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「密かな夢」と「時空の夢」という二重の盾を超えていく


私たちは絶望の夢を見ている

コース(奇跡のコース/奇跡講座)が私たちに教えていることは何か?

というなら、

私たちは「神から離れた」という分離の想念によって作り出された夢を見ているだけであり、本当は、この今もわが家(天国/ワンネス)にいるのだということを教えてくれているといえます。

そうであるにもかかわらず、私たちはそのことを忘れて、自分で作り出した夢の中に今もさまよい込んでいるというわけです。

つまり、コースは、私たちが見ている世界は「神から離れた」という夢であり、神不在の夢、光の不在の夢だと教えてくれているということです。

神の不在、光の不在とは、すなわち、私たちは光も希望もない絶望の夢を見ているということです。

その真実は、この世界にいると信じている私たちにとってはとても受け入れ難いことです。

ただ、コースを真摯に学んでいこうと思うのであるならば、それを受け入れていく必要があります。

むしろ、それを受け入れることなしに、この世界の夢から目覚めようというモチベーションをどうやって高めていくというのでしょう。

ようするに、私たちが分離の世界を知覚し続けていること自体、「ワンネスから分離した」「天国から離れた」「神から離れた」と信じていることの証拠なわけです。

神(天国)から離れたと信じているわけですから、まさに絶望以外の何ものでもありません。

もちろん、そこには、愛も、光も、喜びも、平安も、希望もあるわけがありません。

そう、今や私たちはその絶望の夢の中にいるということです。

それがこの世界にいる私たちの状態であるわけす。

ただ、私たちが忘れてならないのは、自らが望んで「神から離れた」という絶望の夢を見ているだけなのだということです。

すべてが自作自演なのだということです。

ただし、その真実(真理)を私たちは自分自身に対して秘密裏に隠すことをしているわけです。

そう、その真実を自分で隠しているのであり、それを思い出すことこそが、目覚めの鍵となるものです。

そして、

どこに隠したのか?

というなら、私たちが一番近づきたくないところに、です。

それはどこか?

というなら、闇、絶望、罪悪、恐れがあるところにちがいありません。

なぜなら、誰もがそこを見ようとはしないからです。

真実を秘密裏に隠し続けておくためには、闇、絶望、罪悪m恐れがあるところこそが格好の場所だというわけです。

だからこそ、闇、絶望、罪悪、恐れを直視していくことが求められているのです。

むしろ、それらを直視せずして、私たちはどうやって絶望の夢から救われるというのでしょう。


この宇宙物理空間はどうやって、何のために作り出されたのか?

「自分はこの世界にいる」と信じているならば、自分は絶望の夢を見ているということです。

その真実を私たちは受け入れなければなりません。

ようするに、ここ(この夢の中)には、愛、光、喜び、平安、幸せ、希望というものはないということを私たちは悟る必要があるということです。

そもそもが天国から離れた夢を見ているわけですから、愛、光、喜び、平安、幸せ、希望といったものがここ(この夢の中)にあるわけがありません。

そのことを悟らないかぎり、どうやって私たちはこの夢を終わらせることができるというのでしょう。

ここで私たちはもう一つ重要なことを知っておかなければならないことがあります。

それは、絶望の夢を見たくて見始めた夢であるわけですが、私たちはその絶望に耐え切れずに、その絶望から逃れようとして、さらにもう一つの夢を作り出したということです。

さらなるもう一つの夢の中へと逃げ込んだということです。

それが、今、私たちが知覚しているこの物理宇宙の世界です。

この時間と空間の夢です。

ようするに、私たちは二つの夢を作り出したということです。

一つは、絶望の夢(罪、罪悪感、恐れの夢/密かな夢)。

そして、もう一つは、絶望から逃れるための夢(宇宙物理空間の夢)です。

二つの夢のどちらも同じ絶望の夢であることに変わりはないのですが、

ただし、この宇宙物理空間の夢の中には、愛や光や希望といった、自分を満たしてくれるものがあるかのように見えます。

いわゆる、ニセモノの愛、ニセモノの光、ニセモノの神といったものを私たちは作り出して、その代替(まがいもの)で絶望を紛らわすことができるわけです。

ですから、私たちが真理(神/ワンネス)に目覚めていくためには、まず外側の時空の世界を超えて、そしてさらには内側に隠されている絶望の夢をも超えていかなければならないということです。

つまり、自らが作り出した二つの夢を超えていく必要があるということです。

コースは、そのことを「二重の盾」という表現を使って私たちに伝えてくれています。

私は目覚めたい、私は覚醒したい、と、それを願う者はたくさんいます。

ただし、自分は闇を通り抜けていく、絶望を通り抜けていくことを願う者はほとんどいません。

悟り、目覚め、覚醒に至る方向は、そういう方向であるにもかかわらず、相変わらず、私たちは代替品(まがいもの)のほうを好んで、そっちへ向かおうとしてしまうのです。

ただし、あなたが本当に悟り、目覚め、覚醒へと至りたいのであるならば、自らが作り出した二つの夢(二重の盾)を超えていかなければなりません。

それらを超えたところから見ることができるならば、絶望の夢がまったくの茶番(嘘/虚偽)だったことを理解するでしょう。

それが「赦し」であり、そこから見ている知覚こそが私たちが修得していくべき「ヴィジョン」と呼ばれているものです。

そのとき、そこに知覚しているものは、絶望の夢ではなく、幸せな赦しの夢(幸せな夢)というふうになっていることでしょう。

そして、私たちはその幸せな赦しの夢を見ながら、夢から真理へと目覚めていくのだということを覚えておくといいでしょう。


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