43才が一念発起でパイプカットした話
2024年 6月29日(土)
阪急の初めて利用する知らん駅に降りていた。
知らん駅に降りるといつもソワソワする。ありふれた言い方やけど。
阪急と並行してJRが走っていて、駅と駅を結ぶよう直線に道路が通っていて商店街が広がっている。
お店、飲み屋など賑やかで楽しそう。気取った店ばっかりで中身が何にも無い豊中駅前とえらい違いやわ、ほんま。
ただ歩いていたのは昼前やったからどこの飲み屋もまだシャッターが降りたままやった。
土曜日の診察は午前のみやからね。
次、酒を飲めるのはいつになんのか?この町で酒を飲む機会はあるんか?なんかを色々考えながら駅を繋ぐ目抜け通りを縦断して目的の医院に向かった。
賑やかな商店街を抜け、JRの駅をくぐる地下通路で線路向こうに進み、駅前のロータリーを抜けたところで、、、あった!
F医院。
ここや。
もう決心したからな。
*
パイプカットをしようと決心したんよ。
「いい年してそんなに生でしたいか?」
「浮気するためか?」
なんて声が聞こえてきそうやけど、まあ、色々あんねん。
そのへんも間違いではないけど。
*
もちろんここに向かう前にネットで情報は得ていた。
「大阪 パイプカット」で検索するとほぼどのサイトにもトップで紹介されてるこの「F医院」。
サイト内の写真を見てみると、明るい白を基調とした雰囲気の院内。患者に寄り添った姿勢の紹介文。そして何より気さくそうな先生の写真。。。
口コミも誰も悪く言ってる人がいない。
しかも費用が6万円と破格に安い。ほんまか!??
他は15〜20万円などの表記もある。
この数字を見て、パイプカットをぐっと現実的に考えるようになったことも確かやわ。
*
この日は土曜日。
今日申し込んで来週くらいに手術となると仕事の調整はどうしたら良いやろか、など
一応きちんとした社会人でもあるのでその辺も色々考えていた。
仕事帰りに手術に寄って、術後すぐ運転して出張に行かなあかんかな、とか。
(この辺の考えは全く甘かったと、後日判明するんやけど)
*
F医院の入り口に立つと自動ドアが開いた。
中から誘われているみたいで、もう後戻りはできんやん。
いざ中に。
*
、、、、、、あかん、、
写真と全然違う。
なんか壁紙も薄暗い。
下駄箱の上の大きめの熱帯魚の水槽もどこか「暗」のイメージを与えてくる。。。
何より、ここを訪れる人たちが醸し出す「訳アリ、何か抱えているオーラ」がこの空気を醸成してるんか。
その時は他に患者が2名ほどやったかな。
まー、みんないろいろあるんやろ。そんな顔、佇まい。
そうそう、ここは診察は予約不要で、時間の許す限り診てくれるらしい。
保険証を提示し初診であることを告げるとどこの医院でもそうされるように問診票を渡された。
住所、名前、、、そして来院目的。。
当たり前のように「パイプカット」「包茎手術」などの文字がある。
ここまで来たら何も迷うことはない。「パイプカット」にチェックをして問診票を提出した。
程なくして名前が呼ばれた。
診察室に入る。
その途中で手術室?らしき部屋を横目に見て、椅子に座った。
HPに記載されている爽やかハゲ先生はそこにはおらず、擦れた薄ピンクのTシャツをこちらもだいぶ年季の入ったジーンズにインした、故林家こん平としか呼びようがないようなオジイがいた。
「なんとなくわかるけど、あの写真はサギや」
これが偽らざるこん平先生の第一印象だ。
こん平先生は挨拶もそこそこに問診を始めた。
「子供何人?」
「3人です」(これは本当)
「奥さんも同意してるの?」
「はい」(これはうそ)
「んじゃー、もう、切っちゃいましょう!」
「え!?それだけで!??」
早々と生殖機能を放棄する許可が出た。
そこからこん平先生はチラシの裏紙を束ねてホッチキス留めをしたようなメモ用紙でパイプカット(精管結紮術)手術の概要を説明してくれた。
それは次のような説明やった。
こん平先生は、先ず真ん中に下向きのちんちんらしき長楕円を描き、その両サイドにキンタマらしき丸みを2つ描いた。
「これペニスで、これ睾丸。」うん、だいたいわかる。
で、睾丸とされた両丸みの中に精巣、いわゆるキンタマの円を一つずつ描き、
そこで製造される精子と、その精子がそこから延びている精管を伝って上部にある精嚢に送られ、射精によって放出される流れを説明してくれた。
こんなピクトグラムみたいな画でもちゃんとわかるもんなんやな、と妙に納得できた。
「で、今回はココ(各キンタマのすぐ上部分の袋)を切開して、そこから中の精管を切って結びます。
片方約20分、両方で大体40分で終わるから」と。
麻酔は覚醒麻酔。
キンタマに直接注射針を刺し込み麻酔を打つらしい。
どう考えても人生最高の痛み、そして恐怖やろ…
口コミなんかでここの術方法は読んでいて頭では理解したつもりではいたが、実際そのように説明されるとえも言われぬ恐怖が腹底から込み上げてきた。。。
一通りの手術の説明、そして感染症など術後のリスク、その回避のために当日は剃毛して清潔にして来てとの説明をした後、術後についても説明してくれた。
「手術直後でも精嚢の中にはこれまでの精子が残っているから、手術後12〜13回射精してその後の精液を持ってきて。そこで精子が残っていないことが確認できたら完了だから」と。
もう、納得して聞くしかなかった。
こんなとこで虚勢を張ってもしゃーないけど、野球部上がりの性か、なるべくはっきりした声で返事をするよう心がけていたがこの時にはもうその声も上ずっていた。
