きる」ことができると信じているわけです。
それはコース(奇跡のコース/奇跡講座)学習者にかぎったことではなく、ノンデュアリスト(非二元のスピリチュアリスト)たちにもいえることです。
この世界の夢から本気で目覚めていこうとするのであるならば、つまり、純粋な非二元の霊性の道を歩んでいるのであるならば、「楽に生きる」という言葉に騙されないようにしなければなりません。
そして、私たちを騙そうとする自我に常に気づいていくことを怠らないようにしなければなりません。
ようするに、自我への警戒を怠らないということです。
それが私たちがしていかなければならない訓練であり、その訓練なしに、自我から、そしてこの世界から脱却していくことなど決してあり得ないということを覚えておきましょう。