命日は必ずやってくる


毎日を何となく過ごしても、必死に過ごしても、同じだけの時間が流れていて、忙殺してふと気づくとまたその日が来る。

大好きな推しも大好きなうさぎも亡くなった。思い出す度にぼんやりとする。

思い出すってことは忘れていたんだとか、冷たいなとか思われるかもしれないけど、忘れていくというより、亡くなったという事実だけがずっと心の中にある。しまっておかないと、ふと、事実だと思い出して何で死んじゃったんだっけと繰り返し考えることになる。寂しくて悲しい。


今回は何となく、友達のお母さんが亡くなった時のことを思い出したから書いておく。

亡くなった当日か、それよりも前だったかよく覚えていないけど、家に帰ってる途中に友達のお母さんが私の家の近くにいるのが見えた。私の母と会っていたのかと思い、帰ったあと聞いたら来てないよと言われた気がする。
それとも亡くなった日の後、いるはずがないのに、いたよと報告した様な気がする。

もし本人であれば、私の視力はかなりいいから見間違えるはずがない。人の顔も覚えるのは得意だし、誰かが少し髪型や化粧を変えても大抵はわかる。

もし亡くなる前に見たとしてもその時は病院にいた。でも、私が気づいた時にちょうど引き返してどっかに行ってしまった。何かを伝えに来てくれたのかなと今でも思う。


都合のいい考えだと思いつつ、私はやっぱり誰かの思いってずっと残るものだと思うから、何か伝えてくれようとしたのかなと思ってしまった。また会いに来てくれるなら、いま貴女の娘は結婚して、可愛い子供もいて幸せですよと、伝えたいなぁ。難しいか。


自分がしっかり歩き続けるには、きっと、もっと、ちゃんと、現実に慣れて行くしかないんだと思う。
忘れたくないのに忘れていく自分にも。好きな人達がもういない現実にも。


では。今日も元気に遊んできます。

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