ただ、ひょっとするとこの時は、まだどこかこの手術を現実的に捉えきれていなかったのかもしれん。。。
こん平先生は一通り手術の説明をすると手術日程の確認に移った。
「来週の水曜あたりに出来たら出張と組み合わせて仕事に穴を開けなくて済むかな」
くらいに思っていたおれの考えは、ここでアマアマの甘だったことを思い知らされることになる。
こん平先生のオペ日程は、これまたチラシの裏紙を束ねた紙に罫線と日付を入れた、今の時代考えられないような手書きによって管理されていた。一瞬嘲笑とツッコミが出そうになったが、なんとなくそれがこの先生の良さでもあるのかな、と妙に納得もできた。
とにかくこの診察室には現代の医療診察室では考えられないくらい、PCなどのデジタル品が全くなかった。
その手書きスケジュールには「7月5日パイプカット◯◯」「7月6日パイプカット⬜︎⬜︎」とびっしりと手術の予定と予約者の名前が書き込まれていた。
「こんなに入ってんの!??」
世の中、てか、この界隈だけでこんなにもパイプカットを考えている人がおるんか。。。
こん平先生は「う〜〜ん…」とペラリ、ペラリと紙を2枚めくったところでその手を止めて言った。
「この日なら空いてるね」と9月6日(金)を指差してきた。
9月!??そんな先!?
こういうのって「やってやる!」と決心したその勢いでやってしまうもんなんちゃうの!??
でもそこしか空いてないならしょうがない。
18時からはどう?と聞かれたが、仕事の予定が読めなかったのと、18時の定時退勤したとしても間に合うように予約を19時からで入れてもらった。
「一応19時からで入れとくけど、もっと早くきて来れてもいいから」とこん平先生は付け足してきた。
きっと早く帰たいんやろな。。。
当日現金で手術費用6万円を持ってきて、と付け足され、この日の診察?は終わった。
その後、窓口でその日の会計を済ませ、コポコポいってる水槽の音を聞きながらドアから院外に出た。
入る時は決心めいた気持ちで溢れていたが、出る時にはある種、運命を委ねたような気持ちになっていた。
*
ドアの外は再び見知らぬ町が広がっていた。
少し歩くとスマホに仕事の電話が入った。日陰に入っていろいろな都合をつける応対をこなした。
その案件の処理はそこそこうまくいった。
何人かと電話したが、まさかおれがパイプカットの予約をした直後とは思わんやろう。
こんな時も周りの日常は回っているんやと実感。
バックにはこん平先生から渡された手術の説明を書き込んだメモ紙などが入っていた。
*
そこから電車を乗り継ぎ、その日に抽選で当選していたネット系のイベントの会場に向かった。
そのイベントも淡々と過ぎ、帰りに立ち飲み屋に寄ったりもした。
いつものペースを保つことで平静を装おうとしていたのかもしれない。
*
恐いのは手術までの2ヶ月間で気持ちがひっくり帰ってしまうことだった。
医院のドアを潜った時の決意を2ヶ月間維持できるかどうか。
恐怖がそのラインを超えた時、電話一本で簡単にキャンセルできるんやから。
自分の気持ちに対して自分が試されていた。
*
その後の2ヶ月は仕事も今まで通りこなし、それなりに忙しい毎日を送っていた。
Googleカレンダーには「9月6日 医院」と書き込んで忘れないようにしていたが、
そんなメモがなくても忘れるはずがないくらい、常に意識の中に手術のことがあった。
*
2024年 9月2日
お盆休みも過ぎ、仕事もまたいつも通り忙しかったが、いよいよ手術当週となった。
この日、会社のPCが不調(Windowsの更新?)か何かで動きがやたら遅い時があり、
普段はあんまり人前で出さんのやけど、上司の前で不機嫌を最前面に出してしまった。。。
ひょっとしたら手術への恐れで気が立ったいたのかもしれない。。
手術翌日には会社でリモートミーティングが予定されており、また翌週からは中途採用の新入社員が入社することが決まっていた。
手術の痛みだけでなく、キンタマを切ってその後まともに社内の人間として立ち振る舞えるのか、その先についても不安がつきまとっていた。
*
2024年 9月5日
出張で和歌山に来ていた。
もちろん、翌日にパイプカット手術を控えていることを忘れてはいない。
しばらくお酒が飲めなくなるということは最初の診察の際に聞いていたから、ちょっと飲もうと思った。
ちょうど止まっていたホテルの向かいに、和歌山のイワシ料理を名物とする居酒屋があったからそこの暖簾をくぐった。
店前の人通りの少ないしーんとした雰囲気からは想像できないくらい、店内は会社帰りや何かのグループで盛り上がっていた。
ちょうどカウンターの一番端に1人用スペースが確保できたようでそこに腰掛ける。
特にイワシの煮付けが絶品やったな〜。あと、和歌山の地酒「紀土」を景気良く最初から2合頼んで飲んだ。
ま〜うまかったわ。。。
これでお酒の「飲み納め」は思い残すことはない。
さて、あとは、、、
*
ホテルに戻ってやらなければならないことがあった。
剃毛だ。
その日、仕事を終え立ち寄ったドン・キホーテでカミソリとシェービングジェルを購入していた。
カミソリは普段髭剃り用に使っているものよりグレードの高いものだ。5枚刃やって。
なるべく直前(手術当日)にした方が良いのかなという思いもあったが、今できることは今やっとこ、と思い、
その日のうちに剃ることにした。
で、、
今思うとアホやったなあ、と思うことがある。
毛を剃る時!
