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友人との訣別と、先生との再会(後編)

タイトル画像はデザインアプリ「Adobe Express」上で画像生成AIによって記事の見出し画像をつくる機能を使って作りました。

前後編に分けてしまったので、ぜひ前編もご覧ください。

今回の記事のもとのエピソードはこちら。

ほんの些細な後日譚

1日空いてしまったのは、前後編に分けたうえで改めて考えると「先生に再会した。以上」で大した話じゃないんじゃないか……という疑問がわいてしまったので。なので、大したドラマもないのだが「小学校を卒業してからも会ったことがあるよ」という話として読んで欲しい。

親戚の結婚式の朝、私はある一点が気がかりだった

親戚のお姉さんが結婚するその日、私は結婚式・結婚披露宴に参加するため朝早くから着飾っていた。20代、慣れないメイクも自分でするので地味である。ドレスだけは素敵だった。これまた親戚のおばさんからいただいたツーピースで、あまり見かけないシルエットで上品で素敵なドレスだったので着られることがうれしかった。さすがに普段は着られないので、パーティーでもないと……と思っていたのだ。

ただ一点、気がかりだったことは「小学校の時の担任のあの先生が来る」という事だった。

前回の記事では直接関係なかったので書いていなかったが、先生は親戚関係にあるのである。ただし血はつながっていないぐらいの、ちょっと距離のある親戚だ。でも私と先生には距離があっても、親戚のお姉さんからは両方それなりに近い親戚にあたり、どちらかが呼ばれないということはなさそうだった。(呼ばれないとしたら私だろうか……)

「昔のことは忘れて、穏便に」

当日の朝、親から「今日は先生が来るはず。でも小学生の頃にあったことは忘れて、顔を合わせてもぐっと我慢してね」と注意されていた。前回の記事に書いた通り親には先生との間にあったことをすべては話していない。それでもこう言われるぐらいだから、相当恨みに思ってると思われてたんだろう。顔を合わせたら何をすると思われてるんだ……?

まあ、別に絶対挨拶をしなくちゃいけない立場でもないし、話し込む必要もないのだから「いるなー」ぐらいで何とかなるでしょう、と私は思っていた。向こうは私の担任をしていたことなんてたぶん忘れているはず。

結婚式は、式と披露宴の間などに待ち時間がおおくあるため、お互いのゲストが挨拶をしあったり、居合わせた親戚が久しぶりに昔話をするシーンをよく見かける。
私は子どものころこそ親戚の集まりに顔を出していたが、20代になってから地元を離れ、大人になった私を見るのが初めてという親戚に式場で囲まれることになった。
「大きくなったねー!」「すっかり大人じゃない!」「そのドレス素敵ねえ」などと、久しぶりに会う人たちが声をかけてくれる。

そうしているうちに、見たことのある顔が離れたところに見えた。
先生だ。

先生は私のことを「覚えている」と言っていた

「やあやあやあ……阿智さんかい、ひさしぶりだね! すっかり大人になって」
「はい、どうも……」
なるべく会話をしないで、ニコニコして終わらせようと考えていた。
「小学校の時、ちょっと担任をしていたね。覚えていますよ」
「そうですか」
どうもにわかには信じられないけど、覚えていますよと言っていた。

「とてもきれいになりましたね。先生に写真を撮らせてください」
「いいですよ?」

先生は私の写真を撮影した

先生は相変わらず、大きなレンズのカメラを持ってきていた。今日の主役のお姉さんの写真をいっぱいとるつもりなんだろう。
そのカメラで、私の写真を撮るという。
私はまだまだ「あの日」のことを忘れていなかったし、「先生が写真を撮る」という状況にかなり動揺した。

しかし、これは、直接その……先生の様子を見てなければ伝わらないと思うのだけど、私は先生が「あなたの写真を撮らせてくれ」という表情を見て、「別に写真を撮らせてもいいな」と思ったのだ。
どういう態度だったから私がどう思ったかについては秘密にしておこう。

とにかく結果として、私は先生にいまいちど「私の写真を撮影」させたのである。

後日、写真が送られてきた

後日、結婚式当日の写真が親戚のお姉さんから送られてきた。
「こんな感じだったね~」
「素敵だったねえ」
などと、親と思い出話をしながら写真の束を見ていた。

その中に私がひとりでスッと立って、微笑んで少し見下ろした構図で写っている写真があった。
「あらっ、こんなのいつの間に撮ってもらってたの? きれいに写ってるねえ」
親が差し出したその写真は、先生が撮った写真だった。

「ああ、それ、先生が撮ってくれたやつだよ」
こともなげに言うと、親は「あんた! よく先生に写真なんか撮らせたわねえ!」と驚きが混ざった声で言った。
「それにしてもよく撮れているな」「先生は写真がうまいな」


そうだね。その写真は私がとてもきれいに写っていて、お気に入りの写真でもある。

あの「私が長年つらい思いをする写真を撮った人物によって撮影された、まだつらさを引きずっているころの私の写真」が手元にある。
これも見返す度に一言で「これだ」と言い表せない感情を私にもたらすのである。


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