コースの観点から見た「人生の目的」について
目的は二つしかありません
私たちは、なぜ?そして何のために?この世界にいるのでしょう?
この世界に生きる目的は何なのでしょう?
人生の目的は?
といったときに、この世界にはたくさんの目的があるかのように見えます。
その目的は人それぞれにあって、各々がちがったそれぞれの目的を持って生きているかのように見えます。
ちなみに、「、、、かのように見える」という言い方をするのは、なぜなら、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の観点からみるならば、この世界には二つの目的しかないからです。
つまり、私たちがこの世界にいる目的は二つしかないということです。
それは、
自我の目的か?それとも聖霊の目的か?
のどちらかだということです。
コース学習者の私たちは実践において、そのどちらかの目的を選び続けていくことになるわけですが、通常、そのほとんどが無自覚なまま「自我の目的」を選んでいると言うことができます。
もっといえば、無自覚であること自体が、私たちはすでに「自我の目的」を選び続けているということです。
自我の目的とは、「この世界は実在している」「自分は人間である」と信じ込ませることです。
それによって、分離の思考体系、個別性、特別性、といったものを維持することができるわけです。
そう、私たちは無自覚なままに、自我の目的で突き動かされながらこの世界を経験しているということです。
ですから、私たちはまずそのことを自覚/認識していくことからはじめなければなりません。
今自分はどちらの目的を選んでいるか?について自覚していくことです。
それが、コース学習者の私たちに求められていることだということを覚えておきましょう。
コースは、そのことについて「それは何のためのものか」というふうに表現しています。
ようするに、コースの実践において私たちは、
自我の目的か?聖霊の目的か?
その目的で見ていくという訓練をしていくということです。
その目的が自覚/認識できるようになることで、私たちは「自我の目的」から「聖霊の目的」へとその目的を変えることができるようになります。
その目的を変えることによって、この世界に対する知覚の訂正が起きていくわけですが、それがコース学習者の私たちがしていく実践なのだということを忘れないようにしましょう。
それは何のためのものか?
上記でも述べたように、私たちがコースを実践していく上でしていかなければならない重要なことは、「目的」でものごとを見ていく、ということです。
まさに、それこそがコースの実践における特徴的なところだといえます。
そのテーマについて、ワプニックさんは、以下のように述べています。
真理からいえば、すべては実在していない(幻想である)わけですが、コースの実践においては、この世界を幻想だとしてただむやみに否定していくということではないということです。
そうではなく、この世界いる私たちがしていくことは、
どちらの目的で見るのか?ということであって、
それがコースの実践においてフォーカスしていくべきことなのだということです。
何度も云いますが、この世界には目的は二つしかありません。
そのうちのどちらか一方を、常に、私たちは選んでいるのです。
一つは、この世界(宇宙)の中に居続けたいのか?
もう一つは、この世界(宇宙)から脱出するのか?
そしていえることは、私たちは、通常、前者を無自覚に自動的に選んでしまっているということです。
それゆえ、コースという霊性の道を歩む者は、後者を選ぶ訓練をしていくわけです。
つまり、目的を変える訓練をしていくということです。
目的を変えるなら、無益で無意味だったこの世界、この人生、この肉体(身体)が、これまでとはちがう目的で使われていくことになります。
それにともなって、その知覚もこれまでとはまったくちがう知覚の仕方へと訂正されるのを経験していくことになります。
それは、これまで私たちがまったく忘れていた見方(真の知覚)であり、コースで「心眼(ヴィジョン)」と呼んでいるものであり、その知覚が開かれていくことになります。
私たちは、その真の知覚を修得するためにコースを学び、実践しているのだと言うことができます。
肉眼で見るこの世界をこれからも見続けたいのか?
それとも、
心眼(ヴィジョン)が開かれた世界を見たいのか?
あなたが自覚しているしていないかに関わらず、その選択は、この今も、毎瞬毎瞬なされているのです。
まずは、そのことを自覚/認識していくことです。
それが、ヴィジョン(心眼)が開かれていくための、そして、この世界の幻想から目覚めていくための重要な一歩となるのだということを覚えておきましょう。