指で掴めるくらいの長めの毛は先にハサミとかで切っとけ!!
そんで、ハサミで切れんくらい短くなってからカミソリでシャーッといけ!!!!
おれはアホな上に、酒が入ってたから(カミソリ使うのに酒が入ってるのもアホ)、気づかずにに長い陰毛にニュルニュルにジェルを塗って、そこにカミソリを這わせることをしばらく繰り返した。
長い毛はカミソリで掴めへん!!
だから長い毛が短くなるまで空回りのようにカミソリを動かしていた。
本来なら不要な往復を重ねに重ね、なんとかカミソリでジョリ〜ていけるくらいの長さになり、
そこからは慎重に裏、表、右、左、、と3Dにカミソリを動かし、我ながらなんだがキレイに剃ることができた。
ちなみにせっかくなので後ろ周辺も剃っておいた。
*
2024年 9月6日 手術当日
その日も通常通り仕事をこなす。
職場には先に午後休の申請はしておいてあった。普通通り仕事はこなすが一段落ついた時点で帰社&退勤させてもらうよう伝えていた。
職場の人たちには「足の古傷が…」など誤魔化していた。どうしても「ケガ」の方向で誤魔化しておきたかったのは、
抜糸などこの後もいろいろ休みを取らなきゃならない時が続くかもしれないと思ったから。その方がその際に話を切り出しやすいかと。ウソも方便。
*
和歌山での仕事を終えると、パートナーのなーさんが部屋で待っていてくれた。
今日は休みをとって車で送迎してくれることになっていた。
ほんま感謝やわ。ありがとう。
部屋でシャワーを浴びて、カミソリと一緒に買っていたニューパンツに履き替えた。
ユニクロのエアリズムトランクス!
エアリズムはボクサーしかないのかなと思ってたけど、トランクスもあったんやね。
おれは普段から日本の少子化の一因はこのボクサーブリーフの隆盛にもあると思ってる。
あんなキンタマが締め付けられる下着、若い人が履いたらあかんて。気持ち悪いもん。
チンチンとキンタマには極力ストレスをかけるべからず!
シャワーをしていよいよF医院に向かう。
行きは場所を把握しているおれが運転することにしていたので運転席に乗り込む。
やっぱりこの夕方の時間は混んでるな。
「なるべく早く来て」とのこん平先生の期待にも応えられそうにない。多分、予約時間ギリギリに到着するやろう。
*
到着した。
以前、来た時よりは昼間だったからわからんかったけど、この辺り、日がくれてからやとやけに薄暗いしヤバい雰囲気があるなあ、、
その中に佇むF医院。
なーさんは近くのイオンで時間を潰して待っていてくれるらしい。
ほんまにありがとう。
次会うときはおれは新たな人生を歩み出してます、、、、
*
ドアをくぐると、何人か先客がいた。
窓口に、「なるべく早く来るように言われたんですけど」と言い添えながら診察券を提示する。
先客の内訳は、同世代のヤンチャぽい男(絶対性病系での来院やろ、こいつ)、
おじさん、
そしてオバチャンもいた。オバチャンもお盛んなんかな。
ほんまいろんな人が来るわ、ここは。
*
なるべく早く来て、と言われいたので既にオペ準備OKな状態なんかと思ってたけど何人かまだ外来診察の人がいたから、しばらく待つことになった。
その間、窓口から名前を呼ばれた。
どうやら先に支払いを済ませるらしい。
いやいや手術後に逃げませんよ、キンタマ切られたら走れまへんがな。
言われた通り、用意してきた現金6万円を支払うとき、、、
手が震えていた、、、これは認めよう、、
おれ、なんでもいつもそうなんやけど、
何かイベントごとが決まった時、その時は全然緊張せーへんのよ。。
まー何とかなるやろ、と思ってるから、あんまり準備もしない。。
そしたら直前になって爆裂に緊張してくるんよ、、、
なら最初に緊張して、準備しとけっつーの!て毎回思う。
そんな人生。
てか、それもあるんやけど、
あと数分後にはキンタマに直麻酔を打たれ、キンタマを切られる、、
そう考えるて、、、
普通でいられる人おる??
