人生がうまくいっていようがいまいが、そういうものから完全に自由になっていくためのスピリチュアリティ
人生がうまくいっている人には、コースはおすすめできない
「もし人生がうまく機能していてうまくいっているとしたなら、コース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)を学んでいくことはできないでしょう」
ワプニック博士は、冗談交じりにそう言います。
「もし今、あなたの人生がうまくいっているのならコースは学ばないほうがいいでしょう。なぜなら、コースを学んでいくなら、むしろ人生を奪われるような感覚を覚えるからです」と。
ちなみに、それは、人生がうまくいかないほうがいいとか、幸せな人生になってはダメという意味ではありません。
コースは、人生がうまくいこうがいかまいが、そういうものを超えていく、つまり、そういうものから自由になっていくことを目的としている霊性の道であるということです。
私たちは、ふつう、人生がうまくいくことを望んでいます。
そして、コースを学ぶとはどういうことか?
というなら、そういうものを放棄していくことになるということです。
ようするに、コースは、人生がうまくいくとかいかないとか、そういうものとは関係なく平安でいることができるのだということを学んでいく道であるわけです。
人生で起きる出来事にイイもワルイもありません。
この人生で経験していることのすべてが幻想のストーリーにしかすぎないのだということ。
しかも、その幻想のストーリーとは、狂気が作り出したストーリーなのだということ。
コースではそのようなことを学んでいくわけです。
ですから、人生がうまくいっている人にとっては。ときに、コースの教えに対して恐れと抵抗を覚えたりすることでしょう。
とりわけ、私たちは、人生に価値を置いています。
私たちは、この人生が重要だと思っています。
この人生をリアル(現実)だと信じています。
この人生とは何なのか?
この自分とは何なのか?
その真実に対してまったく無知な状態になっています。
じつは、それこそが私たちの苦しみの原因となっているわけですが、私たちはその真実に目を向けたくはないのです。
もし真実に目を向けるならば、この人生、この自分が無意味、無価値だということになるからです。
それはとても受け入れ難いことです。
人生がうまくいっているとしたなら、なおさらのことです。
そもそもが実在しない幻想であるにもかかわらず、人生がうまくいくとかいかないとか、なぜそれが重要なのでしょう。
この人生とは一切関係なく、一切脅かされることのない本当の自分がいるというのに、なぜニセモノの自分のままでいたいのでしょう。
なぜ悪夢の狂気のストーリー中で、夢の主人公の自分として居続けようとするのでしょう。
コースでは、そのようなことについて学んでいくスピリチュアリティ(霊性の道)です。
コースが教えていることを真に理解するようになるとき、この世界の中で私たちが何をしているのか?が明らかになっていきます。
あなたはその真実に目を向けたいだろうか?
そういうことで言うならば、人生がうまくいっている人よりも、自分の人生に生きにくさ、生きづらさを感じている人のほうが、コース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)を学ぶには向いているといえるでしょう。
なにせ、コースという霊性の道は、人生がうまくいっているとかうまくいっていないとか、そういうものから完全に自由になっていくためのスピリチュアリティであるということを知っておくといいでしょう。