聖書の教えとコースの教えは似てまったく非なるものである
悪魔の教え呼ばわりされて
コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)とは、どういうものか?
ワプニック博士の言葉の表現を用いるなら、「コース(ア・コース・イン・ミラクルズ)は聖書の訂正本である」という言うことができます。
さらに、ワプニック博士は、こう云います。
「聖書のイエスと、コースのイエスを一緒にしないでください」と。
ようするに、聖書の教えとコースの教えは似て非なるものであるということです。
ですから、敬虔なクリスチャン(キリスト教信奉者)から見るならば、コースはまるで「悪魔の教え」のように捉えられても仕方のないことでしょう。
実際に、私自身、そのような方から悪魔呼ばわりされるようなコメントをもらったことがあります。
でも、そう思われても当然といいましょうか、そのように見られたとしてもいた仕方のないことだと思います。
それというのも、キリスト教(聖書)の教えとコースの教えとはまったく相反することを教えているからです。
そうであるからして、コースがキリスト教(聖書)の教えに敵対する悪魔のように見えてしまうのは当然のことだといえます。
それは、どちらが正しくてどちらが間違っているということを述べているのではありません。
それらはまったくちがう教えであるという事実を、ただ述べているにしかすぎません。
では、教えている内容の何がちがうというのでしょう?
その明らかなちがいは?と言うなら、
聖書の教えは二元性のスピリチュアリティなのに対して、コースは非二元のスピリチュアリティであるということです。
もちろん、神に対する考え方もまったく異なります。
聖書では、神がこの世界を創造したことになっています。
それとはちがって、
コースでは、神はこの世界を創造しなかったし、神はこの世界とは一切関係がない、というふうに述べています。
そう、聖書の教えとコースの教えはまったく異なるものなのだということです。
そうであるがゆえに、聖書のイエスとコースのイエスを混同しないようにしなければならないということです。
コースを学ぶ上で、そのことは必ず知っておくべき重要なことです。
もしそういうことを把握せずにコースを学んでいるとしたなら、あるいは、コースのイエスと聖書のイエスを混同して学んでいるとしたなら、コースが教えていることとはちがうことを学んでいくことになるといえましょう。
というのも、同じキリスト教用語で書かれてある教えではありますが、聖書(キリスト教)の教えとコースの教えはまったく真反対であるからです。
混乱しないためにも、それらを混同しないことがとても重要です。
コースの教えをちゃんと理解している学習者なら、当然、分かっていることだといえますが、そうではないコース学習者も多々おられますので、そのことに関しては十分にわきまえておく必要があるといえましょう。