人が人とどう接するか、を決める判断基準ってなんなんでしょうかね。
わたしは、わたしを知らない人からは「いい人」と見られがちだ(たぶん)。
ちょっと違うかも、正確には、
「こいつちょろいな」と見られがちな気がする。
まず、知らない人にやたら道を聞かれる。 道を聞いてくれる分には全く構わないのだけど、やたらぶつかられたり横入りとかもされる。
先日、品川駅の乗り換えで空港行きの電車を待っていた時に、今まさに電車が来ようとするそのタイミングで「すみません、○〇へはどうやって行けばいいですか……?」と聞かれ、慌てて乗り換えを調べていたら別の人に横入りされた。
むかついたので、電車に乗る瞬間の段差の衝撃に紛れ、そいつのスーツケースを下から蹴ったらすげえ重かったみたいでびくともしなかった。
足が痛かったです。
あの、いい人じゃないんです、むしろどっちかというとだいぶ嫌な人間なんです。 わたしを知ってる人からしたらご存知のとおり。
あと、よく犬に吠えられる人っていません?
「うちのシルビア(仮名)ちゃん、普段はめったに吠えないのに……」って言われるタイプ。 わたし完全にそれです。
もっと言えば、ワンチャン「こいつ殺せる(食える!)」と思われてる気がする。(ワンちゃんなだけに)
小学生の頃友人宅に行って、そのおうちのワンちゃんがみんなにはしっぽ振って愛想振りまいていたくせに、わたしを見た瞬間、がばっと牙を向けて頸動脈のあたりに噛みつかんとばかりに飛びついて来たことは今でもトラウマ。
あいつら、最初にマウンティングしてくると噂には聞いていたが、わたしに対しては下どころかエサと思っている節がある。
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人は人に対してどのような態度を取るか、どう判断して行動してるんだろ?
どの人に声をかけやすい、とかはまあわかる気はするのだけども。 でも、ぶつかったり横入りしたり噛みついたり(これは犬だけど)、まあこの辺は極端な例だとしても、知ってる人に対しても、 ちょっとしたコミュニケーションでも、人によって違うことってありませんかね?
たぶん性差や年齢だけではない何かにじみ出ているものがある気がするんですよね。
なぜマウンティングするか、については、犬の(殺そうとしてくる)行動見てたら「ああ、動物の本能として、生きていくためにすでに備わっている仕様なのかな……?」とは思うのだけれども(自然界でのエサポジションの視点からも)、
じゃあ何をもってそれを決めているんだろう? と不思議なわけです。
ナンパはされたことないけど宗教の勧誘は今も昔もすごくされるし、痴漢もされたことないけどいきなり知らない人にタックルされて怪我したことならあります。 え、なんで?
なんか毛穴から出てるのかな? それとも目鼻のバランスとかで何対何だとちょろいと見られる、とかなんかあるんですかね?
有識者の方、研究結果とかあったらどうか教えてください。
先日飛行機で実家に帰ったんだけど、空港までの道すがらで冒頭の出来事があり、母親に「そういえばあんたはいっつも犬に追いかけられてたよね」と言われたことでふと思いました。
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ちなみにこの話をすると、 人にどう見られているか、とか、なぜこんなことを言うの? なんて他人軸に振り回されず自分軸をもっと持て! と言われたりすることがある。 人の顔色伺って他人の発言や態度に揺れているうちは不幸だ、とも。
それはまあわかる、確かに自己分析と内省は私の人生折り返しにあたっての最大のテーマです。
ただ、それと同時に、あの人はなぜこうなんだろう、人はどういう判断基準で人に接しているんだろう、ということへの興味関心も尽きないのです。 この知りたい欲求がわたしのこの世界での活動のモチベーションの源泉にもなっておりまして。
そこのところ、ご了承いただけますと幸いです。 そして、有識者の方のご連絡を心よりお待ちしております。