最近のモヤモヤ 7/19

最近ずっとモヤモヤしてることを頭の整理がてら文字にしようと思う。今日はつらつらと体裁も何も気にせず書く予定なので読みにくくなりそう、かつ一貫しなさそうな気がします。すんません。


小山田圭吾問題についてずっとモヤモヤしている。

オリンピックの音楽担当の小山田氏が過去に雑誌のインタビューでいじめを自慢するような発言をしていたことを批判され、謝罪。組織委員会も続投を理解してもらうよう国民に呼びかけたが、SNS等で辞任を求める声が止まず辞任。詳しくはないですが、こういう理解をしてます。間違ってたらすいません。


ずっとモヤモヤしてるのは、SNSを用いた数の暴力とも言える特定個人への批判がなぜこんなに違和感なく一般化しているのかということ。


こういう言い方をすると、お前はいじめした小山田を擁護するのか、とか言われて怖いんですけど、この件に限らず、最近SNSによって顔見えない不特定多数(本当は多数ではない可能性もあると思う)の人間に影響されて、あたかも特定の人間を攻撃することが正しいことのようになってる風潮がちょっと怖い。


もちろんいじめは許されることではないし、批判されて然るべきことであるということには間違いない。

いじめの発言があったことに対して、「過去にいじめをしていたやつがオリンピックの音楽を担当するなんてけしからん、辞任するべきだ」という言調が強くなってきたときに、辞任させるということに対してあまり論理性を感じなくて「うーん、まぁたしかに批判するのは分かるけど何で辞任させたがるんやろう」とぼんやり思っていたら、いつの間にか「小山田圭吾の辞任を求めます」というハッシュタグまで出てきて、謝罪してもその勢いが止まず辞任という流れに一気になっていった。

(これは推測が多分に含まれてるので違ったら申し訳ないが)批判してる人はおそらくオリンピック自体に不信感を抱いていて、開催するな、という意向の人が多そうな気がするけど、そもそもオリンピックの開催自体を批判して開催してほしくない人が、開催に関わる人間をよりより人間に取っ替えて、よりよいオリンピックの開催に向けてよりより人選にしよう!という活動をしてるのが?????なんですよね。オリンピック開催賛成派なら理屈は通ってて分かるんですが。

こういう全く理屈に合わない行動をしている人が一定数いると考えると、小山田圭吾を批判したい人が、オリンピックに関わることは悪であるという大義名分を盾に、匿名の不特定多数の人間とともに一個人を攻撃している構図にしか見えなくなってくるんですよ。これが最近のモヤモヤの一つ。

批判してる人達の中にはいじめは絶対に許せないという信念に基づいて意見を述べている筋の通った人もいると思うし、その人たちの信念や辞めてほしいという思いには共感できるものもあるから、全てを一括りにするべきではないとは思うんだけど、SNSだと信念のある人もない人も、同じように1ユーザーとして力を持ってしまって、リツイート数、いいね数のような数だけで物事が測られることが多くなってて、その数が多いことが正しいかのように世論が動いていることがとても怖い。

「SNSでこれだけツイートがあって、これだけリツイート、いいねがあって、こんなに批判が殺到してるんだ!だからこれが世論だ!この世論に従わないあいつらはバカだ!」みたいな風潮がここ数年ずっとあると思ってて、その違和感がずっと心を蝕んでる感じがする。

小山田圭吾問題以外で言うと100ワニの件などもそんな感じ。商用化批判から始まって、映画化されたらあれが悪い作品だと言ってもいいかのように思ってる人間がSNS上に一定数いて、大した信念もなく関係者を攻撃してるだけの人間が一定数いるように感じた。

多分SNSの発言なんてしょーもないと思ってる大多数の人は何も言わないのでサイレントマジョリティになっていて、そういう人たちからすると俺のSNS=世論という理論も、そんなわけないでしょ、と思うかもしれないけど、最近の色んな出来事を見るにつけ、SNSがあまりにも力を持ちすぎてて怖いなと思うことが多くなったので、ここに記した次第です。

最初と最後で問題提起が違う気がするけど、結局SNSが色んな意味で危ないよね、と思ったお話でした。

デリカシーであんまり関わりたく話題だったけどずっとモヤモヤしてたので頭の整理のために殴り書きました。

最後に改めて、決していじめを容認する意図ではなくこの文章を書いている、ということは、読解力のある方々なら分かると思いますので、よろしくお願いします。


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