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新たな「空気を読む能力」を手に入れるため、今日も私は旅に出る。

創作や表現活動を通じて、さまざまな人とかかわっています。
本当に素敵な人がたくさんいるのですが、なかでもこの人素敵だなぁ…と感じる人たちに共通点がある、と最近気が付きました。

「空気を読む能力」を持ってるんです。

空気を読む、って言葉。あまり好きじゃなかったんです私。
苦手なものを押し付けられても場の「空気を読んで」笑わなければいけない喜ばなければいけない、その場で何か変な行動をしたら「空気が読めない」と言われるのではないか…いわゆる同調圧力のようなもの。そんなのつらいじゃないですか。だからこの言葉にもいい印象を持っていませんでした。苦しくなるだけじゃないかなぁ、と。

違った。素敵だなぁと感じる人が読んでいるのは場の空気じゃなかった。
「相手の纏う空気」を読んでいるんです。1対1が丁寧なんです。

場の空気を読んで同調するではなく、誰かに言われるのを恐れて縮こまるではなく、目の前の相手のことを考えて、相手の雰囲気を読みとって、コミュニケーションをとる。言い換えれば「相手のことを思いやって接する」ということを、本当にごく自然に行っている。シンプルだけど一番大事なこと。
誰一人として同じ人がいないこの世界で、「この人はどういう空気を持っているかな?」を考えて、声をかけることができる。知ろうとすることができる。すごい能力じゃないですか、これ。

空気ってなんの練習もなしに読めるものではない、と最近は思います。
例えるなら全く知らない言語で書かれた本、初見ではほぼ読めません。その本を読むための知識がない、理解する為のとっかかりがないから。
単語を学び、文法を学び、短文を読み長文を読み、少しずつ正解に近づいていきますよね。

誰かを知ろうとするときも同じかなって。きっかけはその誰かに似た別の人の空気でもいい、それをとっかかりにしつつ、その人だけの空気を少しずつ読み取ってコミュニケーションをとっていく。そうしてまた新しい空気の読み方を一つ手に入れる。なんだかゲームのレベルアップを彷彿とさせますね。「▼村人Aの纏う空気 を 読む能力 を 手に入れた!」「▼魔王の纏う空気 を 読む能力 を 手に入れた!」そしてレベルアップ。

誰かに強要されるものではなく、自分自身が誰かを想うためのツールとして「空気を読む能力」を使えたら、今より少しだけ皆が生きやすい世界になるんじゃないかな、なんて。
そんなことを思いながら、今日も私は新しい空気を求めて人とかかわる旅をします。

めざせ、人間レベルアップ。

ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます。何かあなた様の心に残せるものであったなら、わたしは幸せです。