書くことはすきなんだけどなぁ。
ノートを毎週書くと決めたのに、書く内容が頭に浮かんでこない
日々多くの文章を書いている人たちは、きっと毎日あふれるように言葉が湧き出てくるんだろうなぁと思いながら、人のnoteを読んで面白いように時間が過ぎていく。
私の表現手段は概ね刺繍でしか表現できないのだろう。
何故note を毎週更新していこうと思ったかと言えば、
刺繍を通しての販売活動が、この環境下で思うように行かなくなたのがきっかけだ。
このまま刺繍の仕事がうまくいかなくなったら、私は生きていけなくなるのではないだろうか。なんてこじらせ思考を抱くようになった。
実家の親や祖母を見ていると、
ある程度の年齢になると、行動力がなくなり、新しいことへチャレンジすることへの抵抗感も出て来るのかと感じている。
私の知っている祖母は、バリバリ外で地域活動に奮闘して、家の仕事もしっかりして、孫の私の世話の大部分を担ってくれていた。
祖父が亡くなる前は、毎日のように祖父の入院している病院へ見舞いに行っていた。
車乗れない祖母は私たちが送迎できない日は片道2時間かけて通っていた。
そんな生活を2年ぐらい送っていたこともあり、祖父が亡くなってから、
グッと体力がなくなったように思う。
今では86歳になった私の大好きな祖母は、一日中家にいる日が増え、一緒に買い物に行ってもすぐに疲れてしまい座れる場所を探す。
まぁ、でもこの歳ではかなり元気なほうではあると思う。
母だってそうだ。
私が産まれてからもずっとバリバリ働いて、家まで建てて。
今でも現役で、終いには週6で働くことまであるような人だ。
私も30後半になり、
今後の人生50年あまりを考える瞬間が多くなった。
私が親のような年齢になったとして、刺繍一本でどれだけ成功しているのかということを考えたら、恐ろしくなった。
きっと、目もますます悪くなるし、アイデアや行動力も少しずつ薄れていくとなったとき、
もっと別の活動手段を作った方が良いのではないかと思ったのだ。
文を書くことも読むことも、わりかし学生の頃から好きだった。
大学の時は、服飾を学びつつ、すこし業界用の新聞で文章を書いていたこともあるので、文章書く=すき というのが私の中でできていた。
ただ、「すき」と「書ける」と「うまい」はイコールではないのかもしれないと最近の私は気づき始めた。
きっとあれだ、「よし、文章を書こう」と構えてしまうと書けないのだと思う。
絵を描くように、糸と針で縫うように、頭で思ったことをキーボードで打ち込めばいいのだと思う。
今ある「すき」を今度は「書ける」というところまで持っていこうと思う。
今後もマイペースで私は書く。
そして縫う。