心の表現方法
人の心はいろんな感情を抱えている。
晴れやかでこの上なくハッピーな気持ちも
水に浮いているように穏やかな気持ちも
考えても考えても答えが見つからなくてモヤモヤした気持ちも
心がズタズタに傷つきどん底な気持ちも
全てを破壊してしまいたい崩壊的な気持ちも
どんな気持ちも自分の心の中にずっと抱えてしまうと、感情が爆発してしまい心が壊れてしまうと思う。
だから人は自分の心の中をいろんな表現方法を使って開放していくのだと思う。
子供の習い事って
ここで子供の頃の習い事の必要性を考える。
ピアノやダンス、バレエか水泳、書道、空手、絵画教室、
子供が成長すると親は習い事を習わせるか否か、どんな習い事を習わせるか問題に突き当たる。
習い事は何のために習わせるのか?
習わせるか必要は本当にあるのか?
それでプロになるのか?
私が3人子育する中で自分なりに出した答えは
習い事は将来子供が大人になった時に感情の開放するための表現方法を身につけるためなんだろうなってことだった。
子供の頃に興味を持ったこと、それがその子の心の開放手段なんだと思う。
ひとつじゃなくでいい、絵を描いたり、ダンスをしたり、文字を書いたり、色んなことで自分の心を表す。
自分から出されたものを通して心を穏やかにする。
それってとても大事なことだな。子供でも大人でも
それができないと心を病んでしまうのではないか。
子供が興味を持ったらなんでもやらせてあげればいい。それがもし短期でも、その子の経験になり、心の底で生きていると思うから。
もし、子供の頃の習い事がとてもいい結果が出てプロになったっていい。
その子がその手段でしっかり自分を表現できているということだから。
自分の心を開放しているということだから。
ただ、表現方法が一つしかないと、それができなくなってしまった時、困る。
だけら子供の時に色んな経験をさせてあげるのが大事なことなんだと思う。
我が子を見ていて思うこと。
長女は年少から小3までピアノを続けていた。
最初は彼女も興味本位ではじめて楽しんでいたけど、毎日のピアノの自主練習がとても苦痛だったようで。
でもピアノ教室は好き。
そんな感じで続けていたけど、結局小学3年になるタイミングで辞めてしまった。
親としてはその時、少しもったいないのでは、、、とか
これが本当に彼女にとっていいことなのだろうかとか
子供の将来を最大限に妄想して心配したものだった。
でもやめた今でも、何かふと思い立った時にピアノを弾いたりする姿をみて、
「またピアノ教室やりたかったらやっていいんだよ」と言うと
「教室にいくと弾きたい曲を弾けないから嫌だ」と言う。
この時思い出したんだ。
私も子供の頃そうだったなって。
大好きな絵を描くこと。
いざ、絵画教室に行かせてもらうと自分の描きたいタイミングで描きたいものが描けなくてとても嫌な思いをした経験があった。
でも大人になった今でもものづくりをすることで心を安定させてる面が強く、
私はものを作ることで自分の心を開放しているんだなと実感している。
私にとって縫うことが自分自身の表現方法だった。
彼女にとってのピアノもそれなんだなと思った。
だから習い事は無理に続ける必要がなく、子供にとって経験を与えてあげることそのものが大事なんだって実感した。
表現方法は世の中に数えきれないほどある。
一つじゃなくていい。子供たちには色んなことを経験して沢山自分の心の表現方法を見つけてほしい
そう思いながら日々子育てに追われるのでした。