*
まだ何人か診察の人が残っていたので、この人たちが全員終わってから呼ばれるんかな、と思ってたら、
不意に名前を呼ばれた、、
え、、、!
来た、、!
もう完全にこのまま行くしかない。
ジェットコースターは動き出しているのだ。
それどころか、もう最初のカンカンカンカンカン…の頂上に差し掛かっているのだ。
*
呼ばれて入った診察室には、前回と同じ薄ピンクとジーパン姿のこん平先生がいた。
「はい、ほなパンツ脱いで横になって」
こん平先生に声をかけられたが、最初何のこと言ってるのか理解できなかったような気がする。
え、、ここで???もう??
「はい、それじゃ、パンツ脱いで仰向けになって」
もう一度こん平先生の声が聞こえた。
あ、そっか、、
もう始まってるんや、、
ここでパンツを脱ぐことを恥ずかしがっていても仕方ない、、
それをしに来ているのだ、最初にそれを申し込みに来たのはおれなんや、、
こん平先生に無理やり連れてこられた訳ではない。。
履いてきたハーフパンツと新品のエアリズムトランクスを脱ぐ。
こういうときに恥ずかしくないよう下着はちゃんとしておくものだ。
衣類をカゴに入れ、手術台(といってもシングルベットの1/3くらいの幅の寝台て感じ。)のケツが乗りそうなところにシートが敷いてあるのでそこにケツが乗るように仰向けに寝る。
ちょいとチンチンを摘み上げられ、
「あーキレイに剃ってきてるね」と剃毛状況を確認され、プチ褒められた。
(ええ、、昨日がんばりましたから)心の中で胸を張る。
、、、、、て、、待て待て!
今チンチンを摘み上げたその手、素手ちゃうの!??
こういう時って極薄ブルーゴム手袋するもんなんちゃうの!??
もうなんとでもなれ!
今更、こん平に素手でチンチン触られたくらいでなんとも思うかい!
次の瞬間、玉袋にヒヤッと冷たい感触が走った。
消毒しているらしい。
流石にその時はピンセットで赤チン消毒液の染み込んだミニ綿をキンタマに塗り塗りしているみたいだった。
そう。。
てか、、こう、、見えるんよな、まだ。
足元に視線を向ければ、、
そこで何をされているか、が。
…これ、切る時にはさすがにお腹の辺りに目隠しとかしてくれるんよな??
*
その後、あっちに行ったりしていたこん平先生が台の右側に戻ってきたかと思うと、
「さっきから何ふうふう言うてんねや、デカいカラしといて。
バンジージャンプの方がよっぽど緊張するやろ〜」
軽口を叩いてきた。
「バンジージャンプの方がよっぽど緊張しません、、、」
「何を言うてんねや!」
人の緊張を楽しんでるな、こん平先生は。
まあ、医者が緊張してたらこっちはさらに余計に緊張するやろうから、こん平なりの気遣いなんかもしれんけど。
すると、こん平はおもむろにキンタマとその丈夫周辺をぐりぐりしだした。
!!!!!!!!!
い、、痛い<<<<<。!!!!!!
不意に机の角とかでコツンと当てただけでもあれだけ痛いキンタマをグイングインに弄くり回されている。。
…痛…!!痛痛痛痛!!!!!!!!!!!!!!
「精管探してんねん。麻酔打たなあかんしな〜」
まるで鼻歌でも歌うようなトーンで人のキンタマをぐりぐりし続けるこん平。
キサマには人の血は流れていないのか???
