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赦しの実践を通して私たちが目指している「平安の達成」とは

自我からの脱却、苦しみからの脱却

これまでの私は、

「自我からの脱却」「苦しみからの脱却」

というものを目指してスピリチュアリティの道を探究してきたわけです。

ただ、今となっては、その言葉の表現が実感しているものとは少し違ってきたと言うことができます。

というのも、自我がもはや咎めるべく対象、拒絶すべき対象ではなくなったといえますし、あるいは、苦しみについても受け入れていくべきものとして見はじめているせいもあると思います。

それは、

自我からの脱却、苦しみからの脱却、

ではなく、

自我の終わり、苦しみの終わり、という言い方をしたほうが正確な表現だと思います。

それは、ある意味、パラドックス(逆説)になっているといえます。

自我をむしろ受け入れることによって自我の力は弱まっていきますし、苦しみと闘わないことによって苦しみはその力を失っていくからです。

それは、もともと「無」でしかなかったものを「無」として知覚するということなのでしょう。

そして、それをコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)で、「赦し」「奇跡」と呼んでいるということです。

そう、「無」でしかない実在しないものと格闘する幻想のストーリーは、そのようにして終わっていくといえましょう。

それは確かに、自我からの脱却、苦しみからの脱却、という言い方もできます。

私たちが赦しの実践を通して目指している「平安の達成」とは、そういうものであると言うことができるでしょう。


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