あなたは自ら自分で惨めさや不幸に献身し続けていることを認識していますか?
幸せな学習者となるために
コース(奇跡のコース/奇跡講座)の観点からいえば、本当の私たちは完全なる、十全なる、愛に満ち溢れた神の子であるわけです。
にもかかわらず、私たちは自分自身のことをどのように見ているかというなら、まったくそのようには見ていないどころか、それとはまったく真逆に見ているといえます。
自分は不完全で、満たされていなくて、不完全で、傷つく存在で、、、というふうに見ているわけです。
それって、どういうことなのでしょう?
なぜ、私たちはそうなってしまったのでしょう?
コース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)はまさにそのことについて分かりやすく教えてくれています。
つまり、私たちは本当の自分とは真逆の経験をするためにただ夢(幻想)を見ているだけで、その夢の中の主人公を自分だと信じているだけなのだと、コースは教えてくれているわけです。
ようするに、夢の主人公である偽の自分を自分だと信じ込んでいる状態になっているということです。
そう、その夢の主人公は、不幸で惨めな孤独な主人公というわけです。
この世界の中で肉体、人間として生きている個としての自分が、まさにそのシンボルなわけです。
ただし、私たちは、自分がまさか偽の自分を信じているだけなのだということなどまったく自覚していません。
本当の自分は完全なる、十全なる、愛に満ち溢れた神の子であるにもかかわらず、でっち上げた夢の主人公のほうを自分だと信じているのです。
神の子であるはずの私たちは、今や偽の自分と同一化して、そして自分が何者なのか?誰なのか?まったく忘れた状態になっているということです。
それを、仏教では、「無明」「無智」というふうに呼んでいます。
この世界(夢)の中にいる私たち誰もが、そうなっているということです。
そう、コースのイエスは私たちに「自分がいかに惨めで、不幸か」ということを認識しなさい!と語りかけてくれているのです。
にもかかわらず、この世界にいる私たちは何をしているか?というなら、
「自分は満たされているとまで言わないけど、まあまあそこそこに幸せだ」と思っているわけです。
本当の幸せ、本当の平安、本当の喜びというものをまったく忘れて、この世の仮の一時的なもので賄うことに追われ続けるドラマ(人生)をしていると言うことができます。
そして、いざつらくなったときだけ、行き詰ってどうにもならなくなったときだけ、イエスや神にすがって救いを求めようとするわけです。
私たちは、自分は不完全で、満たされていなくて、いつも足りてないという感覚の状態を当たり前のこととして生きていますが、それこそがそもそもおかしなことだとは思ってなどいないのです。
神の子であるはずの自分がまさか惨めで不幸な状態になっている、ということにまったく無自覚で無智な状態になっているのです。
だからこそ、コースのイエスは、私たちがそのような状態になってしまっていることを認識する必要があることを強調しているわけです。
自分は満たされていない、自分は幸せじゃない。それはなぜなのか?
そのことに純粋に疑問を抱きなさい!
そして、その答えを聖霊(イエス)に求めなさい!
と私たちに訴えかけているわけです。
もしあなたが本当に心底から幸せで満たされているならば、そもそもスピリチュアルなものに何かを求めたり探究したりすることなどしないわけです。
ましてや、とても難解なコース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)をわざわざ学ぼうとするはずがありません。
もし本当に幸せで満たされているとするならば、コースなんぞに興味すら向かないはずです。
ということは、自分は満たされていない、自分は幸せじゃない、と感じている以外の何ものでもないことは明らかです。
そのことを私たちは自覚/認識する必要があるということです。
なぜ満たされないのか? なぜ幸せじゃないのか?
コースのイエスは私たちに、そのことについても教えてくれています。
それは、自ら自分で惨めさや不幸に献身しているからなのだと。
つまり、「私は存在している」「自分は人間である」と信じていることそれ自体が、本当の自分を拒絶して、惨めさや不幸に献身しているということです。
本当の自分は、完全なる、十全なる、神の子であるはずなのに、です。
そう、そのことを認識することが私たちに求められているということです。
そのことが認識され、自覚されるとき、私たちは「もうこれをよしとなしない、もうこれを望まない」となります。
そうなるとき、そこからようやくコースの学びがはじまると、コースのイエスは語っています。
まず、私たちに求められていることは、今、自分がどんな状態なのか?を認識するということです。
自らのその無智な状態を認識するとき、ようやく私たちはコースを学ぶことの必要性、重要性を理解することになります。
そうなって、ようやくコース学習の歩みがはじまるといえます。
言い換えるなら、幸せな学習者となっていくためには、そこからしかその第一歩ははじまらないということを覚えておきましょう。
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