無限に感じられた痛み(時間にして多分1〜2分くらいやったと思うが)、
恨みたくなる程の痛み(こん平は恨まれる筋合いは無い。おれが自らの意志で来てるんやから)が一旦落ち着いた。
ふうと思ったのも束の間、
それは麻酔を刺す場所が決まったことを意味していた。
「声出しても良いけど、暴れたらあかんで。手元狂うから」
こん平先生はおれの右脚に自分の腕を固定させて作業をしていた。
つまり、おれが反応して暴れると、こん平先生の手元を狂わせて手術失敗の可能性を自ら引き上げてしまうのだ。。。
玉袋に一瞬で針先とわかる鋭利な痛みを感じた……
チク……ツィ〜……
!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
gィィぃぃぃィィィィィィィィィィgゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥGGGGウGGGァァァぁぁぁぁァァァァア………
アゥGゥゥゥゥ魏rィィィィィィィぃぃ
「断末魔の叫び」て、よく言われてる言い方。
死に間際の呻き声を指して言うらしい。
が、、
おれは今、はっきりと生きていて、意識もしっかりある。。
さっきのキンタマぐりぐりとは全く違う、
身体の一番敏感な神経に最短距離のピンポイントで入り込んでくる痛みだった。
奥歯がへこみ沈むくらいギリギリと噛み締められる。。
声にならない声が喉の奥から絞り出される。。
背筋力の限り腰がのけ反り、後頭部と踵を支点に、自分でも信じられないくらいキレイなブリッジを描いていたと思う。
でも、右脚だけは絶対に動かさないようそこだけは堪えた。。
針はどのくらいの間、キンタマに刺さってたんやろう。
間違いなく人生で一番の痛みを、遠のく意識中ギリギリで堪えた後、
かちゃかちゃとこん平先生が別の器具を触る音が聞こえた。
顔を覆う両手は脂汗を滲ませたままそこから動かせないでいた。
てか、、
やっぱそのままオペってるやん、、
目隠しの仕切りとか何もないやん、、、
どうなってんねやろ、、
もうキンタマ切られたんかな、、、
何がどうなってるかわからんまま、文字通り「まな板の鯉」ならぬ「まな板のキンタマ」状態のおれ。
器具がかちゃかちゃ言う頃には、麻酔が効いてきたのか、切られてるのかも引っ張られてるのかも感覚が無く何もわからなくなっていた。
*
「ん??あれ??んんっと…」
こん平先生の声が聞こえた。耳はちゃんと聞こえる。
「逃げよんなあ、、、なかなか掴めへんなあ、、よい、っしょっ、、んん〜・・」
こん平先生がなんか言うてる。
「精管が掴みにくくてな、、逃げよんねん、、んっしょっと」
どうやらおれの管は、感覚を失ってもなお最後の抵抗を続けているらしい。
ここに来ておれの遺伝子がそれを拒んでるのか、、
なんとも健気な気持ちになった。
もういいんだよ、、
全てを投げ出してゆっくり身を委ねておくれ、、、
抵抗を続ける自分の子らに脳内で訴えた。
と同時に、手術でよく聞く「開けたけど無理でした」みたいになるんかな、と自分でも往生際の悪いことを考えたりもした。
でも口では
「先生信じてますから…」と絞るように答えていた。
これはもうほとんど願望に近かった。
人はキンタマを切られた状態でできる事なんて何も無い。
おれのキンタマの前に立っているこん平先生を信じるしかないのだ。
「ふ…ん!」
こん平先生が黙りながらちょっと力を入れて作業しているのがわかる。
ほんまに大丈夫か??そんなに力入れてやるもんなん??こういう手術って。
もうなんとでもなれ。。
*
・・・
時間にして、ほんの数分やったと思うけど、えらく長く感じたこん平先生の奮闘の時間は過ぎ、なんとなく作業の種類が変わったのがわかる。
多分、縫合してるんかな?
すーー、すーーと糸を通しているような気がする。。
無事済んだんかな。
*
するとそこでこん平先生は一息ついた感じで「片一方終わったから休憩しよ、」と
カーテンの向こうに去っていった。
もちろんその間、おれはキンタマを晒したまま、何なら切って縫われたばかりの片キンタマを放置したまま身動き一つ取れず仰向けでいることしかできなかった。
はふ、はふ、、と緊張が少しほぐれていくぶん呼吸が落ち着いてきてはいたが、、
タマはまだもう片方あるのだ。
カーテンの向こうからこん平先生の声が聞こえてきた。
「もう精子はいませんね。オッケーです。」
そう、こん平先生は休憩と言いながら、外来の患者を捌いていたのだ。
何という手際の良さ、、、
そしてその声が聞こえた外来の患者は、内容からしてパイプカット先輩なのだろう。
完全に精子が抜けたか最後のチェックに来て無事にお墨付きをもらったようだ。
おれもあそこに到達するまでにまだまだ越えなければならない道がある。
何より、その先輩もこの苦痛を乗り越えられたのかと思うと、少しだけ勇気をもらった気がした。
*
さっと外来の患者を捌いたかと思うと、こん平先生がキンタマを晒し続けているおれのところに戻ってきた。
「さ、後半戦始めよか〜」
その声を聞いた途端、また呼吸が深くなる。
もう一回、またあの痛みが来るのかと思うと額と掌は汗で滲んだ。
*
む、むぎギギギっぎ、、、、
!!!!
おもむろにまた左キンタマ周辺を揉み掴むこん平先生。
い、、gぅぅぅgぐぐぐぐ、、、
下腹部に響く鈍痛、相変わらずこれは喉元からせり上げてくるような痛みだ、、
少しして手が止まった、、
それはやはり、麻酔を打ち込む箇所が決まったことを意味していた。
チク、、ツーーーー
!!!!!!!!!!!!!!
