あなたの為すべきことは、愛を探し求めることではない
愛を阻む障壁のすべてを探して、見つけ出すこと
コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)を学んでいく上で、まず私たちが理解/認識しなければならないのは、私たちはすでに神の愛を拒絶している、ということです。
それゆえに、私たちはこの世界にいるのであり、それゆえに、個人の自分として存在しているのだということです。
つまり、個人の自分が存在していることそれ自体が、=神の愛を拒絶している、ということなわけです。
そのことを理解していないかぎり、いくら神のもとに帰ろうとしても、神の平安を望んだとしても、神の愛をいくら求めたとしても、それが成し遂げられることはけっしてあり得ないどころか、葛藤、苦悩することになるばかりだといえます。
私たちは「自分が神の愛を拒絶している」ということを認識する必要があるということ、それなしにコースの学びも実践もあり得ないということです。
そのことについて、コースの中でイエスは、こう述べています。
私たちはまったくと言っていいほどそのことを自覚/認識していないといえます。
ですから、私たちはそのことを自覚/認識していくために、自分の内側を見る(直視する/認識する)ことが求められているといえます。
コースのイエスは、神の愛を拒絶していることを自覚しなさい!その自分に気づきなさい!見なさい!と私たちに告げています。
内側を見る(直視する)ということが私たちに求められているのです。
ちなみに、それは愛を見つけ出すためではありません。
このコースの実践でしていくのは、愛を、ではなく、愛を阻む障壁(闇/自我)を見つけ出して(直視して)いくことであるわけです。
なぜなら、直視することによって、取り消し(訂正)はなされるからです。
愛の障壁が取り消されたとき、私たちは愛がそこにあるのを知るでしょう。
もし「神の愛を拒絶している」ということが自覚されないままならば、愛の障壁は取り消されることなく、つまり、愛はずっと隠され続けることになります。
私たちが理解しておかなければならないのは、この今も神の愛を拒絶しているからこそ、自分たちはこの世界に居るのだということです。
そのことが理解されているならば、当然、コースの学びと実践をしないわけがありません。
言い換えるなら、むしろそういうことを理解するときこそ、ようやくこのコースの学びと実践は本格的にはじまるといえるでしょう。