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noteのお題 #忘れられない先生
私は、高校のときの理系の先生たちのことを思い出しました。

私が40年弱前に通っていたのはキリスト教系の私立中高一貫の女子高でした。(歳がばれる~)
校則も厳しく、たくさんのベテラン先生が教鞭をとっていたころでした。
私が印象に残っているのは、理系の男性先生たちです。
大正13年生まれで、「トリオ・ザ・サーティーン」と呼んでいました。(ほかに大正11年生まれが1人)
先生たちは、太平洋戦争の最中に大学生活を送っていた世代です。

数学の先生は、理系の学生は戦争に動員されるのが最後になるだろうという理由で、進路を変更して数学を専攻することにしたと語ってくれました。

東北の大学に通っていた化学の先生は、大学での研究はできず、軍事工場に動員されたが、そこで作っている薬品が「気持ちがハイになる」成分が入っていて、夕方前には気持ちが良くなって帰るという生活を送っていたと、生徒に笑いを提供してくれながら語ってくれました。

物理の先生は、理系学部だったがついに終戦の年の春に動員され、三浦半島で日の出から日没まで砲撃用の穴掘りをしていたが、終戦の日に本部から連絡が来ず、しばらくずっと穴掘りを続けていた、と語ってくれました。

終戦の日とか意識せず、授業中に、さらりと戦争中の時の話をしてくれました。授業で習った公式や化学式は忘れても、彼らの実体験の話は今でも記憶に残っています。白衣姿の先生や教室の情景さえも脳内再生されます。

悲惨な戦争体験をした方も多い中で、彼らの戦時中の生活は恵まれていた方かもしれません。でも、戦争を体験したことは変わらない事実です。
自らが語る体験談に勝るものはないな、と改めて思いました。


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