Aぁkぅぅくくきrぃrぃぃいいいい・・・・・!!!!!1
またしてもキンタマに直接打たれこむ針先。
この世の痛みの全てをそこに集約したような、
これは完全に脳の中心に響く痛み。
針を刺されてるのはキンタマだが、脳の奥に穴を空けられているような感覚。
奥歯が軋む。
手汗、脂汗が吹き出す。
背中がこれでもかというほど仰け反る。
数秒の麻酔タイムは一生の記憶としてしっかりと脳に刻まれた。
*
かちゃかちゃとこん平先生は作業を続けた。
麻酔が効いてきたのか、意識が少しばかり落ち着いたところでこん平先生は話しかけてきた。
先生「今日はどこから?」
おれ「、、、、豊中です、、、」
先生「豊中やと庄内にいい市場があるなあ、年末は買い出しに行ったわ」
先生「今日は奥さんに送ってもらったんか?」
おれ「、、はい、、」
先生「ええ奥さんやなあ、ラブラブやん、今はどこかで待ってくれてんの?」
おれ「はい、、近くのイオンに行くて言うてました」
先生「イオンか〜、前はダイエーやったんや、あそこ」
先生「ここに来る人はいろんな人がおるわ。…(以下割愛)」
おれ「マジっすか……!?」
左タマをいじっている時のこん平先生は饒舌だった。
それは手術が順調に行っていることを示していたようで少し安心した。
するとこん平先生は極め付けと言わんばかりの大サービス心を発揮してきた。
「自分の管、見るか〜??」
「は???」
事前に調べていた中で、術後に切った精管を見せてくる医者もいるとは情報として読んだことはあったが、
自分にもほんまにその機会が訪れるとは、、、
見ても良いものかどうか、決めあぐねてまごつくおれに痺れを切らしたのか、
こん平先生は作業の手を止めて言った。
「身体起こして見てみ、ほら」
え!!
この状態で身体起こしていいんか?
なんか手元や糸や狂ったりせーへんのか??
「ほらほら、身体起こして!」こん平先生が急かし立ててくる。
恐る恐る右肘をつき、そこを支えに身体を起こすと、
耳かきのような鉗子?で乳白色の細い管を引き上げていた。
「ほら、これが精管やで〜」
!!!
まさか、まだ身体に付いて機能している自分の臓器を見る時が来るとは思わなかった。
わかった、もうわかった、、、、
途中からわかってもいたが、完全にわかった。
こん平は変態だ。
こいつは毎日キンタマを見て切ってるから完全にイカれている。。。
てか、そのくらいでないとこの仕事は務まらないだろう。
頭のネジが一つも外れず全てがキチンとネジ穴に収まっている人間には到底ムリなお仕事だ。
あざっす!見ました!大丈夫っす!もう大丈夫っす!!!
ほんまお願いします!
気づいたら、半笑いで懇願の声を上げていた。
この医師に身体を預けた自分を少し誇り思いつつ、
祈るように残りの時間に身を任せた。
*
「はい、オッケー」
こん平先生は最後の縫合を終えたらしい。
はああ、、
自分が生殖機能を放棄したとまだ完全に自覚はできないが、
身体を起こして股間で行われていた跡が視界に入ってくると、
そこで為されていた事実を受け入れざるを得ない気持ちになった。
麻酔時以外、手術の直接的な痛みを感じなかったからあまり意識することはなかったが、
尻下に敷かれていた紙シートには結構な量の血が滲んでいた。
そこで初めて、メスで身体の一部を確かに切られていたんだと実感した。
全身の力が抜け、へろへろになっているおれのキンタマを、ガーゼに染み込ませた赤チンで消毒した後、こん平先生は「患部を固定しとくで」とキンタマにガーゼを当て、テープで固定しだした。
そのテープは股周辺を四方八方、十六方を隙間なく覆う程張り固められた。
「う、、動けん、、、」
そこまでして今日の手術&作業は終了のようだ。
パンツ、ズボンを履くよう促される。
エアリズムパンツ、短パンを履き、
各種薬を渡され、その服用の仕方、消毒の仕方などを説明され、
抜糸は1週間〜10日後くらいに来るように伝えられた。
*
ありがとう、ございました、、、
窓口で挨拶して、へろへろと院外に出た。
医院の外は、入る前より夜が深くなり周りが少し見えにくくなってはいたが、
入る前と変わらずの街並みが広がっている。
が、
おれは変わった。
親が授けてくれた何不自由ない健康な体にメスを入れた。
世の中は何も変わらなくても自分の意志で自分を変えた。
これでいい。
*
なーさんは手術終了のLINEを入れて数分で下ろしてくれたところまで来てくれた。
なんとも言えない顔で迎えてくれた。
おれは不安を与えないよう極力笑おうと思っていたが、こん平を思い出して予想以上に自然に笑いあげてしまった。。
何から話そう。
信じられない痛み。
変態先生。。
話したいことはいっぱいあるがうまく言葉にできないでいた。
なーさんもそんなおれに気づいてかいつもより不自然な笑顔を浮かべてくれていた。
*
帰りに近くのくら寿司に行こうということになった。
クルマを降り店内に向かおうとするが、股間をガッチガチにテープで固定されているせいでひょこひょこと初期型のASIMOのような歩き方しかできない。
