数々の大手証券会社で働き続けた私が伝えたい #7証券営業員の時間の作り方③
シンプルに証券営業に徹した事が成功のポイント
1997年私が働いていた「山一證券」が廃業になった頃に、日本の個人金融資産にビジネスチャンスを確信していた米国メリルリンチが、山一証券の社員3700名を採用してメリルリンチ日本証券を設立しました。
証券営業員は転勤がなく長期にお客さまを担当する米国流の仕組みを持ち込みました。証券営業員の事を「ファイナンシャル・コンサルタント」と名付けコンサルティング営業を開始しました。
昨日まで従来の証券営業員が容易に変われる訳はありませんので、米国流の新しい仕組みと自分の考えや業界を取り巻く環境を考えて、自分なりのスタイルを確立して成功した営業員をご紹介したいと思います。
■ 50歳後半の女子営業員
「私は、証券投資は短期間に売買するものではなく、家を持つのと同じくらい長期間持ち続ける事だと思います。お客さまの方から売却する意向がない限り、私のほうから売却を推奨しないでおこうと思います。」
「証券営業員を長く経験している方々より私の経験はありませんが(それまでは主婦でパートタイム労働者でした)、売買すると手数料が沢山かかる上に、売却した商品が値上がりして改めて買えなくなることを考えるとそんな器用な事はできないの。それに何よりも、ずっと昔からの株価の推移を見ていると、大きな暴落があっても、お客さまと一緒に忍耐強く持ち続けると、それ以上に値上がりしているわよね。日本が資本主義でなくなれば別だけど。」
「だらか、私があれこれと相場のことを勉強しても限界があるので、株価が下がったら更に買い続けるわ。」
この女子営業員は、この考えを実践し続け数年後には相場をあれこれと語る辣腕営業員を遥かに凌ぐ、お客さまからお預りする資産を獲得して、お客さまの資産増大に寄与され、素晴らしい功績を残されて退職されました。
■ 30歳男子営業員
「ファイナンシャル・コンサルタントという呼称は私にもお客さまにも難しいので何をしたら良いかわかりらず、日本のお客さまにコンサルタントと言って、財産のことを根掘り葉掘り聞いても嫌がられるだけで時代としてまだ早い気がしますね。」
「私は、少なくとも他の国内証券会社のベロシティー(お客さまが年間支払った手数料/お客さまがお預けしている資産=ベロシティー。概ね0.5%から1.5%程度が平均的数値)を極力下げる事が社是の一つである「顧客重視」を全う出来ると理解していることと、お客さまの利益を第一に考えた場合、頂く手数料以上の利益を得る事を実践することだと考えます。これを実践する為の商品として、外資系証券の優位性がある利率の比較的高い外貨建て債券の販売に特化しようと思います。」
「お客さまから頂く手数料は、債券の取引額が大きいほど有利になりますので、出来るだけ保有資産の大きい資産家だけをお客さまとして、お客さまの数ではなく量で仕事を効率化しようと考えます。」
当時のお客さまの運用にたいするご要望は、①いつでも解約出来る、②元本割れがない、③そして銀行預金より少しだけ高い金利が貰える。という投資の世界では3要素が揃う事はあり得ないご要望でしたが、①いつでも解約できる=流動性を犠牲に出来るお客さまを発掘して継続した販売を行った結果、お客さまが半年ごとにまとまった金利が入る経験を通じて他のお客さまにも評判が広まり、膨大な資産を導入する事に成功しました。その後は20年間にわたり世界的に金利が下がり続けた訳ですので、マーケットの大幅な変動があるごとに債券を発行する企業や発行条件に割安感がある債券を発掘して乗り換える事で定期的に大きな手数料も得る事に成功されました。
つまり、お客さまが投資信託を100万円購入すると手数料3%即ちベロシティも3パーセントとなります。その投資信託が短期的に10%値上がりして別の投資信託に乗り換えた場合、再度3%の手数料がかかる訳ですので、お客さまの利益は、10万円-3万円-3万円=4万円≦手数料6万円となりWin-Winとは言い難い乗換営業があった事から考えた場合、この30歳男子営業員が実践してきた事はWin-Winであったと思います。
メリルリンチ日本証券が日本の証券営業員に残した功績は、日々の営業数字や個別商品毎のノルマ制度ではなく、営業員それぞれが自分の目標や販売する商品を自由に設定して、その数字の責任は営業員の報酬制度に反映されるといった制度を導入したことでした。また、転勤がなくお客さまを長期間担当する制度を定着させた事には大きな意義があったと思います。
リーマンショック後にメリルリンチ日本証券は様々な資本異動により、何度か名前を変えていますが、後身の会社を含め営業員が20年以上にわたり担当者としてお客さまに寄り添えている事は素晴らしいことだと思います。
新しい風が吹いて大きな変化を期待した20年間は、実はあまり変化がなく、シンプルな証券営業のスタイルが良かったのではないかと思います。
この間、この会社での営業員の呼称は「ファイナンシャル・コンサルタント」「ファイナンシャル・アドバイザー」「ウェルス・マネージャー」一部の営業員では「プライベート・バンカー」と変遷して行き、呼称が変わる都度に右往左往したと思います。
その度に、その専門性を追求する「時間が増えました。」
つまり、証券営業員の時間の作り方とは、自分の能力を客観的にみること、時代が変化するスピードを少し遅めに見ること、会社の体制や自分の呼称は少し先の高い期待値であることを踏まえて、シンプルかつスマートな考え方を持てば時間は創出できるのではないかと思います。
次回は、これらの呼称について実体験を踏まえて解説したいと思います。
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