私たちは本当はこの世界が幻想であってほしくないのです
世界はない、他者はいない
コース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)の教えの中心概念が、
「この世界は幻想である」
というものです。
それは、その言葉が示す通り、
「世界はない」
「他者はいない」
「すべては無(非実在)である」
ということを意味します。
つまりは、私たちが知覚しているものすべてが嘘であるということです。
とは言いましても、この世界に居ると信じている私たちは、本当のところ、「この世界は幻想である」ということなどまったく受け入れる気がありません。
それが実際の私たちの正直なところだといえます。
もし、本当に「この世界は幻想である」ことを受け入れているなら、もはやこの世界に価値や意味を見出してなどいないはずです。
この世界のすべてから自由になっているはずです。
この世界のものすべてを、平安と共に見ているはずです。
そして、それが「贖罪」と呼ばれるものであり、コース学習者の私たちがゴールとしているものだといえます。
でも、私たちが知っておかなければならないのは、私たち(自我)は、それ(贖罪を受け入れること)をひどく恐れているということです。
もしそうなる(贖罪を受け入れる)ならば、自分もこの世界もすべて消滅することになるわけですから、自我と同一化している私たちにとって、そうなることはまさに恐怖でしかないわけです。
自覚しているしていないにせよ、この世界にいる私たちはみんな、じつのところ、真理に対して恐れを持っているということです。
だとしても、そんな私たちとは一切関係なく、この世界から一切影響を受けることのない真の自己がいることも忘れてはなりません。
にもかかわらず、私たちはその真の自己を拒絶して、自我と同一化したまま、それが自分だと信じているのです。
それが何を意味するかというと、つまりは、むしろこの世界から影響を受けたい(動揺したい)と、私たちは望んでいるということです。
私たちは、じつは、「この世界は実在しない」ということを認めたくない、受け入れたくないのだということです。
ただ、私たちはそのような精神力動に突き動かされていることにまったく無自覚になって気づいていません。
その真実は、無意識に隠されています。
だからこそ、そのことを自覚/認識していくことが、この夢から目覚めようとしている私たちにとって求められているのです。
そう、目覚めたくない自分を自覚/認識していかないかぎり、その訂正はなされないということです。
その実践的なワーク(作業)が、コースでいう「自我を直視していく」「自我を咎めずに見る」というものです。
それが、コース学習者である私たちがしていかなければならないことだということを肝に銘じておきましょう。