入り口にある5段ほどの階段を上がるのも一苦労だった。
意外と早く席に通してもらい、それぞれが好きな寿司を食べた。
が、
こん平先生に言われていた通り、一週間ほど酒は飲めない。
血流が盛んになり傷口が傷んだりするから。
まあ、こんな時くらいちゃんと守るよ。
(後から聞くと、なーさんはそれが一番できないだろうと思っていたらしい)
*
ウチに戻り横になった。
先にシャワーをして行ったこともあり、今日の入浴は気にしなくてよさそうだが、
固定されたままのキンタマ&その周辺はいかんなく日常生活に支障をきたしていた。
歩きづらさはもとより、いつも大小関わらず洋式便器に座って用を足していたが、
固定されたガーゼによってそれが妨げられていた。
立って小便をしようにも、角度がうまくいかず半分スクワットをしたような状態で行っていた。
そして一番残念だったのが、股間にガッチガチに固定されたテーピングを剥がしたら新調したパンツにテープの糊分がペッタペタにくっついたことだ。
もう履けないんじゃないかと思うほど、パンツ裏に糊分が付着し、水をつけて擦っても全然落ちずにいた。
せっかく見つけたエアリズムのトランクスは一度履いただけで再起不能になるくらいのダメージを負ってしまった。
これからパイプカットの手術に行くという人は、人目を気にして新しいパンツを履くのではなく、ボロボロの捨てても良いパンツでいくことをお勧めする。
見栄より大切なのは実である。
その後もその付着した糊分が肌にくっつき引っ張って、歩くたびに痛みを感じたことが一番不便だった。
おかげで翌日の仕事の間は不自然極まりない歩き方をしていたように思う。
*
2024年 9月7日(土)
この日から一日一回の消毒を施すルーティンが始まった。
こん平先生から「一日一回、朝にピンセットで患部に塗って。ピンセットがなければ箸でもいいから」と渡されていた水色の蓋がついた丸い容器。その蓋には誰が書いたのかの手書き文字で「ポピドンヨード消毒」と書かれていた。文字を見るたびにこん平先生が思い浮かぶ。
その中にはいくつか丸めて消毒液を染み込ませた綿が入れられており、ピンセットなんてもちろんウチに無かったから割り箸(毎回新しいものを使った。)で一つつまみ出し、患部に塗る。
患部からは本当に縫合されたことを証明するように、ピロリと糸が出ていた。
(てか、縫った後てこんなに糸がぴろんてなるもんなんか?)ここでも少し不安になった。
しかし、、
キンタマから糸がぴろんて出てるのはほんまにマヌケでしかない。
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その日の仕事では他部署と繋ぐリモートミーティングが実施された。
その最中、仲の良い同期に「昨日パイプカットの手術した」とこっそりLINEを送ると、
「もうミーティング内容が全く頭に入ってこない!!!」と返事をくれた。
笑ってくれてよかった。
切った甲斐があった。
持つべきものはいつでも一緒に笑ってくれる友だ。
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2024年 9月9日(月)
この日は新入社員が来る日だ。
中途入社の女子社員。
入社初日はつきっきりで社内のこと、会社のこと今後のことなどを説明しなければならない。
自分で面接して入社してしてもらった女の子だが、まさか目の前の上司になった人間が一昨日精管を切ったとは夢にも思わないだろう。
現実は得てして小説より奇なのだ。
歩きにくい股間を悟られないよう、必死に堪えながらその1日を終えた。
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2024年 9月10日(火)
その日も新入社員を連れての外回り営業だった。
切った箇所やタマの内部に依然違和感を感じていたが、それよりも気になったのは毛を剃った後にパンツに触れる部分で、、歩いているとどうもそこがスリスリと違和感になってしまうのだった。
派手に見た目が変わった前面部というより、タマ裏や前立腺部あたりがスリスリ感じるようになった。
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2024年 9月12日(木)
右側のキンタマはだいぶ落ち着いてきた。
切った痛みも内部もあまり違和感も感じなくなってきていた。
ただ、
左側は中で腫れているんじゃないかと思うくらい、違和感が続いていた。
外から触ってもそれまでになかったコリコリ感(多分、袋の中で結んだ部分か?)があるし、何よりわずかに触れただけでも少し痛みを感じるようになっていた。
おい、、、
左って、こん平先生が管を引っ張り出して見せていた方だよな、、、
まさかその遊びの際に細菌が入って感染症でも起こしてる、、ではないよな???
