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すべてが神聖な出会いである


「特別な関係」と「神聖な関係」

コース(奇跡のコース/奇跡講座)では、すべての出会いが「神聖な出会い(ホーリー・エンカウンター)」であると教えてくれています。

それが何を意味するのか?

というなら、私たちはすべての関り(関係性)を赦しのレッスンのきっかけとして使うことができるのだということです。

そう、そのような見方をしていくことが私たちが訓練してかなければならないものなわけです。

そうなるとき、この世界が赦しのレッスンをしていくための「教室」として知覚されるようになります。

つまり、人との関係を特別な関係ではなく、それらの関係性のすべてを神聖な関係としていくようになるということです。

それこそが、私たちに与えられた唯一の機能なのだということです。

ようするに、すべての出会いを「神聖な出会い」としていく見方が、神の教師として私たちが修得しなければならないものだということです。

そこから見るとき、すべての人間関係において、私たちは必要なタイミングでお互いに出会うべくして出会っていると言うことができます。

「すでにシナリオは書かれている」ということが、そういうことです。

聖霊の目的で生きはじめるとき、そのことが明らかになっていきます。

そして、そのすべてが自分とは誰なのか?を思い出していくため赦しのレッスンというふうになっていきます。

そう、学びが進んでいるコース学習者のその実践は、兄弟たちのすべてを自らの教師として見るようになっていくということです。


”救済はあなたの兄弟からくるものである。”(T-9.Ⅱ.6:3)

奇跡講座/中央アート出版社

「誰に出会うときも、それが神聖な出会いであることを思い出しなさい。あなたは、彼を見る通りに自分自身を見る。彼を扱う通りに自分自身を扱う。彼について考える通りに自分自身について考える。このことを決して忘れてはならない。なぜなら、彼の中で、あなたは自分を見失うことにも、自分を見出すことにもなるからである。二人の神の子が出会うときはいつでも、両者に救済のための新たな機会が与えられる。(T-8.Ⅲ.4:1-6)

奇跡講座/中央アート出版社


過去世からの縁がある?ない?

人との出会いを捉えるとき、普通、それを縁があったとか、縁がなかったというふうな捉え方をします。

とくに、スピリチュアリストは、過去の生(前世/過去世)からの縁があったとかなかったとか、という物語が大好きです。

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