そんな不安が芽生えていた。
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2024年 9月14日(土)
相変わらず左タマは痛い。
レフ玉痛太郎だったが、今日抜糸に行くと決めていた。
抜糸は「一週間〜10日」とこん平先生に言われていたが
その後の仕事の予定などいろいろ考えるとこの日しかなかった。
「まだ早いな」とか言われたらどうしよう、と少し不安もあったりした。
抜糸に加えてそしてもう一つ、勝負に出ることにしていたことがあった。
術後も精嚢に残っていた精子が抜けたかどうかの確認だ。
こん平先生は「12〜13回射精してから精液を持ってきて」と言われていたが、
術後一週間では8回がせいぜいのところだった。
回数は少なかったが、「これでOKが出たらラッキー」くらいの感覚で持参した。
再びF医院のドアをくぐる。
数名の待ちがあるようだが、相変わらずサクサクと診察が進むようで、
すぐに名前を呼ばれた。
パンツを脱いで再び術台に上がる。
今度は看護婦さんの付き添いもあった。
ここまできたら恥じらいも何も感じない。
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「ちょっと痛いよ〜」とこん平先生の声。
まあ、そうやろう。
そのつもりで来ている。
ただ流石にキンタマに針を刺された時ほどではないやろう。
あれを経験したら、本当にどんな痛みにも耐えられる気がしていた。
やはり今回も右側からの作業のようだ。
チクッ…!とした痛みが玉皮に走る。
例えるなら身体の中で一番毛根の強い毛を引き抜かれたかと思うくらいの痛みだった。
これはこれで痛い。また別の種類の痛みやわ。
そのチクッ!の痛みを片方3回ずつ、計6回いただいたところで抜糸は終了したようだった。
キンタマは3針ずつ縫われていたのかとその時初めて知った。
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看護婦さんにキンタマを消毒され、ガーゼを当てて固定のためにテープを貼られた。
これはもうプレイよな。
今回のテープは前回のものより糊分が軽い?のか跡が残らないものだった。
このテープがあるなら前もこれにしてくれたら良かったのに・・・
看護婦さんの前でパンツを履く。
ちょっと気まずいのので何か話してみる。
「先生て面白いですよね、、」
「あ、話しました?」
「オペの時ずっと話してました」
…余計気まずくなった。
そうこうしているうちにこん平先生に名前を呼ばれた。
診察室に顕微鏡を覗き込むこん平先生がいた。
「これ何回出した?まだ少しいるね」
やっぱりか、、、
言われていた回数より少なかったもんなあ。。
まあ、次がほんまの勝負やとすぐに切り替えができた。
またエンピツ型の容器をもらい。
この日は医院を後にした。
窓口でお大事に〜と声をかけてもらったが、
抜糸や今日の診察の代金の請求はなかった。
本当に事後のフォローまで含めての代金やったんやな。
安心の医院やわ。
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土曜午前のみの診療にギリギリ間に合うように行ったため、
医院を出る頃には昼を過ぎていた。
この街に来るのももう何回もないだろう。
せっかくなのでチョイと飲んでいくことにした。
駅前の商店街にはあんまり気の利いた立ち飲み屋がなかったが、市内で何回か見かけてたことのあるチェーン店がデカデカと看板を掲げており、正午から営業していたらしくそこに入ることにした。
すでにグループの先客が盛り上がっている。
1人で瓶ビールを開ける。
とりあえず、、何とか9合目まできた。
おれ、お疲れ様やわ。
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その後もやはり違和感は続いた。
何かこう、、引っかかってるような、、
普通に歩くだけならまだなんともないが、少し走ったりするとびん!と響くというか、
中で腫れてんのかな、と思うような、なんとも言えん感覚が残っている。
まあ、性交に影響が出るほどではないけども。
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2024年 9月28日
再度の抜けの確認へ。
受付窓口にて封筒に入れてきた採取汁を手渡す。
何ともいえん待ち時間。今回の来院者はおばちゃんが1人だった。
名前を呼ばれ、診察室に。
椅子に腰掛ける前に、
「もういいひんね。大丈夫。これで、ね、 もう、、ね、安心して、、◯※⬜︎⭐︎(ゴニョゴニョ)…」
おい、そこでお前が照れるな、こん平!
つーか、前回から気になってたんやけど、手術中とテンション違いすぎひんか??
キンタマ切ってないとテンション上がらんのか??
ひょっとしたら想像以上に相当変態やぞ、こん平。
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これで一段落ついた。
送迎して待ってくれていたなーさんへ一番に報告する。
これまでいろいろありがとう。
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術後の動くと響くような違和感は続いている。
でも、まあ、良いか。
ここまで読んでいただいた方、ありがとうございました。
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術後、、3ヶ月、
やはりなんとなくのそれまでに無かった違和感は続いている。
玉袋の中で結び目ができているのがわかり、そこに下着が触れたりすると、
なんとも言えない感覚がある。
今のところ施術による副作用はなさそう。
もちろん、膣内射精しても生殖反応は表れませんよ。